パレード



 青い空は雲一つない快晴で文句の付け所がない。こんな天気の日に出かけるのは大歓迎であるが、時と場合と場所によるものなので、もしかしたら他の人間からしてみればこの場に居ることに対してうんざりした気持ちを抱えている人間がいるかもしれないな、と九郎は思った。九郎は特に嫌というわけではない。人ごみが苦手というわけでもないし、隣には望美が上機嫌に鼻歌を歌いながら歩いている。手を繋ぐというよりは、九郎の組んでいる腕に望美が掴まる形で歩いているが、これはいつものことなので特に不満もないようだ。
 秋空はとても高い、手を伸ばしても届かないのは当然だが一年のうちでもっとも遠く感じる季節になった。九郎は隣にいる少女のエスコートで、海の埋立地に出来た遊園地にやってきていた。休日の今日は家族連れが多く目に付く。子供を肩車している父親に、はたまた両親と手を繋いで歩いている子供の姿。赤ん坊を抱いた母親などもベンチで寛いでいる。こういう風に家族というものをたくさん目にすると、九郎はいささか羨望が生まれて意図的に前を向いて歩いた。家族は九郎の幼少期にはすべてを手に入れることは出来なかった。代わりに得た友情はとても大きなものだったが、幸せな家族に恵まれるということも一度はしてみたかったという思いはある。
「九郎さん、どうしました?」
 歩く速度が上がった九郎の様子がおかしいことに気づいた望美が声をかける。九郎は望美の顔を見て、それから微笑んだ。
「いや、なんでもない」
 幼い頃の自分は家族を手に入れられなかったが、今は家族同然に大切に思う女性がいる。少女だとずっと思っていたが、今はもう女性の面影を感じられるほど望美は成長していた。望美がいれば九郎は立っていられる。歩いていける。道を失った九郎に望美がすべて教えてくれたことだ。
「じゃあいきましょう、まずは何がいいですかー? それとも何か食べますか?」
 来て早々食べ物に目が行く望美に苦笑しつつも、こいつらしいと九郎は思う。
「食べたいものがあるのか」
「はい、全部チェックしてきました」
 ガイドマップには赤マジックと黒マジックを使い分けて、チェックマークがつけられている。どうやら赤マークが食べ物らしいが、だいぶ数がある。全部食べるつもりなのだろうか、食べるつもりなのだろう。この身体のどこにそんな胃袋があるのか不思議だが、当人曰く「お菓子は別腹」らしいのであまり追求はしないでいる。次の日暗い顔をして「体重が……」と呟いてるのは周知のことだが、体重の話をするのはタブーだと聞かされているので、九郎も注意はしない。というか、殺気だった目で微笑まれてから出来ない。
 今日は望美のエスコートなのだから、と九郎は案内を頼む。だが、逐一望美は行動を起こすたびに九郎に何がしたいかを尋ねてきた。その理由を尋ねると、望美は笑顔で答えてくる。
「今日は、九郎さんが主役の日ですから。九郎さんの好きにしてくれていいんです。九郎さんがやりたいこと、いーっぱいやりましょう!」
 どうやら九郎に何かしらの気を使ってくれているらしいことはわかった。せっかくの好意だ。こういう場所に来ることもめったにない九郎はその提案を快く受け入れる。
「では、乗り物というものに乗ろう。何に乗るかはお前が選んでくれ」
「わかりました、なら初めてでもビックリしないものから!」
 望美はニコニコと笑顔でガイドマップを指差し説明を加えてくれる。まさに至れり尽くせりの望美は普段以上に九郎のことを考えてくれているようだ。これがいい、あれがいい、望美のオススメする乗り物にどんどん乗っていく。九郎は車の免許は当然のことながら持っていないが、望美と一緒に乗ったゴーカートが思いのほか面白く、また望美にも筋がいいと褒められて免許を取ることに前向きに考えたりしてみた。
 こんな些細なことでも九郎にとっては大切な会話だ。些細なことを楽しげに話す機会なんて、そう多くはなかったあの世界。常に生死の問題は九郎を取り巻いていたし、自分の命令で多くの命が生死を左右された。だからそんなことを思い出す間もなくこうやって他愛もないことを話し合えるのがひどく嬉しい。
 それもこれも、望美のおかげなのだ。望美はいつも九郎に「嬉しい」をくれる。それは一人では決して手に入らない感情。相手が居て初めて成り立つ感情の一つ。多くの「嬉しい」を感じられる九郎はきっと幸せだと断言できる。
「望美、今日はありがとうな」
「はい! すっごいきれいですねぇー…………って、え?」
 日暮れが過ぎて、名物のパレードと花火を見ながら九郎は歓喜の声を上げている望美にお礼を述べた。突然のお礼に望美はきょとんと間の抜けた顔をする。
「お前のおかげでとてもよい一日が過ごせた。誕生日、今年も祝ってくれたんだな」
 望美が九郎に言われて即座に目を見開く。
「気づいていたんですか?」
「去年もこの時期だったからな、お前が俺に時計をくれたのは。それに、先日将臣からも贈り物を貰った」
「ええーーー! そんな、わたしが一番だってずっと思ってたのに! 将臣くん反則だよお手つきだよ一回休みだよ!!」
 出し抜かれたと騒ぐ望美はしばらく将臣に対して怒りを漏らしていたが、なぜそういう話題になったのかを思い出したのか、改めて自分のバッグから抱えるくらいの大きさの包装紙を取り出した。
「これ、良かったらどうぞ。一番じゃなくて悔しいですけど、今開けちゃうとかさばっちゃうし家に帰って見てくださいね」
 本当は別れる間際に渡すつもりだったのに、将臣くんのバカ、と望美はふてくされた。九郎は少々噴出して望美からのプレゼントをありがたくいただく。その場で開けるなと言われたが、手にしてみるととてもやわらかい感触で、どうやら布系のものだった。ファッションセンスとやらが皆無な九郎への洋服だろうか、それとも小物? 中身がなんであれ、プレゼントに違いない。
「望美、ありがとう」
 素直にお礼を述べて、今は見るなという言葉も守り包装紙を解くことなく小脇に抱える。
「どういたしまして、あー…ホント悔しいな」
「まあ、そう将臣を責めないでやってくれ。あいつが贈り物をくれたから、俺は今日を気づけたんだ。お前が一日ずっと気遣ってくれた意味を知ることが出来て、俺は満たされた気持ちのまま今日を過ごせた。あいつのおかげでもある」
「むー……九郎さんが楽しめたのなら、それでいいですけど」
 ものすごく複雑そうに呟いた望美は、大きく溜息をついた。九郎の推し量ることの出来ない乙女の気持ちとやらが今現在望美の中で葛藤を巻き起こしているが、当然ながら知る由もない。だが、望美も過ぎたことはくよくよしないタイプだ。すぐにも気持ちを切り替えて、目の前を通り過ぎていく電飾の光るパレードに意識を戻していた。
「誕生日は色んな経験を積んで色んな記念日にしましょう、ね?」
 望美は指を一本立てて、「さしずめ今日は、初めて九郎さんが車を運転した記念日です」と冗談のように付け加えた。
「そうだな」
 九郎は望美の頭をぐしゃっと撫でながら、やはり車の免許を取ろうと心に決める。こうして電車を使うのも嫌いじゃないが、車で自分たちの好きなところへ行きたいと思う。望美を連れて行ってやりたい。
 やりたいことがどんどん増えていく、それは望美が傍にいる限り消えない欲望。前向きに、どんどん自分の可能性を広げていきたいと九郎は望美に触れるたびに思う。
 望美から視線を逸らして、花火とパレードに目を向ける。光に溢れるこのパレードをまた見ることがあるだろう。何度だって見たいと思う。九郎の価値観にはなかった、綺麗なものをもっともっと見てみたい。こうして隣でただ居てくれるだけでそれでいい、望美と一緒にいつまでもこの美しい風景を心に焼き付けて。


 了




 
  20081111 七夜月

遙かなる時空の中で TOP