自由と束縛




 いつだって君は、自由の人だった。
 君の辿る道に、迷いが無いことはわかっていた。
 鳥のように、その自由に飛ぶ姿や好きなときに鳴ける姿を見るのが好きだ
 そう、僕がいつだって憧れていたのは、限りない自由。

「……っけい、弁慶!」
「あ、あぁ……九郎、なんですか?」
ぼんやりとした調子で弁慶が九郎に振り向く。
「どうしたんだ、お前が話を聞いてないなんて珍しいな。身体の具合でも悪い のか?」
 戦場では決して見せない、心を許しているものへ向ける旧友の顔。
 そしてそれは、自分も同じ。
「違いますよ。少々寝不足なだけです」
 九郎でなければ、きっと弁慶は何が何でも話を聞いただろう。
 親密であるから行える甘え、それこそ弁慶も九郎に心を許している証だった 。
「またか。お前最近多いぞ。戦場に出れば、寝不足一つだって命取りになる」
「解っていますよ。あぁ…普段人の話を聞かない君に説教されるなんて、自分 が相当重症だということも良く解りました」
「何はともあれ、自覚したのなら良かったな」
 嫌味だったんですけどね。
 そうやってさらっと流されてしまうと、時折九郎は解っていてやってるのでは なかろうかと疑ってしまうときがある。
「そんなことよりも、お前の方はどうなっている。手はずどおり動くようになって いるのか?」
「えぇ、大丈夫ですよ。総門を押さえるという重要な役割を任されたんですか らね。手を抜くなんて、出来ません」
 我ながら自分の言葉に皮肉めいたものがある。
 この後に起こるであろう最悪の事態、解っていながら今弁慶はこんな風に 九郎と話をしているのだから。
「後ろは任せるぞ、よろしく頼む」
「解っています」
 嘘だった。そんなこと、言われても自分が答えられないことを、自分は知っ ている。
 自分だけが、これから起こることを知っているのだ。
 たとえそれがどんな道であろうと、自分がなし終えなければならない仕事だ 。
 甘えも夢も友も、阻むものは全て切り伏せる。
 邪魔なものは、何もいらない。
「? 望美? どうしたんだ、そんなところで」
 九郎が弁慶の肩越しに、こちらを凝視している望美を見つけて声をかけた。
 声をかけられた望美は、ハッとしたように視線を外したが、気まずげに歩き 出すとこちらへやってきた。
 見つけられて、そのまま無視することも出来なかったのだろう。
「弁慶さん。総門の守りは、本当に大丈夫ですか?」
 まるで、天気の様子でも話すかのように、望美の言葉はさり気なかった。
「……もちろんですよ」
 それに同調して何事も無いように、弁慶は笑顔を浮かべて答える。
 しかし、望美の顔が笑顔になることはなかった。
 弁慶の言葉は彼女の表情をより堅くさせただけである。
「だったら、どうして……」
 無意識に呟かれた言葉。その響きは、いつもの望美の声とは違い、堅さが 目立った。
「…………望美さん?」
「どうして……!」
 嘆くように震える声。意図して悟られぬようにしているのが、弁慶にだけは 解った。否、伝わってきた。
「だけど……それでも、私は……弁慶さんを信じてますから」
 まっすぐに視線がぶつかる。
 逃れられないほど綺麗な瞳は、弁慶を美しい陶器で閉じ込めるようだった。
 望美は言い終えると、弁慶と視線を外して立ち去っていった。
 何か気付いているような、そんな考えが一瞬だけ頭を横切る。
 だが、彼女にもわからないようにしてきたはずだ。
 彼女以外に誰にも言ってはこなかったのだから。
 普通だったら信じたりしないはず。
「俺も、お前を信じているからな」
 ふと、さり気なく九郎からも付け加えられた。それは紛れも無い友への励ま し。
「君も、ですか。それは光栄ですね」
 軍を率いる将と神子に期待されるのは普通だったら悪い気はしないだろう。
 だけど、九郎と望美の想いが純粋であればあるほど、それは弁慶を締め付 ける結果となる。
 自由に、どんなときでも自由に、九郎は自分の気持ちを言葉に変えていた。
「いつだって、君はそうだ」
「何の話だ?」
「君はいつだって、心が自由なんですよ」
 人を信じることに迷わない。こうと決めたら必ずやり通す。
 兄上という対象に束縛されているはずなのに、そうであればあるほど、九郎 の心はいつだって自由だった。
 彼のために働くことが史上最大の喜びと思えているからだろう。
「僕はいつだって、自由にはなれなかった」
 九郎と対照的な自分。
 身体の自由が利けば聞くほど、弁慶は過去の妄執に捕らわれていった。
 自覚していても、やめなかった。
 止められるはずが無い。全ては自分のせいなのだから。
 全てを一からやり直すため、出来ることは全てそれに費やした。
 人を殺めることも、人を裏切ることも、全てはその過程に過ぎないのだ。
 けれど、本当は……。
「僕はずっと、君が羨ましかったんですよ、九郎」
 今度こそ本当に、偽りの無い笑顔で、弁慶はそういった。
 形式的な褒め言葉ではないそれには、九郎も驚いてしまい小さく息を呑む。
「どうしたんだ、弁慶。お前、寝不足で風邪でも引いたんじゃないのか?」
「残念ながら、熱はありませんよ。それでは、僕は準備に入ります」
 誤魔化した弁慶には、もう想い残すことなどなく、静かに九郎を後にした。
「簡単に切り捨てられるものならば良かったのに」
「なんだ?」
 呟きは九郎の耳に入ることなかった。
「……いいえ、何でもありません」
 静かに首を振った弁慶は、顔を上げる。
 その顔には、もう何の感情も伴っていなかった。


 了




きいこさまへ捧げます。リクエストありがとうございました!

    20051108  七夜月

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