Please give me your answer




 こちらの世界に残ったのは全て貴方のため…だなんて、
 そんなこと言わないし、言えない。
 だって、わたしが一緒に居たかったんだよ。
 貴方と一緒に居たかったから。なのに、どうしてこんなに不安なのかな。
 弁慶さん、どうかわたしに答えを教えて。
 どんな答えでも、わたし構わない。貴方から貰う言葉が全てなの。
 それが悲しいことだとしても、わたし泣いたりはしないよ。
 だから、貴方の答えをわたしにください。

 梶原邸から見上げる青空は、幾度目になるだろう。縁側で座り込み誰も見てはいないからと足を投げ出し、首を折ってじっと空を見上げていると、ひょっこりと望美の目の前に見慣れた家主の顔が現れた。
「そんな体勢で空を見上げて、首が痛くなったりしないかしら?」
 朔だった。
 仕方がない人だといいながら、叱ってくれる幼馴染はもうこの世界にはいない。
 微笑んでいる彼女に望美は首を振って否と答える。何分もそうしていたら痛いのかもしれないけど、望美の体内時計ではまだそんな大して時間は経っていなかった。
「どうかしたの? いつもと変わらないように見せているけど、なんだか少し疲れているみたいよ。悩み事かしら」
 望美は驚いて朔を見る。気付かれていたとは思わなかった。
「あら、わたしは対の神子よ? あなたの変化くらいすぐにわかるわ。伊達にずっと一緒にいたわけではないのよ」
「うん、そうだね」
 望美は苦笑した。声に出していないのに、望美が驚いていることも承知済みなのだから。
 そうだ、相手は自分の対の神子。朔という個体だけれど、望美と同じ運命を共にしたもの。そして何より、かけがえのない大事な親友だ。
「こちらに残ったことを、後悔しているの?」
「ううん、そうじゃない。違うよ……ただ、見ちゃっただけ」
「何を…?」
「弁慶さんって、女の人に優しいよね」
 唐突にそういえば、朔はきょとんとしたように、瞬きを繰り返す。
「……? ええ、そうね、でもそれは貴方も分かっていたことじゃない」
「うん、わかってたよ。実際、出会ったときからわたしに優しくしてくれたし、まぁ、ヒノエくんとかも優しかったけど、なんか誰にも平等に優しいよねって思って」
 望美が何故こんなことを言い出したのか、朔は分からずに閉口する。望美が話す意図をつかめぬのなら口出しせずに今は聞いてやるべきだとも思ったせいだ。
「だから、なんかね…もやもやするの。女房さんとか女の人とニコニコ話してる弁慶さんを見ると。こちらの世界に残ったのはいいけど、わたしは弁慶さんにとって何なのかなぁって」
 不安と憂いの狭間で惑うこの感情。自分でも持て余している。どうしたらいいの?考えても答えは出ない。
「毎日とは言わなくても、貴方にもちゃんと昼間に逢いに来ているわ」
「そうなんだけどね、ちゃんとした言葉貰ったことないの。わたしもこの関係言葉にしたことないし、なんなんだろうって思って…昼間しか会えないし」
「まあ、だったら夜に来て欲しいのかしら?」
 少し笑いを含んだ悪戯っぽい朔の声に、望美は赤くなりながらも否定する。
「そういうことでもないんだけど…この間わたし、夜に弁慶さんに忘れ物届けに行ったでしょう? そのときにもね、やっぱり女の人に囲まれてたんだよ。楽しそうに話していたから結局話しかける勇気が出なくて戻ってきちゃったけど…昼でも夜でも、常に弁慶さんの目にはわたし以外の女の人が映るんだなって思ったら…それが嫌で。嫌だけど、弁慶さんはわたしのものじゃないから、そんなこと思う自分もまた嫌で、なんだか堂々巡りなの」
 わたしは何もなくなってしまったから。肩書きも何も、わたしはもう持ち合わせていないただの女でしかない。彼にあげられるのはたった一つ。この身一つだけ。
 望美の心は迷い続ける。何もないからこそ、不安になる。繋ぎとめる要素が何一つだって思い浮かばない。剣を持たなきゃ、平凡でどこにでもいるような女子なのだ。誰にも負けないのは、彼を思う気持ちだけ。そんな自分を彼が果たして好いてくれるのだろうか。つまらない女だと、愛想を尽かしたりしないだろうか。
「なら、会いに行ってみたらどうかしら? どうして堂々巡りなのか、彼に聞いてみるの。きっと、答えをくれるはずよ」
 朔は望美の手を取り、そっと包み込む。まるで、望美に勇気をくれるように、かけがえない対だからと、こんなにも応援してくれている朔に、望美はぎこちなく頷いた。
 答えを聞くことが出来るなら、聞きたいと思う。胸がざわめくけれど、望美はそれを無視した。立ち上がり、弁慶の忘れ物である彼の外套を手にして梶原邸を後にした。

 戦の事後処理なのか、未だに弁慶は九郎と行動を共にしている。だから、望美に会う時間を作るのだって大変だということは理解しているつもりだ。だから、なるべくすれ違いにならないために自分からは会わないようにしていたけど、大体の予定は景時から聞いていた。
 この時刻なら、六条堀川にいるような気がする。日もまだ頂きへ昇りきっていないから。
 望美は通い慣れた道をゆっくりと歩いていた。胸の奥の痛みは、少しずつ大きくなっている気がして、足取りが重い。
 どうしてこんなに胸がざわざわするんだろう。幾度も考えてみたけれどやっぱり望美の中で答えは出なくて、着いて欲しいのに着いて欲しくない、そんな複雑な気持ちを抱える。
 六条堀川までやってくると、顔見知りになった門番の人に、中へ通される。屋敷に入ると、望美はいまだ仕事中であるという彼を待つために一室へ通された。外套を膝の上に乗せて、ずっとその柄を見つめる。
 胸が痛くて、苦しくて、こんな気持ちが解消されるのならと、望美は早く弁慶が来ることを祈った。
 だけど、すぐにもやってきたのは九郎だった。御簾を上げていたので、望美も彼の顔をじかに見れて笑いかける。元気そうで良かった。
「望美、来ていると聞いて顔を見に来た。弁慶に会いに来たのだろう? あと少しだけ待ってくれ」
「忙しいんですか?」
「忙しいというか…ある高貴な姫君が兄上の使いとしていらしているのだが、俺はどうも女性の扱いは上手くないので弁慶に代わりを頼んだんだ」
 ああ、そうか。また、だ。また、弁慶さんの傍には女の人がいる。それはわたしじゃなくて、もっときっと綺麗な人で、弁慶さんはその人にもわたしと同じ笑顔を向けているんだろう。
 望美が俯いて立ち上がると、九郎が怪訝そうな顔をする。
「そうですか…忙しいんですね。じゃあ、邪魔しちゃ悪いし、わたし帰ります」
「だが、もう少し待ってもらえれば終るぞ?」
「いいんです、忘れ物を置きに来ただけですから」
 胸に抱いたその外套を九郎に渡そうとすると、廊下の奥から静かな足音が聞こえてくる。気配を殺してるわけじゃないのに、所作一つ一つが丁寧で望美の好きな音の一つだった。だけど、今はそれを聞くのが辛い。
 外套を抱きしめて更に俯くと、弁慶が九郎と共に室の外で立ち止まった。
「望美さんが来ていると聞きましたけど…九郎?」
「ああ、いるぞ。良かったな、望美。会えたじゃないか」
 ああ、痛いな。ズキズキする。胸だけじゃなくて、全身が針で刺されたみたいにチクチクしてる。
 どうして、そんな子供を見るような目で九郎は望美を見るのだろうか。当然だ、九郎から見たら望美はやはり子供で、弁慶からみたら更に子供なのだから。望美は表情を押し殺して唇を引き結ぶと、にっこりと笑って顔を上げた。
「忘れ物を届けにきたんです、これ」
 弁慶の胸に押し付けるように外套を渡すと、弁慶は驚いたように息を呑んだ。
「ありがとうございます、でも代わりもあるしすぐに必要なかったので後で取りに伺うつもりだったんですよ。わざわざ持ってきてもらってすみません」
 要らない。
 その一言により望美の中でパキッと音がした。何かが壊れる音だった。
 押し付けた外套を弁慶を受け取ると、望美は掴むものを見失い、胸の前で両手を強く握り締めた。
「要らなかった…ですか…?」
 必要ない…要らない。傍にいなくても、代わりなら幾らでもいるから。
「わたしも、外套も、いらなかったですか?」
 声が震えてしまった。突きつけられた言葉がまるで弁慶の本音であるように聞こえて、望美は抑え切れない想いが内側から溢れてくるのを感じる。
 要らないというのなら、ここにいてはいけない。迷惑になるなら、この場所にいるべきではないのだ。
「おい、望美、どうし」
「ごめんなさい、帰ります」
 涙が零れ落ちそうになって、顔を上げられないまま、望美はそのままお辞儀をして室を出ようとした。
 けれど、その手首を掴まれる。掴んだ相手は見ずとも解る。
「離してください!」
 必死に腕を振り払おうとするのに、弁慶の力は想像以上に強くて、びくともしなかった。
「九郎、暫くこの室を人払いをさせてください。そして君は姫君の元へ戻ること、いいですね?」
「……あまり気は進まないが…承知した」
 男二人は目で合図して頷きあうが、望美はそれを知らない。今は涙で霞んで何も見えないし、俯いていたから余計に周囲がどうなっていたか分からない。
「…弁慶、あまり泣かすなよ」
「わかっています」
 九郎が出て行くと、御簾が下ろされて望美の身体は弁慶の腕の中に捕らえられる。
「どうしたんですか。何故泣いているんです」
「泣いてなんか…!」
「これでも、ですか」
 指で拭われてしまえば、強情を張る事も出来ずに流れ来る涙を見せまいと彼の胸に頭を押し付けるしか出来ない。
 全てを受け止める覚悟はしたつもりだった。だけど、一言を聞くのがこんなにも恐い。
 答えを聞くのが恐い。
「……わかってたつもりなんです、わたしたちは八葉と神子で、もしかしたらそれの延長線上で弁慶さんがわたしを想ってくれたんじゃないか、神子としてのわたしが好きなんじゃないかって。でも、弁慶さんにこちらの世界に残ってくれって言われたときはすごく嬉しかった。わたしも傍にいようって決めたから、残ることにしました」
 好きだから、一緒に居たいと思ったけど。もし、神子でなくなったら、わたしを想う気持ちなんて消えてしまうんじゃないかとずっと思っていた。
 望美の言葉を、弁慶はただ黙って聞いている。
「弁慶さんの周りにはいっぱい綺麗な女の人がいる。でも、わたし綺麗でもなんでもないし、もう白龍の神子でもないし、字も読めない料理も洗濯もなんにも出来ない普通の女の子以下なんです。わたしが誇れるものなんて弁慶さんを想う気持ちだけだから、いつか…いつか、弁慶さんに"要らない"って言われるんじゃないかって」 
 他の人が貴方の目に映るたびに、不安が増していく。わたしは常に比較されているんじゃないかと思って、貴方の目を閉じてしまいたかった。
「ごめんなさい、わたし変ですよね。こんなこと言って、困らせるつもりなかったんです…でも、貴方の目に他の女性が映るのが嫌でたまらなくて、本当にわたしを想ってくれるならもっとわたしを見て欲しかった」
 それが望美の何よりの本音。好きだから、独占したいし甘えたいけど、重荷になるならそれも出来ない。
「望美さん……」
「いいです、何も言わないでください」
 本当は弁慶に答えを聞きに来た。けれどもしも自分が何より恐れている答えを聞くのなら、聞きたくない。望美は自分の耳を押さえて嫌だと首を振る。
「いいえ、聞いてください」
「嫌です、聞きたくなんかないです!」
「なら、僕の鼓動を聞いてください」
 強引に両手を離されて耳を押し付けられたのは弁慶の胸。布越しで聞き取りにくいけれど、確かにそれは動いている。早鐘のように鼓動を何度も繰り返して。
「君に逢って、君に触れるだけで、僕はこんなにも鼓動を早めてしまう…君が好きだからです。さすがの僕も心の臓の動きまでは自分ではどうにも出来ません。言葉が信じられないのなら、その耳で何度だって確かめてください」 
 低いけれど優しい声音、弁慶は望美の涙で衣が濡れるのも構わずに、望美に胸を貸す。
「八葉だとか神子だとか、そんなもの、関係ありません。字も料理も洗濯だってこれから覚えていけばいい。けれど君が誇ってくれるその気持ちだけは、僕は君へ教えることが出来ない。君自身が見つけ出してくれた君の想いなんです。君を追い詰めてしまったのなら、その咎は幾らでも受けましょう。だけど、誓って僕は君を"要らない"と思ったことはありませんよ。君へ想いを告白したときから、君への愛おしさは増すばかりですから」
 望美の嗚咽が徐々に止まり始める。
「どんな女性を見ていても、君と比べてしまいます。君だったらこんな風に話して、こんな風に笑うのだろうかと考えてしまう、こんな僕が君を"要らない"なんて思えるはずがありません」
 いつもみたく笑いかけてくれる弁慶。薬草の香りする彼の腕に包まれて、ようやく望美は落ち着いてきた。
「大丈夫ですか?」
 問われて頷くも、みっともないところを見せてしまったと、顔を赤らめる望美。
「本当にごめんなさい、変なところを見せました」
「いいえ、君がどれだけ僕を愛おしんでくれているのかがわかって嬉しいですよ。それに、普段自分の気持ちをあまり表にださない君の、可愛らしい嫉妬もたまにはいいかな」
 ああ、そうか嫉妬だったのか、この胸の燻りは。色んなことがあって、よく分からない感情に支配されていたけど、元を正せば単純な望美の嫉妬。
 望美はようやく合点がいった。
「あの、じゃあ改めて聞いてもいいですか?」
「なんでしょう」
「わたしたちって…その、関係に部類すると、どこに当てはまるんでしょうか」
「そうですね……君が僕の妻となってくれる意思があるのなら、許婚ということになりますが」
「つま……!?」
 恋人同士かな、とかそんな淡い期待を抱いていたので、一つも二つもすっ飛ばしたその関係に、望美は脳内で上手く漢字変換できなかった。妻ということは、弁慶の奥さんとなって一緒に暮らすことであり、それは昼も夜も一緒にいられるかもしれないということだ。単純に会えるということを喜び、その奥に隠された深い意味には望美は気付くはずもない。
「今はまだ、君を迎えられる準備が出来ていないので、もう少し梶原邸でお世話になってもらうと思いますが、いずれきちんとした形で君を迎えに行きます。三日三晩通って…ね」
 最後の意味深な言葉に望美は首を捻る。それがどういった意味かはまだ知らないが、知っていたらここでのんびり雑談など出来なかっただろう。望美が理解したことを強いて上げるなら、今度は夜も会えるんだというちょっとした喜びだけ。
 あーとか、うーとか二の句を告げずにいる望美は無意味な談話標識で言葉を濁す。弁慶のその笑顔にまた別の意味でドキドキしてしまった。
 なんにせよ、弁慶からプロポーズを受けたことに変わりない。嬉しくて顔が緩んでしまうが、弁慶もにこにこしていることだし、つられ笑いということにしておく。
 望んでいたものとは随分違った形だけれど、それでも構わない。一番恐れていた言葉ではなくて、ちゃんと自分を見てくれていたことを知ることが出来たから。
 たった一言の言葉を貰っただけで、不安も嫉妬もまるで氷のように溶けていく。それが恋なのだと望美は初めて気付いた。

 Please give me your answer.

 My answer is all of you.

 Because, I love you.

 了



和訳
- あなたの答えをわたしにください -
- わたしの答えは貴方が全てです -
- なぜなら、わたしは貴方を愛しているから -

  20070307  七夜月

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