loss for words 「ねぇ、望美の彼ってどんな人?」 私は時々言葉に詰まる。 今日これから遊びに行ってもいいですか?と電話したのは20分前。 いつもの優しい声音で「いいですよ」といわれ、望美は宣言どおり今弁慶の自宅に押しかけていた。 電話口で仕事が少し忙しくて構ってあげることは出来ないと言われていたので、こうしてただ黙ってクッションを抱えてソファでごろごろすることに異存は無い。 元より、今日は観察する目的で来たのだから、構ってもらったら出来なくなるだろうし、逆に良かったかもしれなかった。 「では、すみませんが僕は少し向こうで仕事してきますね」 わざわざお茶を煎れていってくれた弁慶はそう言葉を残すと書斎の方へと篭ってしまう。が、ソファでごろごろしてても本人が居ないのでは意味がない。 しばらく考えた末に起き上がると、控えめに書斎のドアをノックした。 「あの、入ってもいいですか? 邪魔しませんから」 ドアが開き、弁慶が困ったように顔を出した。 「構いませんけど……足の踏み場は無いですよ?」 この書斎がどうなっているかなんて百も承知だ。本で埋め尽くされた棚だけに収まらずそこら中に山積みになっている本を崩さないようにして歩くのには結構なテクニックが必要とされるのだ。望美もそれは学んだことである。 こちらの世界に来てからというもの、弁慶の知識欲は収まるどころか膨らむばかりでいつの間にか増えていく本とその山に望美は軽く頭を抱えたい思いである。 「弁慶さん、今度の休みお手伝いしますから、ちょっとこの部屋整理しましょうね」 「すみません、読み出すと止まらなくなって、ついつい買ってしまうんですよ」 だからって図書館があるじゃないといいたいところを制して、望美は手近なところを軽く掃除するとそこに座った。 「この部屋の本、読んでてもいいですか?」 「どうぞ。君が読むような本では無いかもしれないですけどね」 「大丈夫です、コレだけあれば興味が出るものもきっとあると思います」 蔵書数が半端じゃなくなると、本が重すぎて床の補強工事をしなくてはならないので大変だということを、ふと図書室の先生が言っていたのを思い出す。急に階下の人が心配になった。やはり今度の休日はこの部屋を整理しなくては。力仕事が必要なようであれば、将臣くんを呼ぼうと決めた。 キョロキョロと見渡し、自分が興味でそうな本を探す。建前はどうであれ、今日は観察をしにきたのだ。その目的だけは忘れない。 その時目に入ってきたのは薬学の本かと思いきや料理本だった。その他ノンジャンルと言いたげに様々な種類の本が山積みされていることに気づく。どうしたって仕事には関係なさそうな本も見られた。 「ビーズと刺繍……?」 なんでこんな本まで買うのか謎だった。そんなにビーズや刺繍がやりたかったのだろうか。柄じゃないと思ったが、案外似合いそうではある。手先の細かさなら幼馴染の弟分が望美の中で一番器用なので今度彼に相談したらどうかとアドバイスしようと思ってやめた。 ……なんだか、どうでもいいことばかり頭に思いつく。 とにかくその中から一冊料理本を抜き取ると、望美はぱらぱらめくった。本を盾にしているものの視線の先は弁慶である。ジッと見つめて、彼の一挙一動すら見逃さないようにと気配を殺して見守った。 「私の彼?」 「うん、だっているんだよね。付き合ってる人」 「う、ん…まぁ」 「それってさ、有川兄弟よりもカッコいいの? というよりも、幼馴染の有川兄弟に勝るほど一緒にいたいと思う人なの?」 「将臣くんたちより……? うーん、比べ物にはならないな、だって次元が違うもん。でも、一緒に居て幸せな気分になるのは将臣くんたちじゃない、かな」 「ふーん。そんなもんなんだ。それじゃあ…ねぇ、望美の彼ってどんな人?」 答えられなかったわけじゃない。言うべき言葉は幾つもあった。 優しい人とか、知識欲の高い人とか、自分を大事にしてくれる人とか。 けれど望美は言葉に詰まった。そのどれもが、言うのは簡単だけれど弁慶を表すというには何かが欠けている気がして。 だから弁慶を観察しようと思った。観察していたらもしかしたら彼にピッタリな表現が浮かんでくるかもしれないと思ったから。 「………………」 同じ空間に居るのに、お互い無言でただ目の前にあるものを見続ける。本をめくる音、書類に書く音。どれもが無機質で温かみのない音ばかり。 「あ」 急にそれが寂しくなってつい意味も無く声を出してしまった。邪魔しないといったばかりなのにと即座に後悔したが、弁慶には聞こえて無かったのか反応しなかった。それに安堵しつつも少しだけ虚しかった。 やがて、部屋には望美が頭にも入ってこない料理の本のページがめくられる音だけになる。 やけに静かになったので、望美は立ち上がるとそっと弁慶の様子を伺った。 「……………寝てる」 軍での生活での慣れだろうか。本当に小さな寝息で、最初は目を閉じて考え事をしているのかと思ってしまったくらいだ。 それに呆れることは無かった。むしろその珍しい光景に少しだけ感激したものだ。弁慶の寝顔を見ることなんて、向こうの世界でもこっちの世界でもかなり貴重な出来事だったのだから。 本の山を崩さないように、足音を立てないようにと静かに歩いて望美は隣の寝室へ向かった。掛け布団がベットの上に敷いてあったが、それでは重そうと思い、結局はクローゼットに入っていたブランケットを弁慶にかけてあげた。 きっと疲れているんだと思う。『新参者は3倍の努力をしないと認めてもらえないんですよ』という言葉を彼が冗談交じりに言っていたことが蘇る。こちらの世界に来て、何も解らなくて、それでも頑張って仕事をして認められようとしている。それも全て、望美といるために彼が選んでくれた道だ。 きっとこの世界に来て後悔したこともあるだろうに、彼は弱音一つ見せずにただ何も言わずに微笑うだけ。 望美はそんな彼に甘えていたことを知った。 きっと今、また同じことを聞かれても答えは詰まるだろう。 だって解ってしまったのだ。彼を一言で表す言葉はこの世界に存在しないこと。彼は一言で表すことなんか出来ない人だ。形容するのがすごく難しい。上げていってもキリがないのだから。 だから私はいつも答えを詰まらせる。というか、きっとどんな風にしていったらいいのか解らずに、混乱してしまうだろう。それでも答えを求められたら、笑顔でこういうしかない。 「私のすごく好きな人だよ」 きっと答えになってないって、友達に小突かれてしまうだろうけど。 了 20060328 七夜月 |