ギャップ



「九郎さん……九郎さんはそんなヒトじゃありませんよね?」
 出会いがしらに泣きそうな顔でそういわれ、九郎は戸惑いを通り越してうろたえた。
 望美の思考回路が突飛なのはいつものことだが、会った瞬間に自分の知らないところで引き合いに出されてましてや泣きそうになっているのだ。九郎は望美の能天気な顔や怒り顔はたびたび拝顔していたものの、泣き顔は免疫がない。もちろん、泣き顔を見たことないわけではない。むしろ望美の世界にやってきた後では、テレビを見ては泣き、逆ギレ(というらしい)しては泣き、泣くことに忙しい娘なのかと思ったくらいだ。まあ、号泣したところを見た回数は確かに数少ないが、それでも望美の涙は九郎にとって他の誰よりも特別なのだ。
 泣き顔見れば「泣くな」と言いたいし、それすら届かなければ己の胸を黙って貸す。だが望美はまだ泣いていない。
「どうした?」
 だから代わりに九郎に出来る目いっぱいの優しさで尋ねた。人前ならば絶対に出さない恋人を心配する顔、今が放課後の学校前で良かったと思う。望美の大学帰り、九郎の仕事が終わるのを見計らって迎えに来るのは週に一度の二人の楽しみだ。肩に担ぐのは、布を被せられた九郎の竹刀。望美の卒業した高校の外部講師として九郎が赴任してから三年は経った。
 望美は首を振りながら重苦しく口を開いた。
「今日、授業で先生に聞いたんです。源義経が実は好色だって」
 九郎の心配そうな顔が真顔になり、そして眉間に皺が寄った。
「はあ?」
「それだけじゃないんです。色白とか言われてるくせに敦盛さんと比べたら色黒だし、何より九郎さんは出っ歯じゃないじゃないですか、なのに出っ歯だって!」
「…………」
「平家側の女性を人質にとったとき、片っ端から手を出したって本当ですか?」
「望美……」
 九郎は望みの肩を軽く叩いた後、哀れみの目を向けてからその両頬を思いっきり引っ張った。
「んがっ!いひゃーい!!」
「お前がバカなことを言うからだ。だったら聞くが、お前の中の俺は史実の中の義経と同じか?お前は人質の女人に不貞を働くような男が良かったのか?」
 情けない顔を披露する望美は何とか九郎の手をどかそうと試みているようだが、九郎は少し怒っているのでそれは許さない。よく伸びるゴムのように望美の頬は弾力を持って伸縮を繰り返す。
「ごめんなひゃーい!」
 根を上げた望美の謝罪にようやく溜飲の下がった九郎は手を離すと同時に溜息をついた。
「もーう、九郎さん酷い!ほっぺた伸びたらどうするんですか!」
 頬をさすりながら文句を言う望美だが、九郎からすれば文句を言われる筋合いはない。
「お前が妙なことを言うからだ。俺で遊ぼうとするなら、俺も俺なりのやり方でお前に反撃するぞ」
「ちぇーっ、九郎さんのクセに変な知恵つけちゃって」
 聞き逃せない一声に九郎は望美を睨んだが、望美は目が合う前にサッと視線を外した。どうやら自分でも地雷を踏んだらしいことだけは解っているようだ。早く帰ろうと告げた望美に頷いて隣を歩き出した九郎に、望美がふと思い出したかのように九郎を見上げた。
「九郎さん」
「なんだ?」
「家に帰ったら抱きついてもいい?」
「構って欲しいなら最初からそう言え」
 返事の代わりに九郎は苦笑し、髪がくしゃくしゃになるほど望美の頭を乱暴に撫でた。


 了




 
  20080906 七夜月

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