gloria day




 フローリングの床は冷たいだろうに、目の前には土下座している少女がいる。とりあえず何故そのような行動に走ったのか尋ねねばならないと、弁慶は仕事から帰ってきて早々玄関で苦笑を漏らした。
「大変、申し訳、ないんですけれども」
 一言ずつ区切って、強調する少女の顔は若干どころかだいぶ青い。目には何故か涙を浮かべている。皿を割った、洗濯で洋服引きちぎった、配水管を詰まらせた等、過去に起した望美の不祥事の数々を思い出してみる。その中のどれかだろうと弁慶は考えていた。
 けれど、少女が口を開いたときに、もたらされた言葉はそのどれも関係なくて、弁慶は正直拍子抜けしてしまったくらいだった。そんなことのために、苦しむ必要なんてまったくないのにと思いつつ、弁慶は俯いている少女の頭を撫でた。
「構いませんよ、というよりも君は君の学業があるんですから、そちらを優先してください。そこまで君を縛りませんから」
 でもと口に出して彼女は口をつぐみ、もう一度謝罪をした。
「誕生日、一緒に過ごせなくて本当にごめんなさい」
 それが数日前の、彼女からもたらされた言葉。
 この歳にもなれば分別がついて、仕方ないこととそうじゃないことがあるのはちゃんと知っているつもりだった。

 普通の会社勤めと似て非なる自分の仕事は、規定勤務時間があるとはいえいつでも呼び出しがかかるし、彼女に寂しい思いをさせたりすることも多々ある。それでも、働き始めの頃よりはだいぶ勝手がわかってきたし、勤務時間のムラもそう多くはなくなってきた。当然だ、こちらに来てから年数は重ねているのだから。
 ソファに座って、ふぅと溜息をつきながらネクタイを緩める。暗い部屋だ、電気もつけない。彼女がいないときの弁慶は怠惰で電気一つつけるのも面倒くさい。夜の闇は燭台一つでまかなえていたし、今夜のように月が綺麗な日なら人工的な光はいらない。
 去年はどう過ごしていた? たしか仕事が入っていて、帰ってくる途中に彼女を歩道橋で見つけたのだ。顔を真っ赤にして息を切らせて走ってくるから、弁慶は思わず笑ってしまった。そしてただ一緒に眠った。彼女を抱きしめながら眠るのは温かかった。
 その前は約束もなくやってきた彼女が、自分のためにと京にいた頃の料理を味まで再現して作ってくれた。そしてケーキも一緒に作ってくれたのだ。温かい言葉を優しい気持ちを一緒にプレゼントしてくれた。
 でも今年は彼女の姿は無い。学校で行われる体育授業のスキー教室ということで、遠い場所にいるため一緒に過ごすことが出来なかったのである。弁慶は特に気にしていないつもりだったが、こうやって思い出してみると当たり前のように傍にいてくれた今までのせいか少し寂しかった。
 そして、ソファにもたれかかり目を瞑っていると、ふとケータイが鳴り響いた。
「はい?」
『あ、弁慶さん!良かった仕事じゃなかったんだ……お疲れ様です、今大丈夫ですか?』
「はい、家に帰ってきたところですよ」
『メールでも言ったんですけど、お誕生日おめでとうございます!』
 元気な望美の声につられるように少し元気が出た弁慶は、ありがとうございます。と心を浮き立たせて答えた。
『あの、プレゼントは送ったのでそろそろ着くかと思います』
「え?」
『気に入ってくれればいいんですけど』
 と、タイミングよく家のチャイムが鳴って、弁慶はまた折り返しかけなおしますと伝えて、一度電話を切った。玄関に出てみるとやはり宅配便で、送り主は春日望美。両手のひらにのるサイズの箱の大きさだった。宅配便の人にご苦労様ですと声をかけてドアを閉め、弁慶は今一度宛先が望美からなのを確認すると、丁寧にカッターでダンボールのガムテープを切った。中を開けばそこにはメッセージカードと更にちいさな箱が一つ、青色のリボンで梱包されて、全体的に薄い水色の包装紙に包まれている。片手に乗るそのサイズの箱を開いてみると、中に入っていたのは腕時計だった。
 弁慶はそれを腕につけてみてみる。なんだか違和感なく自分の腕に収まるそれに不思議な感覚を覚えた。針の音がコチコチと進んでいく。弁慶はあまり時計をつけることはなかった、今までそんなもの不必要で時間に捉われる生活は生き急ぐように思えていたからだ。
 そして、メッセージカード(手紙といっても過言ではない大きさだった)に目を落として、弁慶は思わず口元を緩めてケータイを握り締めた。
 さきほど脱いだコートを再び着用して、緩めたネクタイを結びなおす。時間を確認して、夕方を少し過ぎた今の時間ならまだ新幹線にも間に合うだろうと、仕事用のバックを手に取った。
「もしもし、望美さんですか?」
 着信履歴を呼び出して、先ほどの相手に電話を返す。
『はい、届きました?』
「ええ、とても素敵なものをありがとう。そして僕は無性に君に会いたくなってしまいました」
『え? は、はい?』
「今からそちらへ向かいます。長野でよかったですよね?」
『はい!? だって弁慶さん明日仕事なんじゃ』
「そうですよ、なので明日の朝一で帰ることになると思いますけど、少しでいいから君に会いたいんです。直に会ってプレゼントのお礼を言いたい。だから君の泊まってるホテルで待っててください。誕生日のわがままを聞いてはくれませんか?」
『それは確かにわたしも直にあっておめでとうって言いたいですけど、ええ!?』
 さすがの望美も電話口の向こうで驚きあたふたしている。だが、弁慶は今更意思を変えるつもりは無かった。ちょっと強引なことをしてもきっと望美は許してくれる。そう甘えたことを思ってしまえるくらいには、彼女との間に絆を作ってきたと思えるから。
「君が会ってくれないのなら、長野の雪山の中一人で君に会えることを思って、佇むことになりますが……」
『なに考えてるんですか、そんなのダメです!……わかりました。でも気をつけてきてくださいね。メールでどこに泊まっているか連絡しますから』
「はい、お願いします。それではまた後で」
 少し慌てたように言う望美に弁慶はふっと笑ってから電話を切った。こんな子供みたいにわがままをいうのは久しぶりな気がする。わがままなんていっても通らないことを知っていたから、こんな風にわがままを思わせてくれる彼女は弁慶にとって異質な存在。そして代わりなど存在しない少女。
 家の鍵を手にとって、弁慶はそのメッセージカードと時計と共に、玄関のドアを開けた。


 弁慶さんへ

 お誕生日おめでとうございます。

 そしていつもありがとうございます。

 毎年言っているけれど、弁慶さんと共に過ごせて本当にわたしは幸せです。

 こんな幸せモノなわたしが今日という日を迎えられることをどんなに待ち焦がれているのか、弁慶さんはきっと知らないんでしょうね。

 だから、わたしは毎年どんな形になっても弁慶さんの誕生日を祝います。

 鬱陶しがられても、何を言われても、わたしは祝い続けます。

 今年は手作りがダメだったので既製品にしました。

 腕時計です。弁慶さんあんまり時計好きじゃないの知ってましたが、これ以外思いつきませんでした。たぶん、持ってて不便じゃないと思うので。

 わたし、この腕時計を弁慶さんが今日からつけてくれたら嬉しいなって思います。

 貴方の生まれた日から始まる時計の歴史は、わたしたちの思い出と一緒に必ず共にあると思うからです。

 時空すら超えて、時間を気にするなんてヘンかもしれませんが、だからこそわたしは時間(とき)を大切にしたいなって思います。

 でも、弁慶さんが本当に嫌なら机の中にでもしまっておいてください。

 必要なときに使ってくれるなら、それでもわたしは嬉しいから。

 では長くなりましたが、遠い場所から今日という日を祝って。
 

 春日望美

 了




  20080211(再掲載:20080905)  七夜月


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