見張り



「……なぁ」
 茂みに隠れるようにして空の向こうを睨みつけていた九郎が、隣にいた望美に問い掛けた。考え込んでいた望美はハッとしたように顔を上げる。
「だいぶ冷え込んできたな……」
 雪の降ってきた北国の寒さは非常に厳しい。ぶるっと身を震わせて、望美も九郎の言葉に頷いた。
「そうですね……傷に響かなきゃいいけど……」
 心配なのは大事な人の身体だけかと、かつての友と仲間の内に生まれた新たな関係に、九郎もつい笑顔を浮かべてしまう。見せつけてくれる…と内心ごちても、本人たちが気付いていないのだから性質が悪い。
 いや、片方は解っててやっているような気がする。
「あいつなら平気だろう。もう、傷も塞がって歩けるほどだ。あまり心配しすぎると、逆に治りが遅くなるぞ」
「それはそうかもしれませんけど……って、そういえば、その弁慶さんは? 今は誰が看てくれてるんです」
「僕はここですよ」
 後ろから声をかけ、松葉杖の代わりにした錫杖を手にした弁慶が、髪を縛ることも無く現れた。栗毛色の髪が乱れた様子も無く外套の下で広がっている。
「弁慶さん!? ダメじゃないですか、そんな身体なのに……!」
「心配してくれてありがとう。でもあまり歩かないと逆に身体が鈍ってしまいますから、少しは運動しないと。そうそう九郎、向こうで呼んでいましたよ。これからのことについての確認だそうです」
「そうか、解った。俺は先に戻るが、お前はゆっくり来い。望美、後は頼む」
「はい、わかりました」
 急いで戻っていった九郎に力強く頷いて、望美は本来の役目を果たすために目の前に広がる崖下の森を見渡した。
「弁慶さんも早く戻ってくださいね。私はしばらくここで見張り番です」
「では、僕もしばらくここにいます」
 もはやそう決めてしまったのか、弁慶は既に帰るつもりは無いらしく、望美と同じように傍に座り込んでしまった。
「え、ダメですよ。傷に障りますから」
「大丈夫ですよ。治りかけの時に動かないでいると、逆に身体に悪いんです。それに、こんな時でもないと君と二人きりになれない」
 治りかけだろうと実際は大人しくしているべきだが、本音の気持ちが勝ってしまい、弁慶は心配かけまいと何食わぬ顔で嘘をついた。
「うっ、それはそうですけど……!」
 素直にそれを信じてしまった望美はあたふたと慌てめいてしどろもどろになりながらも結局肯定する。
 改めて思うと、助けに来たときを最後に二人きりというのは今まで無かった。あの時は弁慶を助けるのに必死だったし、それから九郎たちと会ってからはずっとみんなで行動していたために二人きりになることなどありえなかった。第一弁慶は病人だったのだ。看病として誰かが付き添っていたのはいうまでも無い。
 改めていわれると意識してしまう。
「それとも、君は僕と二人きりになるのは嫌ですか?」
「い、嫌じゃないです! 嬉しいです!……嬉しいからこそ、それじゃあ見張りにならないんですよ」
 くつくつと楽しげに笑う弁慶がからかっていることには気付いて、もうっと望美は頬を膨らませた。
「弁慶さん、私で遊びに来たんでしょう」
「まさか、そんなわけないじゃないですか」
「絶対そうですよ、私が赤くなるの見て、楽しんでるんだ」
「頬を染めた可愛い君が見られるのは嬉しいですけど、本当にからかいにきたわけじゃないですよ」
「楽しんでるんじゃないですか」
「ふふっ、すみません。でも、僕は君に言いたいことがあって」
 謝罪したということは、やはり楽しんでいるのだ。ムッとした望美は口を真一文字に結び、お茶目な軍師殿を軽く睨んだ。
 弁慶はそんな望美に気にした様子もなく、髪に触れると一房救って口付けを落とす。
「ありがとう。僕がこうして生きていられるのも、君が助けてくれたからですね」
「そ…れは……お礼なんて言わないで。私は貴方を助けたくて戻ってきたんです。私が貴方を失いたくなかったから」
「いいえ、結果的に僕の命は救われたんです。本当に感謝しています」
「本当にやめてください。私…弁慶さんがいなくなってたらなんてこと、考えたくない」
 嫌がるように視線を外した望美の頬を手で覆うと、弁慶は視線を合わせさせた。
「大丈夫です、僕は生きています。君に救われた僕として」
「…………はい」
「僕が触れていること、解りますね?」
「……はい」
 今更にじんわりと目に涙が浮かんだ望美。弁慶がこうして生きていることがこれほど嬉しいこととは思わなかった。
 また、それと同じくしてこんな目に一人であわせてしまった自分が悔しい。
 こんなことなら、何を言われても帰るんじゃなかったと、何度もした後悔が再び蘇る。どこまでが夢で何処までが現実か解らなくなりそうになったのも事実だ。
「すみません、泣かせるつもりはなかったんですが」
「ちがっ……嬉し泣き、です。弁慶さんがここにいてくれる…って」
「そうですよ、君の傍にいます。決めたんです、君を守って僕も生きると」
 額を寄せ合って、二人の距離は近付いた。
「僕は生きます。だから、君も僕が生きていられるように、傍で笑って見守ってください。君のことも、僕が守りますから」
「私も弁慶さんを守ります。絶対、一緒に幸せになってください」
 合わさった視線のまま、閉じた瞳が迎える問い掛けに答えるように、弁慶の唇が重なった。
 約束が叶えられるまで、せめて今だけはこうしていたい。傍にいることをようやく許されたのだから。
 見張りの交代になるまで、二人はずっと寄り添いながら離れなかった






   20060603  七夜月

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