最後の決断



 共に戦って欲しいと願っていた。出来ることなら最後まで。
 だが、もうそろそろ色々なことが限界だ。
「そろそろ潮時だな。選ぶべき時が来たという事か」
 竹馬の友は今迄本当によくやってくれた。だから、これからは本人の幸せだけを願って欲しい。
 共に戦う最後は、この国を出るときになるだろう。
「弁慶、望美……幸せにな」
 九郎は人知れず呟くと、考えを決意に変えて歩き出した。

「これからのこと、ですか?」
 川べりで軽く薬草を洗浄していた弁慶を突然尋ねてきた九郎は、これまた唐突な行動に出た。
「そうだ。ここらではっきりさせたくてな。お前、どうするつもりだ?」
 九郎から告げられた突然の言葉に、弁慶は考えあまねくように口を閉ざす。
「聞いておいてなんだが、はっきり言おう。俺はお前を逃亡劇に付き合わせる気は微塵もない」
 断固としてそう言い切った九郎は、弁慶の肩を軽く叩いた。少し前まではこの動作ですら痛みに顔をゆがめていたが、今ではもう完治に近いほど治っていたのだ。
「では、僕にどうしろと?」
 ゆっくりと紡がれた言葉。九郎はそれを聞いて当然だろうという顔をする。
「お前こそ、どうしたい?」
「聞いているのは僕ですが……でも、確かにこれを君に聞くのは卑怯ですね」
 弁慶の人生は弁慶のものだ。九郎に判断を委ねるようなものではない。
「俺は俺の意思をお前に伝えた。決めるのはお前自身だ」
「参考までに、君はこれからどうするつもりなんです?」
「俺は……大陸を渡ろうと思う。もう、この国で俺が受け入れられる場所など…ないからな」
 それは、覚悟の言葉だった。事実を事実として受け止め、また九郎は新天地で自らの居場所を探すつもりなのだということが、弁慶にも伝わってきた。
 だからこそ、己の決意もまたしっかりと固まる。
「そうですか……。九郎がそうだと決めたのなら、それが一番いいのかもしれませんね」
「ああ。だからお前もそろそろ覚悟を決めろ。あいつだって……本当は望んでいるはずだ」
 九郎はそれだけ言い残すと、弁慶を置いて先に行ってしまった。洗い終わった草をさっと布にくるむと、弁慶も立ち上がる。
 覚悟など、とうに出来ていた。ただ、自分は甘えていたのだ。
 九郎がきっかけを与えてくれることを。自らが言い出すことを恐れ、結局九郎任せにしてしまったことに、自己嫌悪を感じる。卑怯な男だ。
「僕もたいがい、九郎を言えませんね」
 彼は実直な男だ。見ているこちらがすっきりするくらいに、真っ直ぐな人柄。弁慶が彼に惹かれ、また彼のため、ひいては源氏のために動いたのもその性格があったゆえん。もしも彼があのような人物でなければ、きっと弁慶は己が為すための駒の一つとしか彼を考えることが出来なかっただろう。
「僕は結局、最後まで君のその性格に甘えてしまう」
 九郎が与えてくれたものは弁慶にとって大きな価値があった。何よりも捨てがたい、とても大切なもの。弁慶が人としての心を保っていられたのは彼のお陰でもある。

『お前は俺の親友だろう?』

 笑いながら、以前彼が口にしたとき、弁慶の胸のうちは嬉しさで震えていた。他の人間がそんなことを口にしたら、きっと冷めた感想を持つであろうこの自分が。
 そして気づいたのだ。自分にとって彼がどれほどの存在であったのか。弁慶の荒法師だった時から今日この日までを共に過ごした彼が考えていることは、弁慶は空気を吸うくらい簡単なことだった。それほどまでに、自分が彼を理解し、また彼の力となりここまでやってきたつもりだった。
 実際、九郎に頼られることが多いと第三者に見られがちな弁慶だったが、そんなことはなく、むしろ自分でも彼に対して無意識下で頼っているのが事実だ。
 だから、正直今回決めたこの決断が、自分にとって良いものかどうか……今はまだ解らない。
 けれどもう、決めたことを覆すつもりは無い。
 ……正直、九郎以外の人間に対して守りたいと思う感情が出来るとは思いもよらなかった。
 ある日突然現れた、白龍の神子 春日望美。その存在が弁慶を揺るがし、彼を九郎とは違った意味で変えた。
 九郎という存在とは別の、またかけがえのない存在である彼女と共に生きること。
「弁慶さーん! どこですかー?」
 呼ぶ声が聞こえる。弁慶は手を挙げ、その少女の呼びかけに応えた。
「こちらです、望美さん」
「あ、いたいた。九郎さんがこっちにいるって教えてくれて……何してたんですか?」
 興味深々な様子で弁慶の手に持っていた包みを覗き込む望美。
「少し薬草を水ですすいだんです。泥がつきすぎていたので」
「ああ、なるほど。身体の具合も良くなったみたいだし、良かったですね。これでまた自由に動き回れますよ」
 微笑んだ望美は、弁慶の隣に立ってもと来た道を振り返った。
「弁慶さんと九郎さんって、とても仲良しですよね……弁慶さん、九郎さんのこと大好きでしょう」
 臆面なくそういわれた弁慶は思わず真顔で聞き返してしまう。
「僕が九郎を?」
「そうです。だって、いつでも一緒に居るし」
 それは役職柄仕方ないというのもあるが、こうやって望美の口から大好きでしょうといわれても、答えに詰まる。リズヴァーンでは無いが、答えられない。
「あーあ、でも…なんだかなぁ」
「なんですか?」
「さっき九郎さんにすれ違い様に言われたんです。『弁慶はお前を選んだんだ。だから、俺があいつを手放しても後悔しないように、幸せにしてやってくれ』って。普通逆じゃないんですか? 九郎さんって弁慶さんの保護者なつもりなのかな……」
 納得できないといった心持の望美には悪いが、弁慶はたまらずに噴出してしまった。
「何がおかしいんですか?」
「ふふっ、九郎の言ったこともそうですが、君の言葉もね」
「私の?」
 不思議そうに尋ね返す望美には微笑みだけ返して、弁慶は心の中で親友に感謝した。自分は九郎に全てをさらけ出したつもりはなくても、やはり九郎にはわかっているのかもしれない。弁慶の気持ちももしかしたらお見通しなのだろう。
「望美さん、一つ僕から君にお願いがあります。聞いてくれますか?」
「はい、なんでしょう」
「僕を…君の世界に連れて行ってください。君の過ごした街で、僕も君と一緒に暮らします」
「それはお安い御用で……ええええ!!??」
 望美は叫んだまま口をぽかんと開けている。
「そんなに大声をあげるほど、不思議ですか?」
「だって、それってこっちに帰れないかもしれないんですよ!? そしたら、九郎さんとだって会えなくなるかもしれないのに……!」
「そうかもしれませんね、でも九郎が言ったのはそういうことです。彼にはきっと、僕が出す結論がわかっていたんでしょう」
 後は君の承諾を貰うだけですよ。弁慶がそういうと、望美の顔が途端に朱に染まった。
「君と一緒に、君の世界へ行ってもいいですか?」
 望美が帰りたいであろうことは知っていた。だから、弁慶も望美の願いを叶えたいと考えていたのだ。それには自分がここに残っては離れてしまうから意味がない。一緒に生きるのが最優先。
「で、でもそうしたら九郎さんたちは……!」
「九郎たちは大陸を渡るといっていました。ここではないどこかへ、彼らもまた生きる場所を選んだんです。だから、僕も選べと言われました」
 そうして選んだのが、望美と生きる道だから。
 望美にもちゃんと弁慶の言った意味が解ったのだろう。
「いいん、ですね? 本当に……私と一緒に来てくれるんですね?」
 不安そうに上目遣いで見られて、弁慶はその表情に苦笑しながらも望美を抱きしめた。
「ええ、君と一緒に連れて行ってください」
「……はい」
 ギュッと抱きしめ返した望美の頬が朝焼けにも負けないほどの鮮やかな紅に染まる。これほど美しく笑う女性を、弁慶は他に見たことがない。そう、これが弁慶の好きになったかけがえのない女性。
 好きという言葉を噤んだ代わりに、弁慶はその柔らかな身体を少しだけ強く抱きしめた。
 これが、自分の最初で最後の大きな決断になるだろう。
 この子と生きていくことが至上の喜び。不安や恐れもあるけれど、それ以上に勝る大事なもの。
 弁慶は今の幸せを噛み締めて、抱きしめた身体を離し、その手を取って歩き出した。
 描いた未来がもうそこまで来ているのを、肌でひしひしと実感しながら。






   20060608  七夜月

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