見つめる先に居るのは





 彼女の姿はいつだって、輝いて見えた。
 それを見てしまうと、僕はいつも竦んでしまう。
 触れるのを、ためらってしまう。
 まるで僕の心を見透かしているかのように、そんな僕に君は笑いかけてくれた。
 何故、そんな風に僕に接するのだろうか。
 僕には君が理解できない。
 いつか僕が君にすることは、君を傷つける。
 だからこそ、出来るだけ距離をとってきたつもりだったのに、君はその境界線すらなんなく踏み越えて僕の元へとやってきてしまう。
 …………君はいけない人だ。
 これでは僕の決意は、揺らいでしまうかもしれないのに。

「危ないですよ、望美さん。そんなところで何をしてるんです?」
「あ、弁慶さん!」
 熊野の夏は暑い。蝉が鳴く森を抜けた河原で、彼女は履物を脱いで川の中で必死に何かを探していた。
 この暑さの中では水に入りたくなる気持ちも解らなくもない、しかし共の者を一人もつけずに水浴びとは少しばかり無用心だ。
「ちょうど良かった、少しこれ持っててください」
 そういって渡されたのは、彼女が愛用している舞扇。
「濡らしたら大変ですから。かといって、下においておくのもなんだか忍びなくて……」
 朔から貰ったんですよ。
 そういって望美さんは笑った。しかし、僕も微笑み返すほど今の状態に余裕があるわけじゃない。
 一人でふらふらと出かけられては、困る。
 自らの立場を解っているであろうに、彼女はすぐにも居なくなるので、その度に八葉の皆で彼女を探す。
 もういい加減に慣れたものだけど、彼女はいつも突拍子ないところに居て探すのも一苦労というもの。
 見つけたまでは良かったものの、他の八葉たちも心配しているのだから早く望美さんを連れて帰らなくては。
 とはいえ、今の状態では帰ろうといっても帰らないだろう。ならば、彼女の心を独占している事柄を解決してしまえばいい。
「何をお探しなんですか? 僕もお手伝いしましょう」
「いいえ、これは私一人でやらなきゃ意味ないので。弁慶さんは気にしないでください。あ、なんなら先に戻ってもらっても構いませんよ」
「君を一人残していくなんて出来ません。僕たちは君を探してたんですよ」
「え? そうだったんですか? あの、ごめんなさい……でもすぐ済みますから。たぶん、大丈夫です」
 大丈夫、ですか。
 河原の脇に押しやられた刀を一瞥して、僕は少し意地悪な心が芽生える。
「武器も持たずに水の中に入って、敵に襲われたりしたらどうするつもりですか? いくら他の土地よりも治安が良いといっても、熊野は決して安全では無いんですよ? 怨霊だっているのは、君だって解ってるはずですよね」
「えーっと……その時はその時で…………ごめんなさい」
 何とかごまかそうとしたのかもしれない。でも結局僕に見られて気まずいのか、すぐに頭を垂れて謝る望美さん。
「それで、結局どうして君はこんなところにいるんですか。一人で来たくらいですから、よほど大事な用なんでしょう?」
「それはいえません。言ったら意味がなくなっちゃいますから」
「……僕にいえないのなら、せめて他の人にくらい一言告げて出てきてくださいね。貴方は白龍の神子なんですから」
「……すみません」
 しまった、少し言い過ぎたのかもしれない。
 何か言いたげにこちらを見つめる瞳に、少々意地悪が過ぎたことを知る。
 気まずい雰囲気が流れて、彼女は僕に背を向けて再び川面に手を入れて何かを探し始めた。
「怒ってますよね」
 背中越しに聞こえた彼女の声。
「どうしてそう思うんです?」
「だって、いつもより口調が厳しいから」
 ぱしゃぱしゃと、水面を揺らす音に小さく呟かれた言葉を何とか聞き取って僕は笑った。
彼女に警戒心を与えないようにというつもりだったのに、逆効果だったようだ。
「それはすみません。怒ってはいないんです、ただ、君を心配してるだけなんですよ」
「嘘、ですね」
 身を堅くして望美さんは動きを止めてしまう。
 きっぱりと、やけに彼女ははっきりそういった。
「ただの自意識過剰かもしれないけど、いつもだったら、白龍の神子だからじゃなくて、私だからって言うもの。神子の扱いじゃなくて、普通の人間として扱ってくれます」
「そんなことないですよ、君の勘違いです」
「本当に? それだけ弁慶さんが余裕ないって事じゃないですか?」
 これはまた、突拍子もなく鋭いところをついてくる。
「それはまた……どうしてそう思うんです?」
「ただの勘です」
「君はずいぶんと冴えた勘を持っているようだ」
「それは……なんとなく、です」
 さっきまであんなにはっきりと言っていたのに、ここにきて急に歯切れが悪くなる。
 本当に、不思議な女の子だ。
 確かに、僕には余裕がなかった。
 熊野に来てから、余計に余裕がなくなってしまったこともある。
 あせっても無駄だと解っているのに、どうしても応龍の復活ばかりを考えてしまう。
 そのためにはどうすればよいか、どうするべきなのか。
 答えは出ている。だが、いまはまだその時じゃない。
「大丈夫ですよ。君が心配することではありませんから。でも、僕が心配していたはずなのに君を心配させてしまうなんて、これでは本末転倒ですね」
「そうですね、本末転倒かもしれません」
 でも、と彼女は続けた。
「心配させてください。私はそのために戻ってきたんだから」
「…………………? それは一体……」
「あ、お喋りしてる暇は無いんでした。それじゃ、少し待っててくださいね」
 聞きなおそうとした僕をさえぎって、彼女はばしゃばしゃと大きく音を立てながら探し物を開始した。
 お喋りしてる暇は無いという彼女の言葉に従って、僕も無言で彼女が仕事を終えるのを待つ。
 それから、半刻。辺りは徐々に暗くなり、夕日が見えてきた。
 そろそろ帰らないといけない。そう思い、声をかけようと立ち上がる。
「あ、あった!」
 彼女は嬉しげな声を上げると、それを僕には見せないように大事そうに懐へしまったようだ。
 振り返った彼女の笑顔は満面の笑みで、僕もそれに答えるために微笑んだ。
「見つかりましたか? 良かったですね」
「有難うございます。付き合わせちゃってごめんなさい」
「いいえ、気にしていません。何より君が無事だったのでよかったです」
 くすっと笑うと、望美さんは嬉しそうに笑った。
「良かった、機嫌直ったみたい。弁慶さんが怒ってるのは、ちょっと苦手です。 いつもより余計に、何考えてるのか解らなくなるから」
 あっと、口を押さえるものの、全部言った後では意味がない。
「ふふっ、そうですか? 君は嘘がつけない人ですね」
「……ごめんなさい」
「いいんですよ、疑うことも時には必要です。それに君は嘘がつけない人だから純真なままで居られるよりも、疑ってくれたほうが心配しなくて済みそうです」
 複雑な顔つきをした望美さんは、僕を見上げるとそうですねと答えた。
 そしてそのままもっていた手ぬぐいで足を拭き履物を履く。
「帰りましょうか、みんなのところへ」
「そうですね」
 彼女に言われるがまま、僕も歩き出す。
望美さんは数歩先に進むと、突然振り返って泣きそうな笑顔でこういった。
「でも、やっぱり……私は最後は弁慶さんを信じると思います。だから、それを忘れないで」
 僕にはわからなかった。
 何故彼女がそんな表情をするのか。何故そんなことをいえるのか。
 たった今、疑ってくれといったばかりだというのに。
 わからない。
 本当に何を考えているのかわからないのは、君のほうです。
 だけど、それでも僕の心は揺れて、焦る原因を募らせていく。
 君がこうして予測できないことばかりするから、僕は自分のやろうとしていることが成功するのかどうか、とても自信がなくなってしまうんですよ。
「…………僕は、君の期待に応えられる男ではありません。裏切るかもしれませんよ」
「そうですね、傷つくかもしれませんね。だけど、それも弁慶さんですから。私は信じてます、傷がつこうと関係ないんですよ」
 つい漏らしてしまった僕の本音さえ、彼女は正当化してしまう。
 どうやったらそう考えられるのか、わからなさすぎて思わず笑いがこみ上げてしまった。
 どうやら異世界から来た人を、僕の尺度で測ろうとすること自体が間違いなようだ。
「解りました、では僕は出来るだけ君を傷付けないようにします。でも、止むを得ない場合も考えて、これからはあまり無茶な行動はしないでくださいね」
「はい、善処します」
 僕の小さな嘘にも良い返事だ。これで返事どおりの行動をしてくれればよいが、きっとそれは難しい願いだろう。何しろ、彼女は今までに出会った女性の誰とも違った少女なのだから。
「じゃ、今度こそ帰りましょう」
「そうですね。譲君も、きっと君の好きなものを用意して待っていてくれますよ」
 やはり先に歩き出した彼女の背中を見つめて、僕は思わず目を細める。
 夕日が逆光で彼女を照らしていた。
 結局、彼女が探していたものが何か、わからないままだ。
 でも話してくれといってもきっと無理だろう。いずれまた、聞けばいい。
 それよりも、眩しすぎる彼女の背中は生身の僕でさえも浄化しそうなほど、美しい輝きを纏っていた。
 いつか、僕も彼女に浄化される日が来るのかもしれない、なんて思いながら。
 見つめる先に居るのは、僕を救ってくれる女神か、それとも破滅に導く阿修羅か。
 願わくば、前者で居て欲しいがこれは虫が良すぎるというもの。
 せめて僕は救われなくとも、世界が彼女の手で救いへの道筋を辿ることを祈ろう。






20050922  七夜月

遙かなる時空の中で TOP