愛の基準




「わたしの愛は絶大だからね、世界で一番幸せにしてあげるの」
 そう望美が言ったときの幼なじみたちの顔ときたら見物だった。呆れてるような、遙か遠い場所をみるような目。容赦ないその視線も幼なじみ故の気安さがあるのだろう。望美もそれを慣れたように受け流した。
「お前、相変わらず恥ずかしい奴だな。付き合って何年経ってんだよ」
「来月結婚しますけど何か?」
「普通そこまでいけば落ち着くなり、マリッジブルーにかかると思うんですけどね」
 変わらない関係ではあるが、望美も将臣も譲も大人になった。今は住居もバラバラに住んでいるし、譲もとっくに社会人だ。郊外のレストラン、久々に夕食を取ろうと望美が誘って彼等が帰省している大型連休に都合をつけて会ってみれば、望美によるノロケが待っていたのである(因みに、本当は望美が春日家で手料理を振る舞う予定であったが、将臣が断固拒否した)。
「マリッジブルー、そういえばないかも」
「独り身の楽しさからおさらばすんだろ、そこは何かしらあるんじゃねえ?」
「んー、そうかもしれないけどあんまり思いつかないなぁ。弁慶さんは仕事が不規則だから、家自体にあまりいないし、縛られるってことはない気がする。愛されてるし、愛してるからそもそも弁慶さんの嫌がることしたくないもん」
 今はここにいない弁慶に思いを馳せながら、望美は首を傾げた。本当はこの食事も弁慶が一緒に取るはずだったのだが、案の定残業により急遽キャンセルとなってしまった。
「お前さ、そう言うこと他人に言うの恥ずかしくねえの?つか、本人に言えよ、本人に」
「もちろん言ってるよ? だけどこの幸せを二人にも分けてあげようと思って」
「ウザい」
「と言うのは四分の一嘘で」
「四分の三は本気なんですね」
「ただね、知ってて欲しいの。わたしがどれだけ弁慶さんを好きなのか、一人でも多くの人に」
 望美がそう微笑みながら言うと、冗談を言っているわけではないと判断してくれた将臣と譲が黙って話を聞いてくれる。
「この世界にいると麻痺してしまうけど、人っていつ世界から消えてしまうかわからないじゃない?」
 もちろん、今すぐ望美がどうこうと言うわけでなく、人間は一分先の未来すら予知することは出来ないということだ。望美も将臣も譲も奇跡に巡り会い、希少な体験をした。だがそこは、人の命が容易く奪われてしまうような、とても危険な場所であった。誰かが死んだり殺されたりする場面を幾度となく見てきたのである。
「二人は、この世界の人が知らない弁慶さんを知ってるから、わたしがどんな風にあの人を好きになったのか知ってるでしょ?」
 時が経つほどに薄れていく記憶はまるで夢物語のように塗り替えられてしまうが、望美はあの世界を生きることで、多くのことを学んだ。命の尊さ、そして儚さを。それらを内包して、望美は夢じゃない証である彼と共に生きていく。
「だから共通できるわたしの想いを、色々な場所に残しておきたいんだ。弁慶さんのためにね。そう考えること、わたし全然恥ずかしくないと思う。だから伝え忘れがないように、いつだって本音で話すの」
 将臣と譲は黙って望美の話を聞いてくれた。おそらく望美の主旨を理解し、肯定してくれたのだろう。
 甘えさせてくれる大事な存在、家族ではないけれど他人よりずっと近い存在の幼なじみ。不思議な絆で言葉で説明出来ないけれど、望美にはかけがえのない大事な存在である。
 将臣が深い溜息をついた。背もたれに寄りかかりながら行儀悪く身体を反らせ呻き声を上げる。譲は将臣を注意しようとして、結局溜息をついた。
「先輩が幸せそうで良かった」
「うん、ありがとう! 君らも早く彼女を見つけたまえよ」
「うるせーな、余計なお世話だ」
 ふざけてニヤニヤした望美のおでこにデコピンをすると、ゆっくり歩いてくる足音が聞こえて望美の顔が輝く。
「弁慶さんきたみたい」
「は?」
 望美がそう言うと、実際に弁慶が顔を出したものだから二人は驚く。
「遅れてすみませんでした」
「お前の聴力どうなってんだよ」
「ふふん、聞き分けには自信あるの」
「……弁慶さんとその他って区別ですか?」
「失礼な、譲くんと将臣くんだってみんなの分ちゃんと聞き分けられます」
 言葉にこそしなかったが、もっと聞き分けられる。かつての仲間、九郎や朔や白龍にヒノエ、景時に敦盛は人柄そのものが出てて解りやすいし、逆に先生の足音は静かで判断するのが難しい。今、名前を出さなかったのは、もう聞くことの出来ない彼らの足音をとっさに思い出せなかったからだ。
 すごくそれが、寂しかった。幸せの中に埋もれていく記憶は悪い事じゃないはずなのに、人は忘却から逃れられない。
「皆さん夕食は食べたんですか?」
「ああ、先に食っちまった。悪いな」
「いえ、キャンセルしたのはこちらですから」
 ふと言葉が途切れた望美の肩にさりげなく手を置き、弁慶は首を振る。
「では、時間も時間ですし、そろそろ出ましょうか」
「おう、場所変えて呑もうぜ。弁慶、食ってないんだろ?」
「そうですね、明日から連休ですし、将臣君たちさえ良ければぜひ」
「良いけど、兄さん自分がザルだからってあんまり人に押しつけないでくれよ」
「んな事しねーよ」
「酔うとするから言ってるんだ。大体兄さんは……」
 さりげなく先に歩き出した有川兄弟に感謝しつつ、望美も立ち上がった。
「望美さん、大丈夫ですか?」
 主語なく聞かれたのは、弁慶にすべて見抜かれているからだろう。忘却による悲しみで涙を流すことこそなくなったが、胸を締め付けるような切なさは慣れるものではなかった。望美がこうして時折塞ぎ込むと、大抵理由は過去を思い返しているときである。それを弁慶には見破られるほど、望美は彼の傍にいる年月が長くなった。
「君が先に失っていくのは必然ですよ、僕と違って君はあの世界に生まれた訳ではないのだから」
 差し出された手を両手で包みながら、望美は彼の聞いた。弁慶はなお続ける。
「僕もこの世界で生まれた訳ではないから、正直言えば違和感がある時も多いけれど。だけど、やっぱり僕はこちらの世界で生きていきたい」
 弁慶の手は温かい。前はこんなことを聞いたらこちらの世界に残ったことを後悔しているんじゃないかと思っていたけど、大人になった今はそんなこともない。この手がしっかり掴めるから、安心できる。
「望美さん、君と一緒に」
 はい、と小さな声で返事をして望美は顔を上げた。すべてを失うのはまだまだずっと先だろう、逆にここまで大切に育てた記憶もある。その二つが反比例していくものだとしても、望美が後悔してはいけない。望美の役割は後悔することでもましてや弁慶に後悔させることではないのだから。
「みんなで呑めるなんて初めてですね、楽しみだなあ」
「君はあまり強くないんですから、飲み過ぎないように」
「はーい」
 それから連れ添うように将臣たちの後を追う。追いついてみたら、既に会計は済ませてあるらしい。払おうとしたら結婚前祝いだと拒否されたので、望美は甘えることにした。
「あ、そうだ弁慶さん」
 将臣の知り合いの店に行く途中、こそりと望美が弁慶に話し掛けた。前を歩いてる案内役の将臣と譲は何かしら言い合っているので望美の声は聞いていない。内緒話をするように、耳打ちする望美。
「わたしの愛は絶大なので、世界で一番幸せにしてあげますから」
「それは楽しみですね」
 くつくつと笑いながら弁慶が返すと、望美がどうして笑うんですか?と目を丸くした。望美の愛が信頼されてないとか?いやいや、それは有り得ないと思っていると、弁慶が言った。
「僕の愛も絶大なので、二人で世界で一番幸せになりましょう」
 世界一の幸福基準なんて誰かがはかれるものじゃない。だから、当人たちが幸せであれば世界で一番なのだと望美が気づくまで、あと1ヶ月かかることになる。

 了




  20110428  七夜月


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