君が想ふは 最終決戦といわれても、ヒノエ自身は源氏の軍勢ほど緊張しているわけでは無い。この総門さえ押さえてしまえば、後はなるようになるのだから、そこまで思い入れることは実質無いというのが正しい。熊野にとっての降りかかる火の粉さえ払えれば、目的としては達される。 だから、総門前でジッと考え込むように憂いた顔をしている望美を見たときは、気楽に慰められると思った。ただ緊張しているだけだと思っていたから。 「姫君、そんな憂いた顔をしてたら、せっかくの可愛さが雲っちゃうんじゃない? 何か気になることがあるなら、話を聞くよ」 望美は話かけられて一度ヒノエを見る。だが、視線を彷徨わせてある一点を見つめると、ヒノエの名前を呼んだ。 「ヒノエくん」 望美が見つめる先にいるのは、ヒノエにとって天敵とも言える血のつながった存在。弁慶は最終確認だといって、兵たちと共に真剣に話し合っている最中だった。 「あいつが姫君に何かしたのか?」 何事もそつなくこなし、要領のいい叔父が何か失態を犯すなんてありえないとは思いつつも、一応尋ねる。 だが、問い掛けられた言葉はヒノエの想像外の範疇のものであった。 「ヒノエくんは、弁慶さんのこと好き?」 正直言って、望美の口からたったいま聞こえた言葉に耳を疑う。 「なに? 望美 何か悪いものでも食べた?」 あまりの事につい笑いながら聞き返してしまったが、もう一度ヒノエを見た望美の瞳に、笑みは自然と口許に残るだけになる。 望美の瞳にはヒノエが映っているようで映っていない。虚ろな、けれど瞳の奥に鋭く光る何かが見えた気がした。 「嫌いだよ。あいつほど信用できない男はいないと思うしね」 九郎が聞いたら聞いたでまた怒りそうな台詞をさらっと告げると、望美は何故だかクスッと笑った。 ようやく、望美の瞳に映ったヒノエ。けれど、満足感は無い。きっとまた、すぐにも消えてしまう、儚い存在であるのは自分で解っているのだ。 「ヒノエくんってば、素直じゃないんだね」 「それじゃあ姫君は? 俺は答えたんだから、お前も答えてくれるだろ」 答えは解りきってる。色恋事に関しては特に冴えた感がいつでも望美の気持ちを告げていた。誰を想い、誰を見つめているかなんて、きっと、想われてる本人だって気づいているのだろう。けれど、気づかない振りをしているから、ヒノエだってそれを本人に告げるような野暮な真似はしない。 「私? 私は好きだよ。だから、救ってあげたい。守ってあげたいの」 「これはまた……はっきり言ったね」 照れたり恥じたりすることなく、真顔で言い切った望美に、解っていたとは言え苦笑が漏れる。もしもヒノエが早いうちに望美の気持ちに気づいていなければ、好きになっていたかもしれない女性。京で見たときからずっと、彼女の視線は一途に向いていた。けれど、その視線にあるのはただ好きという感情だけではなく、ヒノエにも掴みきれない感情が含まれていて、いつもそれを知りたいと思っていた。 「姫君は不思議だね。どうして好きな奴なのに、時折そんな風に遠くを見るようにあいつを見る?」 「うん……いつもね、思ってたんだ。どうしたらいいかなぁって。どうしたら私は間違わなくて済むのかなって。でも、結局ここに私はいる。もう、変えることが出来るのはあと少しだから」 告げられた言葉はさっぱり意味が解らない。ヒノエは目を瞬いた。 「お前は本当に不思議なことを言うね。それは謎かけ?」 「ごめんね、私も上手く言えないの。ただ、守ってあげたい。もうあんな風にはさせたくないし、させない」 望美にだけ見えている何か、までは正直ヒノエには考えて提示された材料が少なすぎて判断しかねる。眉をひそめてその言葉の意味に隠された本音を探るが、雲を掴むかのように難しい。 「ねぇ、ヒノエくん。弁慶さんのこと、好きでしょう」 「嫌いだって。さっき言っただろ」 困ったようにヒノエが言うと、望美はまたクスッと笑って、それから泣き笑いを浮かべた。 「ううん、違うよ。だってヒノエくん泣いてたから。こっそりだけど泣いてたから。だから、泣いてるヒノエくんにはもう、会わない。ごめんね、私は運命を変えるよ」 「オレがお前の前で泣いた?」 全く身に覚えのない行動にヒノエの首が捻られる。望美の前どころか、この望美と出会ってこのかた、泣いたことなんて、ただの一度も無い。けれど、望美が嘘をついているとも思えない。きっと、これも望美しか知らぬことなのだろう。と、無理やり納得するしかない。 ヒノエの気持ちをはっきりと感じ取ったのか、望美は相変わらずの涙を流さない泣き笑いで頷いた。 「うん。ヒノエくんはきっと知らない。知らない方が良い事なんだよ」 一端そこで言葉を区切った望美は、唇に指を当ててその続きを何と言うか考えているようだ。 「私はね、弁慶さんを信じてるの。だからね、弁慶さんが信用できないなら、私を信じて欲しい。私の事を信じてね。何があっても、絶対何とかして見せるから」 そしてまた望美の視線が弁慶に向けられる。その瞬間やはり望美の瞳からヒノエという存在は消えた。 「信じてね、私を」 もう一度呟やいた望美は誰に言っているのか。ヒノエか、視線の先の人物か、はたまた自分自身か。ヒノエには知る由も無い。でも、想像することは出来る。きっとどれもが答えなのだろうということも。 「解った、俺はお前を信じる」 ヒノエから信じるという言葉をもらえた望美は、微笑むことでそれに答えた。 『私の事を信じてね』 言った言葉の意味が解ったときに、ヒノエは静かに目を閉じた。 あぁ……と思う。望美が伝えたかったことは、きっとこれだったんだと。何故実際に起こる事を言ってくれなかったのか、言ったら別の道が開かれていただろうに、それでも望美は弁慶と共に行くことを選んで弁慶を信じる自分を信じろと言った。 目を開く、視界に映るは弁慶の腕の中で大人しく……けれど、炎を宿した心が強く燃え上がるような眼光を持っている望美の姿。 お前は、そいつを選んだんだよな。 目線で望美に伺う。望美はヒノエと目が合うと小さく頷いた。望美へ意味が通じたかどうかまでは解らない。でも、確かに望美は頷いた。肯定した。何かしらの覚悟が出来ている事は間違いない。だから、ヒノエも行き場の無い怒りを抑えて、弁慶を睨みつけるように冷たく言い放つ。 「おい、そいつの策に嵌ってここで全員死ぬのか? 俺はそんなの御免だぜ」 「しかし……!」 九郎の言葉も目線で抹殺する。実直すぎる九郎は怒りが収まらないのか、自分でも押さえられることが出来ないのか定かでは無いが、ヒノエは望美と約束をした。 「ヒノエくん、ごめんね。ありがとう」 小さく呟かれた謝罪の言葉は音となりヒノエに届くことはなかったけれど、確かに通じたヒノエの胸に暖かな光を生んだ。それと同時に感じる空虚感。この時、望美の想いが覚悟として現れて決定的となる。初めて望美の心を本心から感じ取ることが出来た。それは喜びでもあると同時に何かが抜け落ちたようにヒノエの胸に風穴を開けた。 こんな場面に立ち会って、こんな状況でようやく自分の気持ちに気づいてしまう。彼女の想いが遠い目をして弁慶を見ることに囚われて、同情であったらと無意識に考えていた。けれど、それは違うのだ。 望美は選んだ。弁慶の開いた運命を共に歩むことを。それは同情でも何でもなく、本心で弁慶を慕っているということ。 好きになるまいと思っていたけれど、実はもうとっくにヒノエも捕らわれていたのだ。望美という、たった一人の恋する女性に。 そして、望美の想いを見て見ぬ振りをしている、本人もきっとヒノエと一緒だ。 「あー、くそっ。面倒くせぇ」 「ヒノエ?」 隣で走って逃げている敦盛がヒノエの小言を聞きつけて、ヒノエを振り返るも、ヒノエは何でもねーよと吐き捨ててして心の奥底で叔父を呪った。 すました顔して横から掻っ攫っていったくせに、なんでアンタはいつもそうなんだよ。 絶対に裏切るなよ、俺たちよりも、ずっと身近でお前を守ろうとしてる奴を。 「敦盛、熊野行くぞ。あのバカの考えてることはクソ親父にしかわからねぇ」 隣で走っていた敦盛は眉間に皺を寄せたが、やがて頷きヒノエに同意した。 仲間が走る。ヒノエも走る。望美と約束を果たすために、今はただ、皆と走り続けた。 了 20060618 七夜月 |