XXX 2 「それじゃ、始めましょうか。まず一問目から」 その言葉で始まったテストも、弁慶の理解力と推理力(実力といったほうがいいだろうか)の良さにより実にあっさりとクリアしていってしまった。 残るは一番最後、望美が精一杯頭を悩ませた問題の最もたるものである。 「べ、弁慶さん……早いですね……もう最後ですよ」 「そんなことありませんよ。君の『ヒント』が解りやすいんです」 にこっと微笑まれても、望美は少々複雑である。あんだけ頑張って考えたのにこうもあっさり答えられてしまうと、少々つまらない。 「それじゃあ、キスとはどういう意味でしょう」 だが、さすがにこれは難しいだろう。 「きす、ですか? 魚ではないんですよね」 「えぇ、そうですね。漢字で書くとまったく別なものになりますから」 キスはさすがに解りづらいだろう。だが、まぁヒントを出すほうも少々考え物ではあるのだが。 「えーと、恋人同士の想いを伝える手段の一つです」 これでどうだ!と望美にしては最大のヒントを出してみる。 「恋人同士の想いを伝える手段、ですか……、難しいですね。僕はヒノエではないのでそういうことには詳しくないんです」 そういうものかな…好きな人にしたいと思うのは普通だと思うんだけど……。 っていうか、結構弁慶さんも詳しそうなんだけど。 心の中で思っていても、望美はそれを口には出さなかった。 「では、君が実践してみてくれませんか? 僕を恋人だと思って」 「はぁっ!?」 飲み物を飲んでいたら間違いなく噴出してたであろう。望美は大量に空気を吸い気管につまってげほげほとむせながら、爆弾発言をした張本人を涙目で見上げた。 「……そこまで拒否されると、さすがに傷つきますね」 「いえ、拒否って言うか……じゃなくて! そういうのは好きな人とするべきものです!」 「出来ませんか?」 「出来ません! 当たり前です!」 望美だって心の準備というものがある。ファーストキスの憧れのシチュエーションというものだってある。なのに、こんな形でそんな……キスするなんて出来るはず無い。 「そうですか、それではキスというのは君がそこまで拒むものなのですね」 「え? 拒むって言うか……その、色々と私にだって都合というものが」 「どうすれば君は拒みませんか? せめて『ヒント』になるような雰囲気だけでも教えて欲しいのですが」 「ヒントになるような雰囲気?」 そんな抽象的なこと、やれといわれてできます、なんていえるはず無い。 「あの、ですね。えーっと……」 あっちこっちに目が泳いでるのが自分でもよく解る。弁慶は先ほどから望美から視線を離さなかったし、そんな風にジッと見られるととても居心地が悪い。 「そ、そうだ! 宿題にしましょう! 明日までの宿題! 今日一日考えてもらって、明日答え合わせするんです。ね?」 そうと決まれば、さっさと立ち去るのみ。望美は立ち上がると、弁慶から離れるため部屋を出ようとした。 「ダメですよ」 だが結局、後ろから抱き抱えられる様にして、望美は引き戻されてしまった。 立っていられなくなって、ぺたんと座り込むと、そこは畳の上じゃなく、弁慶の膝の上だった。 「べ、弁慶さん! あの、離してもらえないでしょうか?」 「離したら君は逃げてしまうんでしょう? いけませんね、 先生が先に帰ってしまうなんて」 「しゅ、宿題は自分の力でやらなきゃいけないと思うんですけど……」 「それでは居残り勉強、といったところでしょうか」 ああいえばこういう。弁慶はまさにそれを地で行う男であった。 「さ、先ほどの続きです。キスの意味を教えてください」 「この状態でですか?」 「君が逃げてしまいますから」 ぎゅっと、更に強く抱きしめられて、望美の心拍数が相当な危険領域に達しそうだ。 「ふふ、君の鼓動が早鐘のように鳴り響いてますよ。これがドキドキする、ということですね?」 「……そうです」 まるで悪戯を仕掛けた子供のような陽気さで、弁慶は笑いながらそういった。 優秀な生徒を持って、幸せだ。と、望美は皮肉交じりに溜息をつく。 「それじゃ、教えてください」 「解りました」 ふっと一息つくと覚悟を決めたかのように望美は弁慶を見据えた。 「目を瞑ってください、絶対開けちゃダメですよ? いいって言うまで瞑っててくださいね?」 「はい、解りました」 言われたとおり、弁慶は素直に目を閉じる。弁慶の唇を見て、改めて望美は赤面した。 ゆっくりと顔を近づけて、ぎゅっと目を瞑る。すると、 ぷに。 弁慶の唇に、暖かいものが触れた。驚いて目を開けてみれば、そこには恥ずかしそうに顔を赤らめながら弁慶の唇に指を当てている望美がいた。 「こういうことです」 「……なるほど。つまりキス、とは口付けのことだったんですね」 「えぇ、まぁ……そういうことです」 弁慶の力が緩んでる隙を突いて、望美はその腕から脱出した。 「すごいですね、弁慶さん! 最後の一問は惜しかったですけど、他は全部当たりですよ!」 その場の甘い雰囲気を誤魔化した望美にいわれても、弁慶の表情はさほど嬉しそうには見えなかった。 「やっぱり、難しかったですか?」 「そうですね」 「じゃ、今度はもっと簡単なものにします!」 「そうしてくれると、嬉しいです」 どことなく、落ち込んでいるようにも見える。弁慶の浮かない顔つきというのは望美だって見たくは無い。うーんと唸ってから元気付けるようにそっと肩を叩いた。 「元気出してください、一問くらいどうってことないですよ」 「えぇ、ありがとうございます」 「それじゃあ、私は向こうに戻りますね? 何だかお腹も空いてきちゃいましたし」 「わかりました、すぐに僕も後を追いますから」 「はい、それじゃ」 さきほどの雰囲気はどこへ行ったのか。 なんともあっけなく望美はパタパタと走って行ってしまった。 そんな望美の後姿に、弁慶はふぅっと溜息をつく。 「もう少し、だったんですけどね」 そんな呟きを聞いたら望美は卒倒してしまうだろう。 弁慶だってキスの意味を知っていたわけじゃない。ただ、何となく想像はついていた。だからこそ、あんな風に迫ってみたのだが。 恥ずかしがり屋の彼女には逆効果だったようだ。 「まぁ、まだ好機はあります。いずれまたということで」 ふふっと、弁慶は小さく笑った。 そんな弁慶の企みを知る人は、誰もいない。 了 20051117 七夜月 |