雲と風の法則 大気を流れる風に乗って、雲は今日も空に浮かんでいる。 手に届きそうなほど近くに見えるのに、雲はその手に掴めない。遥か上空をゆっくりと時間をかけて流れていくのだ。 そんな雲を見ていると、望美はいつも自分を見失いそうになる。 特に、こんな風に浜辺に一人で座っていると、考えなくても良い事まで考えてしまうようだ。 「何を見てるんだ?」 「あ、九郎さん」 問われて振り替えれば、そこに居たのはオレンジの髪の彼。 まるで夕暮れの雲の色のようにとても鮮やかな彩りだと望美はいつも思う。 「雲を少し見てました」 「雲を?」 言われて九郎も空を見上げる。 「空になにかあるのか?」 「だから、雲ですってば」 「そんなものは見れば解る。俺が言いたいのは、空に何か思い入れでもあるのかってことだ」 九郎は望美に目で隣りに座る旨を合図して、了承をもらうと座った。 「えっ、あー…思い入れって言うか…授業中はよく空見てたなぁって思って」 「授業中に?」 「ちょうど私のいる所から外が見えたから」 そうか、と頷いて九郎は相槌を打った。 望美はそのままごろんと後ろに寝転ぶ。 懐かしい感覚だった。 春や秋先には、こうして砂浜に寝転がって飽きるまで海を見ていたことも、あちらの世界では何度かあった。 「帰りたいか? 元の世界に」 「でも、やることはやらないと。やっぱり途中で投げ出せないし」 「そうだな」 九郎の言葉は苦笑をもたらす。 そよそよと吹く風は、今どこかで戦が起こっているなどとは微塵も感じさせないほど、穏やかで。 波の音もまるで子守歌のように眠りを誘う静けさだ。 「こうしていると、我を忘れそうになるな」 目を細めて、この穏やかな時間を満喫している九郎に、望美は笑った。 「私もですよ。本当は白龍の神子なんて夢で、今も授業受けてるただの春日望美なんじゃないかって」 よいしょと勢いつけて起き上がると、髪についた砂を払う。 「でも、それはやっぱり夢だから。だからこそ、守らなきゃいけない時間なんですね。何も考えずにただ空を見つめているのってすごく贅沢な事なんだって、こうする度に思うんです」 望美は足を抱え込んで俯いた。 「雲になりたい。雲みたいに、ゆっくりと時間を過ごすのって、すごく素敵なんだろうな」 「あぁ、そうだな」 やはり同じように雲を見つめてる九郎を見て、望美はふと考えた。 自分では雲にはなれない、だが九郎はどうだろうか。自分よりも余程、九郎の方が雲になれる気がする。 時には雷のような勇ましさを伴い、皆に士気を与え、戦場を駆け抜けて行く姿は雷雲そのものだ。 かといって、まっすぐで誠実なところは太陽の色に染まる朝焼けや夕暮れ時の雲のようである。 そう、九郎は雲みたいだ。 何よりも、こうしてすぐ傍で手が届く距離にいるのに、その心に触れる事は出来ない。 触れるには遠すぎる人。 望美の中で膨らんでいる思いを告げる事は迷惑ではないかと、拒否される事が怖かった。 だから、今は触れられない。 けれど、もしも全部終わったら……。 「やっぱりやめた。九郎さんが雲なら、私は風になる」 「なんだ急に」 「何でもです」 風になって、いつまでも一緒に空を飛ぶ方がもっと素敵だと気付いたから。 貴方を連れてどこまでも行く。そこが何処であろうと、二人一緒なら平気でしょう? なんて、ただの私の思い過ごしかもしれないけど。 「何だ、気になるだろ」 「そうだなぁ。例えば風になったら、私が源氏に勝利の風を吹かせられるかもしれないでしょう?」 「ああ、そうか……。ならお前はもう風なのかもな」 笑った九郎は望美の髪をひと掬いすると、愛しげに梳かした。 「お前が来てから、勝利の風はいつだって吹いていた。お前のお陰だ」 「く、九郎さん…」 予想外の至近距離にどぎまぎしている望美の様子には気付かない。 「雲と風か……なんか、良い組み合わせだな。俺たちならこれからの戦も上手く行きそうだ」 そこでようやく必要以上に近付いてることに気付いた九郎は、顔を染めて勢い良く離れた。 「ま、まあ。俺が勝手にそう思っているだけなんだが」 「……い、いいえ!私もそう思いますから!」 「そ、そうか……」 照れた二人はしばらく言葉が見つからずに沈黙で時を過ごす。 「っくしゅん!」 が、しかし、望美のくしゃみが沈黙を破った。 「長く潮風に当たり過ぎたな」 きびきびと立ち上がり、望美に手を差し延べる九郎。 「戻るぞ。皆のところへ」 「……はい!」 笑顔に応えるように強く握りかえし望美は立ち上がった。 その手はすぐに離れてしまったが、同じ空の下雲と風は共に歩んで行く。 それを思えばこの距離は居心地良いものかもしれない。 そんな風に想い、望美は九郎の隣りを歩き出した。 いずれは手に手を取り、この空の下 雲と風の如く歩いて行く日を胸に描きながら。 了 20051003 七夜月 |