遠雷 遠くに響く雷の音、また今年もこの季節がやってきた。 蝉の声が辺りに響き渡り、大合唱を聞いているようだ。 ひゅーっと一吹き、ヒノエの口笛が鳴った。 「一雨来るな」 「そうですね」 縁側に座って外を眺めていたヒノエに、廊下の向こうから歩いてきた弁慶が賛同した。 「この風を感じると、帰ってきたんだと思いますよ」 「ふぅん、あんたも感傷に浸ることがあるんだな」 「僕も人間ですから。たまには思い出に縋りたくもなります」 「思い出、ねぇ……あんたとの思い出はろくなことがなかったぜ」 「叔父として、十分君を可愛がってるつもりなんですけどね」 「はっ、何処がだよ。鼻で笑っちまうな」 ヒノエは小さく鼻を鳴らす。 そんな会話をしているうちに、雷雲が音とともに空を包み込み、ポツポツと雨が降り出した。 「言ってるそばからか。姫君たちはそろそろ帰ってくるころだろ?」 「えぇ、もうそろそろのはずです」 雷雲が来たときと同じように、噂をすれば玄関から元気な声が聞こえてきた。 「ただいまー! もういきなり降ってくるんだもの、ビックリしちゃった」 濡れた身体を布で拭きながら、望美は縁側に揃っていた二人の姿にきょとんと目を瞬かせた。 「あれ、ずいぶん珍しい組み合わせですね。何してるんですか? 二人ともこんなところで」 「少し昔話を話していたんです」 「まぁね、あんまいい思い出じゃないけどさ」 「へーぇ、昔話か〜聞いてみたいなぁ」 期待が膨らんでいるその目はキラキラと輝いており、あまり過去に触れられたくないヒノエは困ったように頬をかいた。 「姫君に頼まれると弱いんだけど……いい思い出じゃないからな」 「僕にとってはいい思い出ですよ」 それでは僕から話しましょうか。あぁ、聞かれるのが嫌ならヒノエは向こうにでも行ってたらどうです? 弁慶は ね? っと同意を促すように望美を見た。 「冗談、それこそアンタの思うツボじゃん。余計な話までされて堪るかよ」 引く気は無いと、ヒノエは断固拒否した。 「私、ヒノエくんとか弁慶さんの子供の頃の話が聞きたいなぁ。二人ともいつ出会ったんですか?」 「ふふっ、以前に話した通り、僕は幼い頃から比叡に預けられていましたから、ヒノエと出会ったのはヒノエが少し大きくなってからなんですよ」 「はぁ、思い出すだけで嫌気がするぜ」 今にも耳を塞ぎそうな勢いのヒノエ。そこまで嫌がる理由が望美にはわからなかった。 「そんなに聞かれたくないの?」 「姫君にオレを知ってもらえるのは嬉しいけどね。でも、お前だからこそ、知られたくないこともあるのさ」 「男と言うのは見栄っ張りな生き物ですから」 特に好きな女性には、という言葉を弁慶は笑顔で隠す。 「あはは、弁慶さんも?」 「僕は…どうでしょうね?」 「こいつはそもそも見栄を張らなきゃならないような場面には立ち会わないと思うぜ。なんだかんだ言いつつやり手だからな」 卑怯な手を使って、どこまでも他者を追い込むことならするけど。 と、ぽそりとヒノエは付け加えた。 「なぁんか、誤魔化された気がするな〜弁慶さんには無いんですか? ヒノエくんみたいに聞かれたくない過去とか」 「ふふっ、そこで[『ない』と答えれば僕も君に見栄を張っていられるんですけど、君がせっかく僕に興味を持ってくれたんですから、『あります』とだけ言っておきましょうか」 「ほらな、先手を打って釘刺してやがる」 「それってつまり、あるけど教えてくれないってことですよね」 ヒノエからヒントを貰って解釈をした望美はいささか不服そうに眉をひそめる。 「何度でも言いますが、男は見栄っ張りなんですよ。でも、もしも本当に君が知りたいのであれば、二人っきりのときにでもじっくりお話しします。なんなら、今夜僕の部屋に来ますか? 夜は長いですからね」 望美の髪を一房指に絡めて、弁慶は妖艶に微笑んだ。 甘美な響きのそのお誘いに、望美の顔が途端に火照る。免疫ない分、そのお誘いをどう受け流すかなどの知識がなく、望美はものすごく不利だった。 「残念だけど、姫君。オレがこいつとお前を二人っきりになんかさせないから、こいつの話は聞けないぜ」 ヒノエも負けじと望美の耳元で吐息混じりに囁く。 「でしょうね」 妙にあっさりと、弁慶は引き下がった。それが狙いだったということに今更気付く望美とヒノエ。 「……あんた、解ってて言ったな」 「ふふっ、知略を巡らすのは、何も戦だけではありませんよ。それに、少しくらい謎めいていた方が、案外上手くいくものですし」 「なんか弁慶さんって……すごい女性関係に経歴がありそう」 「それは手馴れてるということでしょうか? まさか、そんなことありませんよ。兄がそういう人でしたので、少々指南を受けた程度です」 「お兄さんの?」 那智の滝前で見かけた湛快の姿を思い出した。 「えぇ。ほら、そこに昔の兄にそっくりなのがいるじゃないですか」 「あぁ……」 しみじみと納得する望美。それにはさすがのヒノエも肩を落とす。 「姫君、そこで納得されると俺の立場ないんだけど」 「あ、ごめんね! なんかでも、すっごいよく解る例えだったから」 フォローになっていない。 「あのなぁ……、確かに容姿だけじゃなく、親父の性格をオレは色濃く受け継いでるさ。でもな、そいつだって昔は相当なもんだったんだぜ?」 「え、やっぱ遊んでたんですか?」 「遊んでたとは人聞き悪い。僕のは情報収集です。女性と遊んだ覚えはありませんよ」 涼やかな顔で流す弁慶。 「それをいうならオレだって女の子と遊んだことなんて一度もないぜ。その時その時、オレは本気だったからな」 「本気ならいいってもんでもないような……」 というか、軟派な人間が言っても、一番説得力のない言葉が『本気』であるという考えが望美の中で生まれる。 「ふっ、お前が妬いてくれるなら、幾らでも他の女性を目に映したいところだけど、生憎ともうそれが出来なくてさ。今はもう、目の前にある華だけしか見えないんだ」 顎を指で持ち上げられて、さすがの望美もうろたえる。顔の距離が近すぎだ。 「や、妬いてなんかないよ。そういうのは個人の自由だし。どさくさに紛れて変なこと言わないで」 「動揺しているように見えるけど?」 「そんなことされたら落ち着きなくなるのは当たり前でしょう。ヒノエ、彼女をあまりからかってはいけませんよ」 弁慶がやんわりと望美の身体をヒノエから離した。 「本気なんだけど……ま、仕方ないね。まだまだ時間はあるし、今日はこの辺にしておこうかな」 「び、ビックリしたぁ……」 「ははっ、本当にお前は可愛い反応をするね」 赤い顔して胸を押さえている望美を見て、ヒノエは笑い声を立てた。 「さてと……さっきから向こうで姫君のことを呼んでる奴らがいるけど、そろそろ行ってやったらどうだい?」 「え? 本当に? 全然気付かなかった……」 耳を澄ませば確かに、白龍と譲の声が望美を探して呼んでいる。 ヒノエは悪気ゼロの飄々とした様子で肩を竦めた。 「ごめんね、少しだけお前を独占したくてさ。見えてたんだけど気付かないフリをしてたんだ」 しかし、ヒノエが気付いてたということは、立ち位置で見ても弁慶だって気付いていたはずだ。なのに何も言わないなんて、珍しいこともある。 「弁慶さんも、解ってたんじゃないですか?」 口に出してみれば、弁慶も少々策略めいた笑みを浮かべた。 「ふふっ、やはり解ってしまいましたか。最近は出ずっぱりだったのでロクに話も出来ていませんでしたから、たまの休日くらい君とのんびりしたかったんですよ。でも、さすがにこれ以上拘束すると、皆から恨まれてしまいそうですね」 やはりこちらも悪気のない笑顔である。 「あーあ、結局二人から昔話が聞けなかったなぁ。なんだかはぐらかされて終った気がする」 「気が向いたら、教えてやるよ」 「そうですね、またそのうちに、ということで」 不満げな望美に、くすくすと笑うヒノエと弁慶。 しかし、呼ばれているのだから行かなくては。 「じゃあ、本当に今度は教えてくださいね」 忘れないようにと告げておく。そしてそのまま立ち上がり、呼ばれているほうへと望美は行ってしまった。 「今度だってさ。さすがのアンタも逃げられないんじゃないの?」 「それは君もでしょう? お互い様です」 「ほんっとにアンタって食えない奴だな」 「それも君でしょう? こうやってお互いに彼女への思いを牽制してるんですから」 弁慶も言い返してそのまま立ち上がった。 「どこいくんだよ」 「彼女はいなくなってしまったし、僕も仕事がありますから。いつまでも君と喋っているわけにはいかないんですよ」 「こっちこそ、姫君の代わりにアンタと話すなんて、願い下げだね」 ヒノエも立ち上がり、弁慶に背を向けた。 「お、雨止んだじゃん」 「えぇ、そのようですね」 もう、空を覆っていた黒い雲は通り過ぎてしまった。 「雨上がりというのは、やはり綺麗ですね」 「あんま認めたくねぇけど、そればっかりは同感だぜ」 二人の言葉通り、雨上がりの水滴が至るところで光り輝いている。 葉先や石の上や水溜まり。世界の全てを洗い流したように、雷雲は全てを磨いていったみたいだ。 そして何よりも、雲が晴れた空には夏を感じさせる爽快な青色が、何処までも広がっていた。 了 初☆正統派恋愛鞘当話。ギャグに走ってないです、一応。 我ながら快挙だ(違うから) ニヤケて頂ければこれ一興なのですが。そんな話。 20051122 七夜月 |