Leave me alone



「それで? 君はまたこんな所で何をしてるんです?」
「…………放っておいてください。私、怒ってるんですよ」
 納屋の中で一人膝を抱えて背中を向けている奥さんの姿に、弁慶は小さく嘆息した。
「確かに、黙っていたのは僕が悪かったですね。でも」
「………………もう、放っておいてくださいってば!」
 やれやれ。
 ご機嫌斜めな奥様は、暫く話をする気も無いらしい。
 弁慶は少々肩を竦めると致し方なしに納屋に背を向けた。
「風邪引く前には、ちゃんと家の中に入ってくださいね」
 望美の抵抗など意に介した様子の無い子ども扱いなその台詞に、望美の怒りが頂点に達した。
「〜〜〜〜〜っ! 絶対、入りませんから!」
 弁慶が振り向く間もなく納屋の扉は、激しい音と共に閉められた。
「困りましたね……」
 大して困っていなさそうな調子で、弁慶はそう呟いた。

「仕事で遠出…ですか?」
 棚で薬草の整理をしていた望美は驚いたように振り返る。
「えぇ、まあ半月くらいなんですけど…少し北の方に」
 すり鉢の手を止めずに、弁慶はまったりと頷いた。
「そんな急に…、いつですか?」
「明後日です」
「明後日!? 急すぎますよ、そんな! だって全然何にも準備してないじゃないですか!」
「明日します。たいした準備をしなくても、事足りますから」
「そうじゃなくって! 何でもっと早く言ってくれなかったんですか!」
 これは主婦としてのプライドの問題だ。望美だって、早くから解っていれば弁慶が不自由しないように、ちゃんと奥様として身支度を手伝えたのに。
「それは……」
 珍しく歯切れの悪い弁慶の言葉に、望美はピンと来た。
「もしかして、忘れてたんですか? このごろ、忙しかったですもんね」
「いいえ、そういうわけじゃないですけど」
 はっきりと否定したのに、弁慶の言葉は相変わらず尻切れトンボのようだ。
 じっと言葉を待つ望美、弁慶は逃れられないと知って溜息と共に言葉を出した。
「……言いたくなかったんです」
 その言葉は、望美に少なからずショックを与えた。
「どうして? どうして言いたくなかったんですか? 私には、いえない場所に行くんですか?  それとも、ものすごい危険なところなんですか?」
「質問攻めですね」
 苦笑した弁慶にムッとした望美は、持っていた薬草を無理やり棚に押し込んだ。
 薬草なのだから丁寧に扱わなくちゃいけないことは解っている。解っているけれど、苛立つ 感情を目の前の相手にぶつけないためには、何かに発散しなければダメだった。
「当たり前です! 心配してるんですよ、これでも」
「だからですよ、心配するから言いたくなかったんです」
「心配くらい、させてください! それとも、私は心配すらさせてもらえないダメな奥さんなんですか?」
 望美はくるりと弁慶に背を向け、そのまま家を飛び出した。
「望美さん!」
「ついてこないで!」
 その言葉の後、大きな音で納屋の戸が閉まった音を聞き、弁慶はいつものように溜息をついた。



 遠くに行ってない事は幸いというか、この距離では『ついてこないで』もないと思うのだが。
 しばらく納屋の前で考えていた弁慶は、諦めたように家の中に戻ってしまった。
 離れていく足音を納屋の中で聞き耳を立てていた望美は、肩を落として手に息を吹きかける。
 秋も深まり、最近は朝方は冷えるようになってきたから吐く息は暖かい。
 手がかじかむというほどではないが、うっすらと息が白く色付き始めている。
 こんな風に夫婦喧嘩をするのは大体望美が怒ったとき。
 弁慶はあんまり怒らないから、いつだって望美が癇癪を起こして喧嘩になってしまうのだ。
 片方は怒っていないのだから、喧嘩というのもおかしいけれど。
「あーあ、もう……子供扱いしないでって言ってるのに……こんな態度じゃ呆れられてもしょうがないよね……」
 自分がしている態度は、まんま子供だ。
 一人呟いて、今更に後悔する。
 が、あそこまで啖呵切ってしまった手前、のこのこと表に出て行くというのもなにやらしづらいものがあった。
 あんな理由だったなんて、というのが頭をもたげて離れない。
 ここのところ、忙しくて昼間はあまり話すことが出来なかった。
 だから、時間が持てなかったといわれれば、それで満足したのに。
 言いたくなかった、というのはさすがに堪えるものが望美にはあったのだ。
 ただの高校生であった春日望美は、こちらの世界ににきて白龍の神子としての仕事を終えると、ただの何も出来ない役立たずの娘でしかなかった。
 料理をするにしたって、ここにはガスコンロなど無い。火加減からすべて自分でやらなきゃならないし、洗濯物だって洗濯機なんて便利なものも無い。川に行ってひたすら自分でごしごし洗って、木と木の間にかけられた紐に、洗濯物をかける。
 それだけでも一人ですらすらやれるようになるのに結構な時間がかかってしまった。
「こんなことなら、譲くんにこっちでの料理教えてもらうんだった……」
 弁慶は望美が作ればなんでも食べるから、好きなものっていうのもいまいち解らない。
 今になって、望美は弁慶のことを殆ど知らないことを知る。
 秘密主義は戦をしているときが一番だったが、戦が終ってもあまり必要以上に自分のことは喋ろうとしないのが弁慶だった。
 多分、生きてきた環境のせいで、元々そういう風な性格なのだろうけど、やっぱり夫婦なんだから何でも話して欲しかった。
「私ばっかり弁慶さんに話してる気がする」
 多分、弁慶は望美のことを望美が弁慶のことを知るよりも多くのことを知っているだろう。
 聞けば答えてくれるけど、聞かなきゃ言わない人だから。
 逆に言わなくても自分の希望を言うタイプの望美は、聞かれてないのに喋っていることが多い。
「そう考えると、私って相当図々しいよね……」
 一気に落ち込んだ。
 夫婦間の図々しさってどこまで許されるんだろうなんて、自分を卑下するかのように思考が更に発展していく。
 ガラッ。
 納屋の戸にもたれかかって深く考え込んでいたせいで、だから望美は咄嗟に反応できなかった。
 いきなり開いた扉に、体勢を崩した望美はそのまま外にごろんと寝転んでしまう。
 鈍い音が、望美の後頭部から発せられた。
「いったぁあ〜……」
「すみません、大丈夫ですか? まさか扉に寄り掛かってるとは思わなかったから」
 弁慶は目を丸くして、望美が起き上がるのを手伝ってくれた。
 今の衝撃で直りかけていた望美の機嫌が再び悪くなる。
「何しにきたんですか?」
 ふてくされながらそういえば、弁慶はちょっと考え込んだ後にこっと笑った。
「奥さんのご機嫌取りでしょうか?」
「私に聞かないでくださいよ。大体、質問に質問で返すのはよくないんじゃありませんでしたか?」
「そうですね、そうでした」
 そしてぐいっと望美を抱き寄せると、そのまま横抱きにした。
「えっ、な、何するんですか!」
「言っても聞かなそうなので、強制手段です。だいぶ冷えるようになりましたから、納屋でなんか寝たら怒りますよ」
 怒ると言った時の声音は薬師としてのときのものだった。
 望美はその声には逆らえない。
「……一人にしてくださいってば」
 悔し紛れに強がりを言ってみるが、弁慶は一瞥くれただけだった。
「君がそうしたいのなら、ご自由にどうぞ。ただし、家の中でという条件がありますけど」
 意外に冷たい反応に、望美はやりすぎたかもしれないと不安が芽生えてくる。
「何故君はそんなに怒ってるんですか」
 呆れた呟きに、望美の気分は下降していく一方だ。
「怒ってるのは弁慶さんじゃないですか」
「最初に怒ったのは君ですよ」
「だって……あんなこと言われたら、怒りますよ、普通」
「僕の言い方が悪かったんですね。それは謝ります、すみませんでした」
 でも、と珍しく弁慶は続けた。
「君に言ったら、君は心配しますよね」
「だから、そんなの当たり前じゃないですか……」
 先ほどまでの威勢はどこにもなく、拒絶されることを恐れて語尾が弱々しくなる望美。
「それだからですよ。君に心配されるのは嬉しいです。けど……」
 弁慶の手が、望美の瞼に添えられる。視界が遮られて突如、望美は暗闇に見舞われる。
「君のその心配そうな顔を見たくないんです。君にはいつでも笑っていて欲しいという、僕の我儘ですけどね」
「そんな……」
 情けない声しか出なかった。心配していたら心配する顔しか出来ないのに、そんなこと言われてもどうしようもない。
 パッと視界が明るくなり、見慣れた大事な人の顔がある。
「笑って見送って欲しいんですよ。半月も君の顔を見ないのに、一番最後に見た顔が心配そうな顔だなんて、僕も辛いですから」
「うぅ……」
 良い奥様への道のりは、まだまだ長く険しく厳しいようだ。感情表現を上手く顔に出さずにいようとするのは、今の時点では非常に難しい。
 自分でも解っている。感情を抑えるのが苦手というわけではないはずなのに、気付くと感情を露わにしているのだからしょうがない。
「……ごめんなさい。子供っぽいことばっかりして」
 結局根負けして、望美は謝罪した。
「いいえ、いいんですよ。その飾らない心が、君の一番大切なところなんですから。でも、そうですね……仲直りはちゃんとしなくちゃいけませんよね」
「え」
「君と離れるととても寂しいですから。せめて寂しさが和らぐようにしないと、ね?」
「え、えぇ、えぇぇええ?」
「君の身体も納屋で少々冷えてしまったようですから、暖めてあげなくては」
 含みがある言葉に、何を求められているか理解して、望美の顔が引きつった。
「いいいい、いいです! あの、暖炉で暖をとったほうが明らかに早いと思いますし!」
「ふふっ、君が妻の務めを果たしてくれるように僕も夫の務めを果たさなければ。明日は起きられないかもしれませんよ」
「あっさり恐ろしいこと言わないでくださいよ!」
 さらりと告げられた言葉に、顔を紅くしたり青くしたり、とにかく忙しい望美だ。
 他人の内部には迫るくせに途端に逃げ腰になる望美を抱く力を強めて、ね?と弁慶は微笑んだ。
 無論、望美の言葉は聞いていなかった。

 翌朝、予告通りに自分の荷物を用意しつつも嬉々として起きられなくなった望美の世話をする弁慶の姿が見受けられたらしい。






   20060406  七夜月

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