お前が俺を選ぶから 「なんだ、皆もう部屋に戻ったのか?」 望美と連れ立って邸の中まで戻ってくると、灯りはほぼ消えていた。連日平泉のために働いてくれている仲間たちは忙しいのだ。疲れも出るだろう。 それに弁慶とヒノエは今日は高館に用があり、そのまま泊まってくるといっていた。 あの二人が揃うならば、たまには懐かしい熊野の話を酒を酌み交わしながらするのだろう。ヒノエは嫌がりそうだが、御館の命には逆らえまい。 そんな考えが思わず浮かんでしまうと、自分も酒が飲みたくなってきた。 「九郎さんが遅くまで稽古してるからですよ。もう寝ちゃったのかな」 「誰かと酒でも酌み交わしたい気分だったが、仕方ない。少々湯を貰い、俺も休む。お前もさっさと寝ろよ」 期待が外れてしまったが、望美の言うとおり今回は自業自得だ。元々遅い時間に出てきたのだからと諦める。 「…………はぁい、解りました」 その間はなんだ、と問い掛けたい衝動に駆られたが、後が怖いのでやめておく。また何かたくらんでいるようなので、警戒だけは忘れないようにしようと誓った。 望美とその場で別れて、泰衡殿からも許可を貰っていたので俺は湯を勝手に拝借すると、さっぱりした気分で離れに戻った。普段なら一緒に居るはずの弁慶がいない今日では、ほかの仲間は母屋に居るだけだ。 譲は朝食を作る関係上母屋に身を置きたがっているし、将臣もそんな譲と同じ部屋にいる、白龍も神子の近くがいいと母屋に居る望美の傍を選んでいるし、敦盛と先生も白龍と同じ部屋に居る。朔殿は言うまでも無く望美と同じ部屋だ。 平泉に来てからごたごたしていたが、ようやく落ち着いてきた。これからのこともまた考えなければならない時期が近付いてきている。 いつまでもここにはいられない。源氏を捨てた俺がいるだけで迷惑が掛かってしまうのならば、俺は別の居場所に自分の居場所を作っていかなければいけないのだから。 髪を拭き、離れに一歩入ると、濡れ縁に座りながら何故か足を振り子のように揺らしている望美の姿があり、俺は思わず目を疑った。 「寝ろと言っただろう、何をしてるんだ」 近くに寄り望美を覗き込む。すると、望美の頬はいつにも増して上気している様だった。その理由は聞かずとも解る。手に持っているそれが原因であることは間違いなさそうだ。 「何って、九郎さんが言ったんじゃないですか、酒を酌み交わしたいって。私じゃ役不足だとでも?」 杯を右手に持っているが、まだそれほどまで飲んでいないようなので少し安心する。 「そうではないが、お前と一緒だと飲んだ気にならん。お前が酒に呑まれないか心配だからな」 「あは、いつも翌朝になると二日酔いですもんね、私」 「そうだ。だからもう、やめておけ」 杯を取り上げると、望美は駄々をこねるように俺の脚にしがみつく。 「九郎さん、返してくださいよ、酷いなぁ」 「酷くない。普段飲まないくせに何を言う。ほら、部屋まで送ってやるから、大人しく寝ろ」 ひっついている望美の両脇を抱え上げると、望美は不満そうに口を尖らせた。 「もう少しくらい…いいじゃないですか」 「ダメなものはダメだ」 「この、分からず屋!」 急に立ち上がった望美は俺をどつくように押し、自らもまた俺の上に倒れこんできた。 必然的に俺は望美に押し倒される形になる。 「お、おい! 何をやってるんだ……!」 望美が何をしたいのかさっぱりわからず、俺は困り果てて望美の身体を引き離そうとした。しかし意地でも離れないつもりなのか、望美の身体はびくともしない。 「にぶちん、どんかん、ばか、あほ」 謂れの無い言葉の数々、さすがにあんまりではないかと抗議しようとした唇は望美によって塞がれた。 「せっかく二人きりに……久々になれたのに、一緒にいたいって思っちゃいけないんですか?」 「お前な、だからと言って一晩中話してるわけにもいかんだろう」 「わかってますよ、そんなこと! あーあー、せっかく今日はお風呂も入ってバッチリ決めてきたって言うのに、ホンット九郎さんって信じられない。女の子がこんなにアピールしてるって言うのに気づきもしないなんて」 望美の言葉は時折わけがわからない。だが、望美が自分に対して何かを訴えているということは伺えた。 「望美、お前身体冷えてるぞ」 「わかってますよ、もういいです、帰りますよ、おやすみなさい」 矢継ぎ早に言われた言葉と共に、望美が立ち上がろうとするのを俺は抱きしめて止めた。 何をしているのか、一瞬自分でも解らなかったが、結局は自分の思うままに行動する。 こいつはきっと拗ねているのだ。先ほど俺が敦盛に対して抱いたように、なかなか二人きりで会えなかった時間に対して。最近はそういった女の機微というもの、微かながらに理解できるようになってきた。 「なんです? 帰れって言ったの、九郎さんじゃないですか」 「いや、もう少しこうしていることにする。俺もお前が望むように時間を作ってやれなかったからな」 「ふんだ。今更ご機嫌取りなんかしたって無駄ですよ」 無駄と言いつつも、望美の身体から無駄な力が抜けて全身を俺に預けているのが解る。苦笑した俺は抱きしめる力を強くして、望美の髪に顔を埋めた。 「拗ねるな、二人きりなりたかったのは俺だって同じだ」 「じゃあ何で帰れってしつこく言うんです?」 「………それは、だな……アレだ」 「アレって何ですか?」 望美の言葉の響きが、一段と高くなる。その言葉に俺は確信した。 「お前、解ってて聞いてるだろ」 「いえ、まっさか〜。九郎さんの考えてることなんてこれっぽっちも解りませんよ?」 というわりに、声音はとても楽しそうだ。最近親友に似てきた気がする。 「とにかく、お前が残るって言ったんだ。それなりに覚悟はしてもらうぞ」 「ふーん、九郎さんのえっち」 えっち? どういう意味だ? 一応頭を捻ったがわかりそうも無い。だが、それはこれからじっくり時間をかけて聞けばいい。 「……望美」 上を向かせ口付けて、手から零れ落ちた酒と杯もそのままに、俺は望美の身体を横たえた。 長い夜が始まる。睦言を囁き、愛し愛される夜が。 この上なく至福なこの時、まどろみを抱えたまま迎える朝など来なければいいと願ってしまうほどに。 了 20060825 七夜月 |