穏やかな午後




 君は、それまで待っていてくれますか?
 彼の言葉に待つと決めたのは、そう10年前。
 ノックの音と共に聞こえた声の主に、目を瞑って考えごとをしていた望美は、目を開いて迎えた。鏡越しに見えた白いスーツの弁慶に、ニコリと笑顔を向ける。
「ちゃんと逃げずにいてくれたんですね」
「ええ、君を連れ去らずに済みました」
「良かったです」
 薄い桜色のルージュがひかれた唇から白い歯が零れた。弁慶と向かい合うように体勢を変えた望美が腕を伸ばすと、その手を取った弁慶はややかしこまったようにその手のひらにキスを落とした。
「綺麗ですよ、とてもね」
「……ありがとうございます」
 褒めれば途端に顔を赤らめる望美の反応はいつになっても変わらない。そう、大人になっても変わらない。
「でも弁慶さんだって十分似合ってます。すごくカッコイイ」
 ほんのりと朱に染まった頬が照れるように告げた言葉。
「ありがとう、嬉しいですよ」
 そして弁慶はそのまま望美の手を支え、望美が立つのを支える。
 いきましょう。
 どちらかともなくかけた言葉が、彼らの足を動かした。


「弁慶さん、何を見てるんですか?……あ、結婚式の」
 純白のドレスに身を包んだ望美がそっと弁慶のそばに立つ姿が収められた写真。それをソファに座って眼鏡越しに弁慶は見ていた。望美は持っていたカップの一つを弁慶に手渡し、その隣にゆっくりと座った。
 この時から比べたら、大きくなった望美のお腹。望美は無意識にお腹を撫でながら、弁慶に寄り添う。
「ふふっ、これケーキ入刀のときの」
 望美が笑うと弁慶もクスリと微笑んだ。
「ええ、まさかあんなことになるなんて。本当に彼らしい」
 入刀を勘違いした友人の一人が、ケーキに切りかかり、将臣含めた周囲の人間を巻き込んでケーキまみれになったのだ。
 静かにページをめくると、その時の惨状が収められた写真と共に望美と弁慶の笑顔が出てきた。
 そして、集合写真が出てきた。
 いつもより穏やかな表情で立つかつての師。その隣にはふわりとした微笑みを浮かべた友人。その友人の肩を組むように満面の笑みを浮かべた甥の姿と、そんな甥に仕方なさそうな目を向けつつ笑っている一つ下の幼なじみ。真ん中にいるのは望美と弁慶。右端にはニヤリと笑った同い年の幼なじみと、そしてカメラに興味津々な友人の兄とそれを窘める妹がいる。そして弁慶の隣には、カメラに緊張しているのか少々硬い表情をした無二の親友。
 弁慶の目が細くなり、そっと写真をなぞる。この表情すらも懐かしい。だというのに、お互いに歳を取っても会った瞬間に自然な空気が流れた。
 弁慶は思っていた。望美と出会わなければ、きっと自分が運命を共にしたのはこの親友だっただろうと。
 けれども弁慶は望美に出逢った。神のいたずらが起こしたような奇跡。そして自分は今異世界で生きている。
 この自分に寄り添う少女だった女性に恋をした。
 望美はアルバムに釘付けだ。
「望美さん」
「はい」
「この子が生まれたら、この子を連れて鎌倉を歩きましょう」
「はい!」
 望美の大きくなったお腹。この子が生まれたら、また再び出会うであろう友人たちに会いに行こう。友人たちとの思い出がたくさん残る、この町を廻る。
 そして一人一人紹介するのだ。弁慶や望美が出逢った人のことを、誰一人漏らさずに。
 君の父と母には、すごく強くて、頼りがいがある仲間たちがいたんだと。
「まずは手近なところで将臣くんと譲くんかな」
「何がですか?」
 きょとんと弁慶を見上げた望美に、弁慶はクスリと笑ってその頭を自分の肩へと引き寄せた。
 穏やかな午後の時間。こうして頬を寄せ合うことのできるかけがえのない時間。
 幸せはどこまでも続いていく。望めば望むほど願いは叶い、そして願いは途切れることのない道になる。
 かつて少女の龍が願った、少女の笑顔は今も弁慶の手で守られている。
 これから先もずっと、守られてゆく。

 了




  20100713  七夜月


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