バレンタイン ドアを開けてくれたヒノエくんより先に部屋の中へ入る。自分の家でさえエスコートを忘れないとは。さすが、ヒノエくん。 お邪魔しまーすと声をかけ、部屋の電気を探す。やっぱり他人様の家のことはわからなくて、真っ暗な中手探りで壁伝いに歩く。 「ヒノエくん、電気どこ?」 わたしが探している手の上に、ヒノエくんの手が触れる。 「いっそ点けずにこのままっていうのは?」 「は? なんで? 暗くて何も見えないでしょ」 「お互いを見なくたって愛を紡ぐことは出来るだろ? 肌と肌で感じあうとか」 「?……まったく意味が解らないんだけど」 ヒノエくんは時折こうしてわたしには意味がさっぱり解らないことを聞いてくる。 怪訝に振り返ると、慣れてきた目でヒノエくんの表情を捉えることができた。えーと。あ、呆れてる…なんで? 「……望美には少し早かったみたいだね」 そんな溜息をつかれても、わからないものはわからないんだってば。 「早い? うーんと、それより早く電気点けて欲しいんだけどなぁ。貰ったチョコレートケーキ食べたい」 わたしの心は既にこの良い香りをしているチョコレートケーキに向いている。 「オレはお前が食べたいんだけど」 「ああ、わたしのチョコ? ごめん、ちょっと失敗しちゃった」 ポソリと呟いたヒノエくん。律儀に食べずに全部返してきちゃったから、おなか空いてるのかな。 だから一応正直に自分のチョコの出来を報告しておく。食べてマズイって思われるのは悲しいけど、覚悟しておいて貰えば少しは緩和されるかもしれないし。 「いや、そうでなく」 「あ、でもね。見た目がどうであれ、おいしくなくてもマズくは無いはず! 試食させた将臣くんが昏倒しなかったから」 そう、これはわたしの自慢なんだけど、最初化石だなんだと騒いでた将臣くんでさえ、最後は苦渋の決断と言わんばかりに上手くないこともないって言ってくれたんだよね。一晩ですごい進歩だと思うの。 「……………もう何も言わないでおくよ」 「どうしたの? 具合悪い? 電気電気…っと、あった」 ようやく電気を点けると、部屋に灯りが灯ってその眩しさに少しだけ視界が白じむ。戻った視界の次に見たものは、顔を覆って俯いているヒノエくんだった。なんだろう、すごく疲れてるみたいなんだけど……。 「やっぱ具合悪いんじゃない? 弁慶さんに戻ってきてもらう?」 「いや、いいよ。姫君の鈍さはよく解ったから」 「失礼な、他人様の家なんだからそんなすぐに電気点けられないよ」 そういう意味では無いんだけど…とヒノエくんは苦笑した。じゃあ、どんな意味なの! 問い詰めようとも思ったけど、ケーキが待っている事を思い出す。些細な問題なんて後でいいや。今はこのケーキを切り分けて、バレンタインという甘美な夜を過ごそう。ん〜甘いものって素敵! 今年は友チョコも譲くんからしか貰ってないし、思わぬ収穫だったなぁ〜でも、あんまり食べると太るんだよね…気をつけよう。 無事に電気がついて、手を洗ったり動きやすくなったところで、わたしはお茶を入れようと立ち上がる。だけど、ヒノエくんがその肩を押さえて、わたしをソファーに座らせてしまった。 「お前は座ってなよ、オレがやる。ケーキなら紅茶かな」 「うんっ、ありがとう!」 手伝おうかとも思ったけど、わたしの手を借りずともヒノエくんの入れた紅茶はすごくおいしい。どこで習ったのかと以前聞いたら、しかめっ面で「紅茶を上手く入れないと散々グチグチいう嫌味ったらしい奴と住んでたんでね」と返された。アレはもしかしたら、弁慶さんの事だったのかもしれない。必要に迫られてってことみたいだけど、今こうしてわたしはおいしい紅茶にありつけるのだから、ヒノエくんには悪いけれど弁慶さんに感謝しなくちゃ。 お茶をヒノエくんに任せたので、わたしは綺麗なラッピングを外して念願のチョコレートケーキを拝見する。 四角い箱に入っていたケーキを取り出して周りを観察する。チョコレートが塗られている一見するとフツーのチョコレートケーキだ。 「望美、先に言っておくけど、味の保障はしないぜ」 「へっ?」 きゅーんとチョコレートケーキにときめいているわたしに釘を刺すかのように、ヒノエくんが遠い目をしながらそういってきた。 「料理出来ないから、あの人。まぁ、小姑みたいな奴に言われて少しはマシになったみたいだけど」 「でも、わたしもお菓子は作れないから、あんまり味には拘らないよ」 ええ、そうですとも。他人のことを言える腕前ではないのですから、この際味より込めた想いが重要だとわかってますよ。 用意されたフォーク、ヒノエくんがお茶を持ってきてくれるのを待って、わたしは上機嫌でいただきまーすと口にチョコケーキを含んだ。 「ん〜! おいしい!」 「そっか、良かったな」 口の中でチョコが蕩けて、程よい甘味と苦味が混ざり合う。普通のチョコレートケーキに比べたら、少しビター仕様になっているみたいだった。リキュールが入っていて、まさに大人のためのチョコレートケーキだ。こんなおいしいケーキを食べないなんて、ヒノエくんは勿体なさ過ぎる。 「ヒノエくん、本当に食べないの? そんなに甘すぎないし、普通においしいよ?」 「ああ、一度決めたことだし。ところで、望美…オレに渡すものない?」 そのヒノエくんの笑顔に思わずわたしは尻込みしてしまう。 うっ、来た……もちろん、渡すつもりではいた。いたけれど、このチョコレートケーキに比べたら、わたしの作ったものなんて全然大したものじゃない。本当は渡すのも申し訳ないくらいなんだけど、わたしのために断ってくれたっていう気持ちがすごく嬉しいから余計に居た堪れないという思いもあるけれど、とにかく渡さないことには始まらないのだ。 わたしは覚悟を決めて、自分の鞄を開いた。すぐにも見つかる透明な包みにちょこんとついてるリボン。カードも何も用意してなくて(正しくは用意はしていても、チョコレートがとんで使い物にならなくなった)、ただ形がところどころ変形しているチョコレートが姿を現す。 わたしは深呼吸してそれをヒノエくんに差し出した。反応が恐いので、俯いたまま。 「努力の結果は認めてください。でも口に合わなかったら遠慮なく言ってね。ちゃんと既製品を買ってから改めて渡すから」 精一杯の言葉。渡す言葉がこれってどうなの? と、言ってから気づいたけど、でも他に浮かぶ言葉なんてない。 今までありがとう、これからもよろしくねってなんか違うし、ごめん、失敗しちゃったはさっき言った。食べてくれると嬉しいなって、本心だけど強要するものじゃないだろうし。 うーん、考えれば考えるほど訳がわからなくなってきた。 色々と考えていると手からするりとチョコが引き取られていった。 貰ってくれたことに安堵をして、わたしは顔を上げるが、すぐにも視界が覆われる。 「ありがとう、既製品なんかいらないし、そんなこと考えなくて全然いいから」 両思いになったときにしてくれた抱きしめ方とは違う、柔らかい抱擁。 優しいヒノエくんの言葉。じんと来てしまう。……来年の今日のために普段からお菓子作り頑張ろう。 「ごめんね、来年はもっと味も見栄えもよくなるように頑張るね。貰ってくれてありがとう」 「お礼を言うのはこっちなんだけど、でもそうだね…ホワイトデーは楽しみにしてなよ。特別なお返しを用意するから」 「うん、期待してる」 特別なお返しってどんなのだろう。楽しみが増えた。 お互いに自然と笑ってしまい、わたしたちはゆっくりと離れた。こういうことにまだ慣れないわたしへのヒノエくんの配慮。本当に紳士的というか…ちゃんとわかるんだからすごいよね。 なんか、照れくさくて恥ずかしくなった。だけど、こんなバレンタインも悪くないかもしれない。 結果オーライ。ちょっぴり苦い思い出もあるけれど、少しはこういう行事も必要なのかも。 大ッ嫌いって思ってたけど、うん、バレンタインを作ったヒト、ちょっとだけ尊敬する。 来年はもっとずっと頑張ろう。 チョコも恋も、甘くなるようにね。 了 20070216 七夜月 |