七夕



 望美は小さい頃、自分の母親から尋ねられた。
 大きくなったら何になりたい?
 あの時はただ単純にケーキが毎日食べられるからとケーキ屋さんと答えたのだが、今ではその夢はさすがに変わっている。
 幸せな家庭を築き、それを生涯を通して守ること。夢というよりも願望に近い。
 望美の膝の上で眠っている我が子の頭を撫でて、望美は例え得ぬ微笑を浮かべた。
「良い月夜ですね」
「はい、本当に」
「たまにはどうですか?」
 そういって弁慶が後ろ手から持ち出したのは徳利に入ったお酒。弁慶がお酒を勧めるのは珍しいことで、望美は目を丸くした。
「いいんですか? いつも止めるのに」
「止めたところで負けず嫌いな君は結局飲んでしまいますからね。下手に量を飲まれるよりも、少しずつ一緒に味わってくれた方がまだマシというものです……それに、今夜の月は月見酒をするのに良い月ですから。たまにはいいでしょう」
 望美は弁慶から杯を受け取り、注がれて波打つお酒に映る歪んだ月を見つめた。天を駆けるは満天の星空。縁側に飾っていた笹が風で揺れて、夏の夜の爽やかな音を鳴らした。
 短冊が数枚風に煽られ、紐でくくられながらゆらゆら舞っている。
 望美は隣の弁慶を見上げて、尋ねた。
「弁慶さんの将来の夢は?」
「きっと君と一緒ですよ」
 簡潔な返答だった。でも、それでは正確には答えではない。
「そうですか?」
「そうですよ」
「じゃあ当ててください」
「いつまでも幸せな家庭であるように、ずっと守り続けること」
 まるで何かの台本を読んでいるかのように、弁慶は望美が思っていたことをすらすらと口に出した。
 そこまで当たるものなのだろうか。いや、これはもしや……。
「私の短冊見ましたね?」
 目を見張った望美に、弁慶は苦笑した。
「いいえ。でもその回答ではどうやら当たりみたいですね」
「むむむ……仕方ありません、今回は弁慶さんに勝ちを譲りますよ」
 勝ち負けの話ではなかったはずなのだが、負けず嫌いの望美には思考が読まれていたことで負けたと感じているらしい。
 いささか悔しそうに望美がそういうものだから、弁慶はついぞ噴出してしまった。
 それに不服そうな表情を浮かべつつも、結局望美は無言で立ち上がった弁慶を視線で追った。
「九郎、ヒノエ、敦盛くん……先生のもありますね。朔殿に景時の分も」
「皆付き合ってくれたんですよ。結局この子たちのこと、可愛がってくれてるんですよね。九郎さんには甘やかしちゃダメだって言ってるんですけど」
「それだけ九郎も、僕たちに幸せを望んでくれているということです」
 それぞれの短冊には、九郎筆頭、この家主と家族たちがいつまでも幸せに、健やかに過ごすようにと願いが書かれていた。優しい仲間の心遣いに望美も頭が下がる思いで一杯だ。
「んぅ〜……くしゅっ」
 ぐずり始めた二人の子供に、望美は苦笑した。声を聞きつけ戻ってきた弁慶が一人を抱え、もう一人の子を望美が抱き上げる。二人は微笑み合うと、クスクス笑いながら室の中へと戻っていった。
 あらかじめ準備しておいた寝床へ子供たちを寝かせると、望美は先に濡れ縁へ戻って来ていた弁慶の隣に座った。
 そしてギュッとその腕にしがみつく。まるで恋人同士のように腕を組み肩に頭を乗せた。
「どうしました?」
 くすくすと笑い声を上げる弁慶に、望美も少しはにかんだ笑顔を浮かべた。
「こうやってするの、何だか久しぶりだから。弁慶さんを補給中です。このごろ忙しかったみたいですし」
「あまり家に帰ってませんでしたからね……家事一切を手伝えずにすみません」
「謝る論点が違います、そんなのは全然気にしてません。ただ、私は弁慶さんがいないと寂しいんですよ。寂しくて寂しくて悲しみで落ち込んじゃうんですよ。勿論、表には出しませんよ」
 子供たちを不安にさせるわけにはいかないから、そんなことを言ったりはしない。でも、寂しい想いはどこかいつも残っていて、弁慶がいないと望美の心では楽しさが半減してしまう。
「子供たちの世話で忙しくても、たまにフッと弁慶さんがいないことを思い出すと、寂しいなぁって思うんです」
 だから補給中なんです。
 望美は目を瞑って静かに隣に居る体温を感じ取る。ホッとする温かさと、弁慶の香り。
「先ほど、望むものはきっと君と一緒だって言いましたよね」
「はい、聞きました」
「僕も仕事をしていても君に逢いたくなるときがあるんですよ。それは君と同じで寂しいからなんです」
 弁慶は望美を向くと苦笑して望美を自らの膝の上に誘った。大人しく従った望美は座ってから不満げに声を上げる。
「なんだか子供扱いみたいじゃないですか?」
「子育てしてると幼児返りすることもあるそうですから」
「弁慶さん……」
「冗談ですよ。ただ僕も補給したくなったんです。君を全身で」
 ギュッと望美を後ろから抱きしめたが、望美は納得いかないと言わんばかりに立ち上がった。
「これじゃあ嫌です。弁慶さんだけ私が見えるなんてずるい」
 こっちがいいです。
 そういって、望美は振り返ると、弁慶に前から抱きつき首の後ろへと手を回した。
「ふふ、確かにこちらの方が君の顔が良く見えます」
 お互いに顔を見合わせてクスクスと笑いあい、額を合わせた。
 じゃれ合うような控えめな笑い声はいつしか消え、ゆっくりとした動作で触れ合った唇は何度も重なり、虫の声が響く濡れ縁に静寂が訪れた。
 月にかかっていく雲が晴れる。時間の流れは優しく二人を包み、月が輝きを取り戻したことで天の川はいっそうキラキラと光が増したように輝いていた。






   20060707  七夜月

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