灯った火



 暗い洞窟の中、頼りになる蝋燭の灯りが望美の顔半分を照らす。
 眠っている弁慶の容態はもう落ち着いたようですっかり顔色も良くなっている。
 洞窟の入り口近くで見張りをしていた九郎が、交代時間で戻ってきた。そのまま奥に行くと思いきや、やはり弁慶の容態が心配だったようで望美の横に座り込んだ。
「弁慶の具合はどうだ?」
「眠ってます、今はぐっすり……」
 弁慶の額に浮かぶ汗を布で拭いながら、望美は心底安心したように答えた。
「そうか……なら、もう大丈夫そうだな。お前も疲れてるだろう? 暫くは俺が代わる、お前も少し寝たほうがいいぞ」
「大丈夫です、疲れてなんかないですから」
 九郎からの提案も拒否するように、望美は弁慶の手を取った。
「今度は私が守るって決めたんです。だから、私は休んでられない」
 手が温かいことを確認して、その存在をしっかりと確認する。
「馬鹿か」
 九郎は望美にそう告げると、持っていた厚手の大きな布を望美の頭に落とした。
「守るなら尚更、いつでも動けるようにしておけ。休めるときに休まないと、いざというときに動けないぞ」
「九郎さん……」
「だから今お前に出来ることは、寝ることだけだ。弁慶が心配な気持ちも解るが、こいつならもう大丈夫だろう」
「はい、ありがとうございます」
 乱雑だが、その気遣いが嬉しくて、望美は笑顔を浮かべながらお礼を述べる。すると、実際に身体が疲れていたのか、壁にもたれかかっていたらすぐに瞼が落ちてきた。
 望美の寝息が聞こえるまで、時間はそうかからなかった。
「………っう…」
 入れ替わるようにして聞こえてきた呻き声に、九郎がハッとしたように眉を上げた。傍に寄れば、徐々に開かれる瞼。
「弁慶、気付いたか?」
「……ここ、は……?」
 虚ろな瞳に光はなく、彼が本調子でないことは手に取るようにわかった。九郎にしては珍しく、言いたい文句をグッと飲み込んで、事情を説明する。
「ここは、俺たちが隠れている洞窟だ。場所の特定は出来ていないが、お前が逃がしてくれてから、だいぶ北に来ているはずだ」
「君は……九郎? 何故、君が……僕は、平泉にいたはず、なのに…」
「あいつが……」
 九郎は反対側で静かに眠っている望美を指して、唇の端を持ち上げた。
「あいつがお前を連れてきたんだ。白龍の力を借りてここまで来たといっていた」
「では、源氏はまだ君を……」
「…………おそらくは、な。仕方が無いさ、俺ももう……覚悟は出来ている」
 九郎は手にしていた刀の鍔を哀しげに鳴らしてから、再び弁慶に向き合った。
「それよりも、もう二度とこんな無茶をするな! 血だらけのお前をあいつが連れてきたとき、どれだけ俺たちが心配したと思っている!」
「すみません……こうなるとは思ってなかったものですから」
 普通だったら、自分がここまで怪我をする羽目になるとは思わなかったととるべきなのであろう。
 しかし、自虐的な笑みを浮かべる弁慶がそうだとは、とてもじゃないが思えない。殺されるとは思っていなかったというよりも、生き残るとは思わなかったというニュアンスに取れる。それに気付かぬほど、九郎が弁慶を知らないはずはなかった。
「お前がこれを予測できないはずは無いだろう! それとも、お前一人で死ぬ気だったのか!?」
 思わず怒鳴り声を上げてしまった九郎は、ハッとして押し黙った。
「すまん、今はまだお前も休んだ方がいい。色々と混乱しているだろうからな」
「…………彼女は」
「なんだ?」
「……彼女は、無事ですか?」
 呻きながら、一言一言を確実に紡ぐ
 自分の身よりも何よりも、それが一番大事だった。
「あぁ、あいつなら心配は要らない。奇跡的にかすり傷程度で済んでいるそうだ」
「そう…ですか……」
 安堵した弁慶の呼吸が落ち着いていく。よくよく考えれば手だけは温かく、望美に握られているということに今更に気付いた。そんな弁慶を見て、九郎は溜息をつく。
「弁慶、これだけは言っておく」
「……なんでしょう」
「こいつを泣かせてくれるな。お前を連れてきたときのこいつ……手が付けられないほど動揺してたぞ」
 助けてくださいと、必死に九郎たちに懇願していたときの望美は、戦をしているときの気迫など微塵もなく、大切な人を心配する、ただの女性であったことを九郎は思い出す。
 あんな風に泣くことがあるなどと、初めて知った。それは、九郎が望美の背負ってきた運命を知らなかっただけでもあるのだが、それでも誰かのためにあんな風に泣ける人間を、九郎は知ってしまったから。
 もう一度、同じ目に遭うのを黙って見てなどいられない。
「こいつが泣かないためには、どうすればいいか……お前が一番解ってるんだろう?」
 九郎からの尋ねに、弁慶は言葉を失った。それは死する事を許されず、生きることを意味する。
「それは僕に、生きろということですか?」
「当たり前だ。俺は誰かの犠牲の上に自分の命を成り立たせたいわけじゃない。いざとなれば責任は自分でとるつもりだからな。絶対に先走ったりするなよ。誰もが幸せになれるように、最後まで一緒に努力しろ」
 仲間として、最後まで共に生きて欲しい。
 九郎の言葉が思いのほか温かくて、弁慶は内なる感情が込み上げて来て、小さく笑顔を作った。
「解りました……僕も、絶対にもう君や彼女を置いて先に逝こうなんて思いません。最後まで抗い続けます」
 ふっと、今度こそ九郎の口元が緩んだ。
「……………そうしてくれ。お前の怪我が治ったら、たくさんしてもらうことがあるんだからな」
「…ふふっ…治ったらまた大変な日々が……始まりますね」
 じっくりとその時をかみ締めているのか、弁慶の口調はゆっくりだった。
「仕切り屋のお前がいないと、場も引き締まらないからな」
「それじゃあ、ご期待に添えるように……努力しないとな」
 喋りつかれてきたのだろう。弁慶の口調が徐々に重くなっていく。そこで九郎も潮時を悟ったのか、一言「もう寝ろ」とだけ告げると、気を利かせたのか入り口近くに戻っていった。
 弁慶は繋がれた手をゆっくりと眼前へと持ち上げると、望美の手の甲に口づけた。
「本当に……君は戻ってきて…しまったんですね」
 弁慶の脳裏に、先ほどの必死に自分の名を呼んでいた望美の姿が浮かび上がった。
「僕の…た、めに…」
 それが純粋に、ただ嬉しくて。
 本当は喜んではいけないはずなのに、どうしても抑えられない。
 こうして今も手を繋げることが、何より自分が生きている証に思えてしまう。
「守らなければ、今度こそ」
 繋いだ温もりを絶対に失わないためにも、死ぬためじゃなくて『生きるために』。
「君は、僕が必ず守ります」
 小さな命の灯火が、弁慶の身体の中に宿った。
 それは小さな願いであり、決意であり、望美と手を取り合うための道。
 浅い呼吸を繰り返していた弁慶だったが、体力の限界が来て目を瞑った。
「そして……今度、こそ…ずっと…傍に…」
 言い終えぬ内に、言葉は寝息に変わる。
 未来を夢見て、今は幸せな夢を。
 入り口で二人の様子を見ていた九郎は、眠る二人が今だけは幸せな夢を見れるようにと、星空に静かに願った。






   20060514  七夜月

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