貴方と微笑みあいたいから 2



「望美〜、何やってんの? 次の時間はここで日本史でしょ」
「あ、うん…待ってよ、教科書が見当たらなくて……あ、あった!」
「早くしなよ〜。先にご飯食べてるからね」
「わわっ、待ってよ〜!」
 学校の廊下には自分専用のロッカーが置いてある。そこで教科書を探していた望美はお目当てのものを発見して、安堵に胸を下ろす。下ろした胸が日本史という言葉を見てちくりと痛んだが、気にしないフリをした。
「さっ、貴重なお昼休み! ちゃんとご飯食べないとね!」
 大きな声を出して、無理に元気を出す。立ち上がって丁度視界の端に映った廊下の奥を見た。そこには珍しく教室にいないと思ったら、階段を上がっていく将臣の姿があったのだ。
「将臣くん…結局あれから何にも教えてくれないな。……昔はあんなにケチじゃなかったのに」
 将臣が視界から消えた次の瞬間、今度は譲の姿が目に入ってくる。
「譲くんも?」
 最近は兄弟で語らうこともなかったのに、一体どういった心境なんだろうか。
「気になるなぁ〜。ちょっとだけ覗いてみようかな」
 少しだけ興味が沸いたので、望美は教科書などをロッカーの上に置くと、こっそりと尾行を開始した。

 どうやら二人は屋上に向かったらしい。望美が一定の距離を測りながら二人の後をつけていると、上の階から屋上のドアが閉まる音が聞こえてきた。
 何でこんな人気のない場所までわざわざ移動する必要があるのだろうか。そんな重要な話をするんだろうか?
 なんだか良心の呵責が起きぬ訳でもなかったが、ここまで来てしまったら好奇心には抗えない。
 こっそりと、屋上のドアを開いて、隙間から覗き込んだ。
 二人の姿はなかった。
 もしかしたら反対側に回ったのかもしれないと、望美はドアを開いて壁にそっと身を寄せた。
「………から、あいつには言うなよ」
 やはり、ドアがある方と反対側に回っていたらしく、裏手から声が聞こえてきた。
「解ってるよ、兄さん。そのために、俺だけを呼んだんだろ? 家でも話せないってことは、あっちの世界のことだろうし」
「さっすが譲、察しがいいな」
 二人の会話を聞いていた望美は蚊帳の外状態の自分にムッとした。
 出て行って文句を言ってやりたいが、きっと望美がいると解った時点でまたもや話してくれなくなりそうだ。
 ここは一つ、我慢することにした。
「まぁ、平家は清盛が消えちまったから、逃げるしかなかったんだけどさ」
「問題は、源氏か」
 譲が将臣の言葉を引き継いで、納得したように頷いた。
「史実どおりなら、あの後……」
「そう、頼朝の野郎は源義経を討伐するために、義経に兵を差し向けた」
 え? っと、望美は小さく息を呑んだ。
 何を言ってるんだろう。頼朝さんが、九郎さんに兵を差し向けた??
「あぁ。俺も源氏方にいたわけじゃねェけど、義経たちはそのまま京を落ちて平泉まで逃げたらしいぜ」
「平泉……こっちだと確かそこで、義経は藤原泰衡って人に裏切られてしまうんですよね」
 冷静な譲の言葉が妙に頭に入ってこない。壇ノ浦での戦いで、全て終ったはずじゃなかったのか。
「オレがいた時はそんな話は聞かなかったけどな。でも、平泉はたぶん落ちるだろう。あんな大勢の兵に囲まれて、尚且つ平泉勢は源平合戦に介入せずに傍観していた。実戦経験のない奴らだぜ? 勝負の差は目に見えてる」
「それじゃあ、義経勢は……」
「こっちの史実どおりなら皆、確実に死ぬだろうな」
 将臣の言葉が、望美の胸を貫いた。
 死ぬ?
「うそ……」
 思わず声に出してしまっていた。
 その声に気付いた将臣と譲が振り返り、望美の姿を認めて目を丸くした。
「……っ!望美? 何でここに!」
「ねぇ、どういうこと? なんで九郎さんたちが死ぬの? どうして頼朝さんは九郎さんたちを討伐するの!?」
 こうなることが解っていたと言いたげに、将臣は口をつぐんだ。
「教えてよ将臣くん! なんで、そんな大事なことを今まで黙ってたの…!」
 将臣の腕を掴み、必死に揺すって感情的に叫ぶ。
 その手を将臣は振りほどき、望美から顔を背けた。
「知ったところで、俺たちにはどうにもなんねぇ。だったら、最初から知らないほうがいいだろ。ましてや、お前…源氏の神子だったんだろうが」
「それでも、知らないよりは知っていたほうがいいに決まってる!!」
「先輩、兄さん……少し落ち着いてください」
 口げんかを始めそうな二人の気配を敏感に感じ取った譲は間に入って二人を引き離した。
「何で? これが落ち着いていられるわけないじゃない。譲くんは平気なの? みんなが死んじゃうんだよ!」
 望美が譲を睨みつけると、譲は喉を詰まらせてから静かに答えた。
「………平気なわけ、ないじゃないですか。俺でさえ、こんな風になるんだから、きっと先輩はもっと傷ついてる。だから、兄さんは先輩には言わなかったんだと思いますよ」
 言わないのは言わないなりの理由があると、言外に諭されて望美の頭も少しだけ冷えた。
「ごめん…でも、私のためなら、尚更…教えて欲しかったよ」
「……わかったよ、その点についてはオレが悪かった。除け者にされたら、そりゃ怒るよな。お前だって当事者だったんだから」
「…………………」
 沈黙が三人の間に落ちる。が、望美はハッとしたように名前を告げた。
「……けいさんは?」
「誰だ?」
「弁慶さんは? 弁慶さんがどうなったか、将臣くん知ってる?」
 必死な形相で尋ねてくる望美に、将臣は少々圧倒されてしまう。
「弁慶って、あの弁慶か? やっぱ源氏の弁慶だったのか」
 将臣は少し考えた後に、首を横に振った。
「オレが知ってるのは、義経一行の中には弁慶も含まれてたことだけだ。平泉についてからのあいつらについては、悪いが俺にはわからねぇ」
「そう……それじゃあ、こっちの史実だとどうなるの?」
 望美の表情は硬い。将臣は答え難いようで口を閉ざした。譲も視線を合わせようとしない。それが、彼らが弁慶の最後を知っている証だった。
「それは……」
「お願い、隠さないで教えて」
「確か、義経を庇って……全身で矢を受け止めて死ぬんじゃなかったか?」
「全身で……矢を受けて?」
 死ぬ。
 ギュッと、望美は自らの腕を跡が残るくらいに握った。
 戦が終らないと言った彼の本当の言葉の意味が、ようやくわかった。
 この運命を……こうなることを知っていて、弁慶は望美の気持ちを受け入れつつも拒んだのだ。突き放して、危険から遠ざけようとした。
 今の、将臣と譲のように。
 なのに、自分は何も知らずに…こうしてのうのうと生きている。
 それが弁慶の望んだことだと解っていたけれど、望美が望む事ではなかった。そんなことを知っていたら、もっと別の未来を切り開いたのに。
「私、いつだって……何にも知らされないで守られてきたんだね……」
 いつだって笑っていたから、望美には弁慶がどんなに重いものを抱えているかなんて、気付きもしなかった。
 一緒に来てくれないことに、憤りすら覚えた。
「最低だよ、私……」
「違います、先輩。先輩が傷つかないようにって、そうする道を選んだ俺たちが悪いんです。こうやって裏目に出て余計に傷付けてしまったけど」
 望美の肩にそっとで触れて、譲はそういった。
 以前、弁慶も同じこといった。
 大輪田泊で平家の船を追撃したときも、弁慶は望美に嘘をついた。
 あの時、望美を傷付けまいとした嘘が、結果的に望美が戻ってしまったから成り立たなかったわけだが、あの時も望美を守るためだったのかもしれない。
 そう、思い起こせばいつだって、弁慶の嘘は望美を守るためについていたように思う。
「私、行かなくちゃ……」
 守られてきた今の望美があるのは、彼が守ってきてくれていたから。
 傷つくことなんて怖くない。
 怖いのは、何も知らせずに望美の前から消えようとしているあの人。
 最後まで大事なことは何も言わないで、あちらの世界に残ってしまった。
 でも、望美ももうただ弱いだけの人間じゃないから。
 守ってもらった分だけ、彼を守る。
 そうすることが出来る力を持っているはず。
「行くって、まさか……でも、危険です! 先輩が行くなら俺も行きます」
「お前一人をあっちの世界になんかいかせらんねぇよ。俺も行くぜ」
「ありがとう……でも、ごめんね。これは私の問題だから。二人を巻き込むわけにはいかないの」
 望美は微笑んで、服の上から白龍の逆鱗を触った。
「お願い、白龍。聞こえてるよね? 私の願いを叶えて欲しいの。もう一度、時空の扉を開いて」

 ― もう一度、私をあの人のもとへ ―

 懐かしくもある鈴の音が、望美の耳に響いてきた。
 望美の名を叫ぶ将臣たちの声はもう遠い。
「今度こそ、きっと私が守ってみせる」
 そうして望美は再び、弁慶のいる時空へ跳んだ。


 了



   20060425  七夜月

遙かなる時空の中で TOP