邂逅 9



「望美、俺だ……入るぞ」
「はい、どうぞ」
 邸に戻った望美は、部屋に戻って休ませて貰っていた。というか、涙が止まるまで落ち着く時間が必要だったからだ。
 今までは朔がそばについてくれていたが、望美の涙もおさまりとりあえずお腹がすいていた望美のために、食事を用意しに行ってくれたのである。
 いつまでも九郎を悪者にしておくわけにはいかないと、誤解を解くためにも望美は弁慶に頼んで九郎を呼んでもらったのである。
「呼び出してすいませんでした」
「いや、こちらこそ……なんというか、さっきは言いすぎた。悪かったな」
 望美の涙にはもうこりごりなのか、いつもより低姿勢な九郎は起き上がっている望美に向けて、篭一杯の柿を差し出した。
「先ほど泣かせた侘びだ。腹が減っているだろう、それでも食べて、元気を出せ」
「わざわざありがとうございます。でも、九郎さんのせいじゃないですから、気にしないでください。私が勝手に泣いたんですし」
「いや、だが確かに俺も少し気遣いが足りなかった。本当に悪かった」
 あれから色んな人に散々なじられたのだろう。今日の九郎は笑えるくらい態度が低かった。実際笑ったらまた落ち込みそうだから、心の中だけで留めて置くが。
「本当に九郎さんのせいじゃないんです。安心したら涙が止まらなくなっちゃっただけで……皆のところにようやく戻ってこれたから」
「……今まで何処にいたんだ?」
 聞かれるとは解っていたけど、いざとなるとなんと言ったらよいか解らない。過去に行ってました、なんていって信じてくれる人間がいるだろうか。突拍子も無さ過ぎて、信じてくれる確立の方が低い。
「……」
 躊躇ったまま口を噤んでいると、九郎は溜息をついた。
「まあいい、言いたくないことなら無理にはきかん。だが、今度からはいきなりいなくなったりするのはやめてくれ」
「ごめんなさい」
 望美とていきなり消えたくて消えたわけではないのだが、心配してもらった手前、何もいえない。
「心配してくれたんですよね? 朔から聞きました。一番落ち着き無かったって」
「それは、あんなことがあった後だから余計に気になっていただけだ!」
 図星だったのか、顔を染めて否定する姿に嬉しさを感じてしまう。九郎との距離が少しだけ近くなったような、そんな錯覚が起きるほどだ。
 望美はもう解っていた。自分の中に生まれた感情が、否定できないものであるということを。否定しても、意味が無いということを。
 だって、安心して涙が出てしまうほど、逢えて嬉しいのだから。
「お前が……消える前にしていた話だが」
「え?」
 突如、いいにくそうに九郎は話し出した。何のことかと思いきや、望美が嫉妬する原因となった話のことである。
「俺の恩師だ。あの時代、現れるはずの無い怨霊から俺を守ってくれた、命の恩人だ。それだけのことだからな。だから、何と言うか……あまり変な勘違いはするなよ」
「変な勘違い?」
「つまり、俺がその恩師に対して並々ならぬ感情を抱いているとか、そういうことだ! そんなもの、さすがにもう持ち合わせてはいないぞ」
「ってことは、やっぱり初恋だったんだ」
 2度目の図星に九郎は墓穴を掘ったことに気付く。
「初恋といえど、名前も知らないし、今どこにいるかも知らない人だ!」
 否定することはもう念頭には無いようで、望美もその点について深く追求するのはやめることにする。誤解を解こうと必死になっている九郎を苛めるつもりは微塵も無い。
「その人、どんな人だったんですか?」
「剣が強くて、綺麗な太刀筋を持った人だった。俺はあの人に一度も勝てなくてな。鞍馬山で逢い、初め怪我をしていたので匿っていたんだが、元気になってからは稽古を少しだけつけてもらっていた」
 ここに来て、望美はうん?と首を捻った。
 どこかで聞いたことのあるような。
「先生に用があったらしいが、結局先生にお会いする前にその人は光に包まれて消えてしまった」
 あれ?
「別れ際に約束をしたが、もしももう一度出逢ったら再び手合わせ願いたいものだ」
 それってもしや……。
「九郎さん、覚えてるんですか? 鞍馬山でであったその女性のこと」
「? 当たり前だろ、でなければこんな話するわけないじゃないか」
「じゃあ、その人の顔とかは?」
「顔? そういえば、お前によく似ていたような……」
 似てるんじゃなくて、多分本人です。
 喉元まで出掛かった言葉をグッと飲み込んで、望美は思わず苦笑いをした。つまり、望美は過去の望美にどうやら嫉妬していたらしい。
 あまりのことに初めは言葉も無かったが、その意味を改めて考えると、嬉しいような恥ずかしような。
 九郎の初恋の相手というのは、望美であるということだ。
 意識した途端、全身から火が吹きそうなほど熱く赤くなる。
 どうしよう、嬉しすぎる。
「でも、なんでいきなりそんな話を?」
 はたと気付けば、確かにこんな話になった経緯がわからない。九郎を見れば、九郎は眉をひそめていた。
「誤解されたら困るからだ」
「何で困るんですか?」
「それは……色々だ、色々! 仮にもお前は俺の婚約者だろうが、うかつに兄上に昔話などされてはたまらない!」
 意味の解らない理屈の上、この場面で婚約者を持ち出すのは卑怯だと思う。
 ただでさえ嬉しくて顔が赤くなっているのに、望美は知らずに更に隠し切れないほど赤くなった。二人揃って真っ赤である。篭一杯の柿よりも赤いのだからしょうがない。
「とにかく、そういうわけだからな! 俺はもう行く!」
その場にいるのが耐えられなくなったのだろう。九郎は立ち上がると、振り向きもせず立ち去ろうとした。
「待ってください、九郎さん!」
呼び止められなかったら、きっとそのまま行ってしまっていたと思う。
「約束、覚えてるのなら…! 後で稽古つけてくださいね!」
 何のことだ?と振り向いた九郎が見たのは、望美の右腕につけられていた、ボロ布の包帯。見覚えがあるなんてものじゃなかった。それは自分が初めてあの人のために巻いた包帯なのだから。
 昔の記憶が鮮明に蘇り、そういえば笑顔が素敵な人だったと望美の笑顔で思い出した。
「お前……」
「約束、です」
 色々なことが合わせ絵のように九郎の中でまとまった。何故だかすんなりとその事実を受け入れられたのは、やはり望美が白龍の神子だったからだろうか。過去のことであるはずなのに、その包帯を巻いたのは自分であるという確信。神子の力がどんなものかを知らない九郎には首を捻ることも多々あるが、それでもこれだけは強く信じられた。
「ああ、約束は守る」
 心の底から嬉しそうに呟いて、九郎は望美の部屋を後にした。
「…………まさか、本当に私だって解ってくれたのかな?」
 違うと思っているけれど、そうであって欲しいという思いのほうが強い。
 知らないうちに右腕の包帯をギュッと握って、望美は暫く幸せをかみ締めた。

 後々に九郎が、自分の初恋の相手を望美に語ったことについて赤面するのは、もうしばらくたってからのことだった。
 


 了



 リクいただきました。れんさんありがとうございました!

   20060125  七夜月

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