もう一度 -Second time- 「九郎、額真っ赤だぞ」 「皆まで言うな、わかっている」 カランと、バイト先のドアベルが鳴り将臣が顔を上げると、入ってきた九郎の額が赤く染まりしかも腫れているのを見て本来言うべきの客をもてなす常套文句はでなかった。 「望美……だよな、聞くまでもなく。お前に頭突きするような人間そうそういないしな」 「ああ」 「で、今度は何したんだ?お前」 「それが……」 もう一度 −Second time− 「九郎さん、九郎さん。お誕生日おめでとうございます」 紅葉もそろそろ見ごろとなり、赤い葉や黄色い葉が地面に絨毯を作り始める頃、九郎は街灯の下突然望美がそういうものだから思わず立ち止まってしまった。これから二人で将臣のバイト先へ行こうと歩いている途中の事だった。 「なんだ突然」 こちらを見上げている望美はむっとしたように唇をへの字に曲げる。桃色の手編みのマフラーを首に巻き、赤い手のひらサイズのポシェットを肩がけしている。白と黒のチェックのセーターとデニムのスカートにブーツという格好は秋も深くなっているためか九郎には自ら寒い格好をしているようにしか見えないのだが、本人は「可愛い」と言ってほしいからそういう格好をしているらしいので、無難にも口に出すことはしなかった。 対する九郎の格好は普段どおりだ。若干将臣に感化されている感じがしなくもない、ジーンズの上にタートルネックのシャツに上着を羽織るだけというスタイルは、動きやすく彼が好んでいつもきているものだった。望美いわくもっとお洒落をということだったが、この世界のファッション概念に精通しているわけがないのだから、今の九郎には無理なことだった。 望美のムッとする理由がさっぱり解らずに、九郎は溜息をついた。 「誕生日ですよ、祝わせてくれてもいいじゃないですか」 「訳がわからん」 「とにかく、誕生日は祝うものなんですっ!前に聴きましたよね、贈り物に何がほしいですかって?」 「俺はいらんと答えたと思うが」 「そうなんですけど、贈りたかったんです」 望美は何をそんなに怒っているのか解らなかったが、九郎は本当にモノが欲しいとは思っていなかった。 九郎は幸せだと思っている。すべてが揃っているとは言いがたいが、すべてに相当するモノがこの世界にはある。 だから何を望むというのか。むしろ、望むこととすれば隣を歩くこの少女がいつでも幸福に包まれている事くらいだ。 だが少女は九郎の言葉を無視して、手にしていた小さな紙袋を差し出す。 「なんだこれは」 「誕生日プレゼントです」 「……あのな、俺は」 「受け取ってください、受け取ってくれないなら頭突きしてでも受け取ってもらいますから」 「なんだってお前はそう挑戦的なんだ」 「だってこれくらい言わないと受け取ってくれないじゃないですか」 「いや、だから俺は……望美?」 自分の感じている想いをどう告げようかと迷って受け取らずにいたら、望美が俯いてしまったのである。 「……どうしても受け取ってくれないんですか?」 「そういう話の前に、俺が言いたいのは」 「どうしても受け取ってくれないんですね?」 俯いていた望美がキッと九郎を睨んだ。睨まれた九郎はうっと後ずさる。何故ならそういう顔をした望美は、何をしでかすかわからないからだ。 落ち着けようとその肩に九郎が手を伸ばしたそのとき、胸倉をつかまれて九郎の視界は強制的に下に向けられた。 そして直後襲い掛かる酷い眩暈。真っ白になった世界は痛みよりも視界のぶれが酷かった。眼がちかちかして、何が起こったのかを冷静に考えてみるも、額の痛みからそれは簡単に推測された。 望美が宣言通りに頭突きをしたのだ。 「受け取ってくださいね!」 九郎が悶えているそのうちに、望美はそう言い残して逃げるように走り去っていった。もちろん、九郎の手の中にはプレゼントが残されたままだ。 追いかけようにも咄嗟の事でなんの覚悟もなかったために額の痛みに気をとられてあっという間に望美を見失ってしまった。 かろうじて見ていたのは二人で向かおうとしていた方へ望美が走っていったということなので、なんとはなしにはぐれることはないと思えて九郎はその後を追いかけた。 「で、ここに来たのか」 話を聞き終えた将臣は、盛大に溜息をついて皿を拭く手を止めた。 将臣は喫茶店でバイトをしている。九郎と望美はそこの常連だった。 「ああ、もとよりお前に逢いに来るつもりだった」 「あのな、ウチはお前らの溜まり場じゃないんだぞ」 「溜まりに来るわけじゃない」 「一緒だろうが、っと……オーナー休憩貰います」 店のオーナーから休憩を貰った将臣は一度店奥へ足を運ぶと、エプロンを外して戻ってきた。ただし、今度はカウンター側。つまり九郎の隣へ座る。 「お前の言い分はよく、解った。で、お前貰ったプレゼントがなんなのか中身を見たか?」 「いや、見ていない」 開けてみろよと促されて九郎が包みを開けると、そこに入っていたのは腕時計だった。 「これはなんだ?」 「腕時計だよ、ほら普段は俺もつけてるだろ」 「ああ、なるほど。腕につけるものか」 将臣の見よう見まねで腕に時計をつける。それは確実に時を刻むものであり長針と短針がそれぞれの役割を果たすように動いていた。 いざ、つけてみて頭を捻る。 「俺はこれをどうすればいい?」 「普通に使えばいいんじゃねえ? 持ってても不便じゃないだろ?」 「ふむ、普通に使えばいいのか」 だが、改めてどういうときに使うものなのか良く解らない。時間を知りたいときに使えばいいのだろうが、普段そこまで時間を気にすることが無いために、九郎は持っていながらもあまり活用することが無いような気がして罪悪感を覚えてしまう。 「何故、望美はこれを俺にくれたんだろうな」 「……ホントは内緒にしろって言われてんだけどな」 将臣は少し声のトーンを落とした。やれやれといった感じで呆れたようにも見える。 「アイツ、お前と同じ時を刻みたいんだと。一分一秒でも一緒にいる時間を大事にしたいから腕時計を選んだって言ってたぜ。要するにさ、改めて生が始まる喜びを、一年一年大切にしていきたいんだろ? お前が老衰で死ぬまでさ」 「……老衰」 「なんかそういったときのアイツちょっと追い詰めてたから気になってたんだよ」 生と死の両極端な世界を経験してるからだろうか、九郎はそんなことを考えてみたがこればかりは当人にしかわからないことだ。 「わかった、将臣すまなかったな。望美を探しに行く」 席を立った九郎は、出されていた紅茶を飲み干すと、上着に腕を通す。 「ああ、その必要ならないぞ、アイツの居場所なら心当たりがある。つーか、アイツから伝言だ」 将臣はあっけらかんとそういった。 海岸沿いに歩いていると、確かに見えた望美の後姿。浜辺に続く防波堤のところで足をぶらつかせて座っていた。彼女が気づかないように後ろからそっと近付くも、気配を完全に断たせられなかったのか勢いよく望美は振り返った。 「あ、九郎さん」 その望美の機嫌はすっかり直っているようだった。別れてから二時間弱といったはずだがその望美の竹を割ったような性格は素直に感心する。 というか、お前は鶏かと言うとまたそれはそれで新たなケンカの火種になっていくので、九郎も押し黙ることを学んだのである。 「寒くは無いのか?」 「ものすごく寒いです」 「では何故こんなところにいる」 「だってここにいないと九郎さんわたしを見つけられないかと思って」 当たり前のようにそういった望美は防波堤の隣を軽く叩いた。座ってほしいときに必ずする望美のポーズだ。 「望美、先ほどはすまなかった……俺は受け取らないつもりではなくて、贈り物など貰わなくても十分幸せだということを伝えたかっただけなんだ」 「わかってますよ」 座りながらそういった九郎と望美の間に微妙な距離が生まれた。隙間約一歩分。お互いにピッタリくっつきあいたいわけではないし、絶妙なその距離感に甘えてしまうときがお互いにあった。 「いいんですよ、わたしがどうしても渡したかっただけなんですから」 望美は変わらずに海を見つめながらそういった。 防波堤を吹き荒ぶ風は冷たい、望美の髪を弄ぶ風。こんな冷たい風にあたっていたら、身体を冷やすんじゃないかという九郎の心配を他所に、望美は平気そうな顔をしたままだ。 「望美、俺はお前が生まれてきて嬉しいと思ってくれるならそれだけでいい」 「当たり前です、嬉しくないはずがないんです。だからね、九郎さん。余計にわたしはそれを形にして残したいって思うんですよ」 「形にする?」 疑問符を浮かべて問い返すと、望美は頷いた。 「そうです、時間を形にしたり、想い出を形にしたり、些細なことだって形に置き換えて残したいなって思うんです。でも、全部そうしてたらキリがないでしょう?だからせめて、誕生日っていう記念日くらいそうしたいんですよ」 「そうか」 言葉や思い出だけじゃたまに気持ちを伝えきれないときがあるからこそ、そういうことは必要なのかもしれないと九郎は思う。特に、他人の機微に疎い自分は余計にそういうことを考えなければならないのだから、こういう望美の気遣いを無下にしてはいけなかったのだ。 「そうなんです、一歩間違ったらわたしたちこうやって二人でいる事はおろか、出会うことすらなかったかもしれないんです。だから、わがままだと思って許してほしいな」 「許さないはずがないだろう」 それを言うなら、見抜けなかった自分を許してほしい。まだまだ半人前の自分はこちらの世界に来ても成長出来ていないというのが今回の件でよく解った。 「ふふっ、良かった」 望美は許しが出てようやく九郎を見て、にっこりと笑った。 「さっきの頭突き、大丈夫でした?」 半歩分だけ望美が近付いて二人の距離が縮まる。九郎の前髪を持ち上げて、確認し始めた。 「コブができるかと思ったぞ」 「あ、本当だ。ちょっと腫れてますね」 あの時の衝撃と痛みが甦って、九郎は溜息をつきながら答える。望美は見た感じまったく平気そうだ。一体どんな石頭だと思ったのは、本人にはさすがに言わないでおく。すると、望美はふふふとまたも笑いを漏らしてその額にキスをした。 「いきなりなんだ」 「ごめんなさいの印ですよ」 そんな印のためにお前はいちいち口付けるつもりなのかと、九郎はまたも溜息をつきたくなったが、ふと気づいて真顔になる。 「それは友人にも分け隔てなくするのか?」 要するに、将臣や譲とも…ということなのだが。 「そんなわけないじゃないですか」 「そ、そうか」 明らかにほっとしてしまい、九郎は慌てて顔を取り繕う。 「これは向こうに居たころからずっと言っていたが、お前は慎みと言うものが少し足りないぞ、少しはこちらの気を…」 ヒュッと風が九郎の耳を掠め、望美の髪が頬に触れる。 無言にならざるを得なかった。仕掛けてきた張本人は悪意ゼロの満足気な微笑み。九郎を出し抜けたことがとてもうれしいらしい。 「慎みがなくてごめんなさい」 舌まで出す余裕があるらしい。言葉が弾んでいるところからして、相当楽しんでいるのはよく解った。だが、九郎も男の身である。何度もこうして出し抜かれて喜べるはずが無い。 「なんだってお前はそう挑発的なんだ」 「あ、さっきと同じような台詞だ」 「言わせてるのはお前だ」 「ごめんなさい」 「誠意が無い」 「慎みよりも?」 飛び交う言葉はいつもと同じで決してレベルが高いものではない、けれども二人の間にあった距離が少しずつ縮まっていくのを等の本人達は知らない。 そして二人の距離が0になった時、結局二人は言葉を発しなくなる。言葉がいらなくなるからだ。お互いの息で、鼓動で、感じ取る。 生を受けた日など関係なく、九郎はこういう風に接することが何より満ちた時間だと感じていた。 だけど、こうした時間を想い出として留める為に必要なのであれば、誕生日に贈り物をするこの世界の慣習を素直に喜ぶ。 今はたった一つでも、幾年過ぎたらそれは越えてきた年分大切なものと変わる。形として残る。いつか消え失せてしまうかもしれない時間の中にうずもれないように想い出の結晶を残そう。 九郎はそう思いながらその小さく華奢な少女の身体を抱きしめた。 了 20071112 七夜月 |