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 ずるい、と思う。うん、そうずるいんだ。
 いつだってドキドキしたりするのは自分ばっかりで、他人の前でいちゃつけとは言わないけど、でもせめて二人きりになる時間を作ってくれてもいいと思う。寂しいこと、気付いてくれない。
 なのに、気づいてないくせに肌で敏感に感じ取っていきなり、心の準備もないのにその反則的な笑顔と台詞はずるすぎる。
 嬉しくてたまらない。たまらない自分がまたたまらない。なんでこんなハマってるんだろ私。バカかもしれないって思うけど、身体と思考が思うようにリンクしないんだから人間って不思議。幾ら理性で止めたって、心の底で言葉を待ってる自分がいる。
 ああ、いや。もうすっごく……なんか、こう……おバカ天然御曹司!

 目の前で将臣君と楽しそうに談笑している九郎さんを見たら、私は身体が疼いた。むしゃくしゃする、何でだろう……理由は粗方思いつくけど認めたくない。認めたらやばい。
 とにかく腹立つ。そう思ったら、私はもう行動を開始していた。
 思い立ったら即行動。これ乙女の原則だと思うのです。
「とっかーーーーん!!」(*突貫)
 将臣くんの腹に向かって思いっきりダイブと言う名の頭突きを食らわす。
「ぐはっ!……望美てめぇ、いきなり何しやが」
 クリティカルヒット! グッド、さすが私! 横文字多いのはきっとこのダイブした奴に感化されてるせいだ。うん、納得。
 チラッと横目で九郎さんを見ると、唖然とした様子で私たちを見てる。ふふん、ざまーみろ。……あれ、なんで私こんな事してんだっけ。
 ああ、そうだそうだ。すっごく腹立ったからだ。
「聞いて将臣君、私今すっごい悩みがあるんだ」
「それと今の行動に関係性が見えないんだが?」
 将臣くんは本当に痛かったらしく、口許をヒクつかせながら私の頭をゲンコツでグリグリと圧力をかけてくる。
「今の行動は制裁。それでね、話っていうのはね、色々あってね、あーだこーだでとにかくムカつくの。どうしたらいいと思う?」
「さっぱり意味がわからねぇ」
 将臣くんは引っ付いていた私を引き剥がすと、何故か九郎さんの前に引き出した。
「おい、九郎。コイツなんとかしてくれ」
「何とかと言われてもな……」
 苦渋の表情でこっち見るのやめて欲しい。
 あームカつく。なんでこんなムカッとしてイラッとしてるんだろう。
 理由なんて知るもんか。とにかく腹が立って仕方が無いものは仕方がない。ってか、今この顔を見ていると余計に腹立つ。
「ふんっ」
 そっぽを向いたらさすがに向こうもカチンと来たのか、苛立った声で「知らん」と呟いた。
「望美は将臣を頼ったんだ。俺に聞くな」
「おいおい、何喧嘩してんだよお前ら……」
「知らない」
「知るか」
 将臣くんの言葉に一斉に反応した私と九郎さんの声が被った。更にそれが腹立つ。
「九郎さんの苦労性! バーカバーカ!」
 子供のような捨て台詞を残して私は二人の前から逃亡を図った。

 イライラしながら床が抜けそうなほど大きな音をさせながら歩いていると、向こうから朔が驚いた顔をしながらやってきた。
「あら、貴方だったの? 随分と大きな音がすると思ったら」
「朔! ちょっと聞いて!」
 かっこうの餌食を逃すかと、朔の腕を掴んで離さない。微かに引かれた気がしたけど、気にしないことにした。
「あのねちょっとねあれやこれやで腹立ち紛れにムカつくんだけど!」
「の、望美……あの、言ってることが少しよく解らないのだけど……」
「あーーー! もう、とにかくムカつくのぉおおお!」
 とにかく腹が立っているらしい、ということまでは朔にも解ったようだ。
「望美、とりあえず落ち着いて。何があったのかゆっくりと話してちょうだい」
 朔に肩を押さえられて、私は渋々と怒りを鎮火させるも、そういえばなんで怒ってるのか解らないんじゃなかったっけ?
 ああ、そうだったそうだった。解らないんだった。あー腹立つ。
 腹立たしいったらない。
「……んで、なんで私ばっかり……」
 口からつい漏れた言葉を、朔には気付かれてしまった。私の顔を覗きこんだ朔がにっこりと笑顔を浮かべたから知ることが出来た。
「そう、なんとなく……だけれど、貴方が何について怒っているのか、解ったわ」
「え……?」
 自分でも解ってないのに? 朔には解ったって言うのだろうか? 
「貴方はわからないのね、自分の気持ちが。でもそれは普通の事よ。案外自分では解らなくても、周りにはちゃんと見えていることもあるのだから」
 ああ、そっか。朔には解っちゃったんだ。私がどうして怒っててどうしてこんな気分になっているのか。
 そうだ。頭を冷やそう。少しは自分でも解るかもしれないし。雪が解ける前にこの平泉を巡るんだ。ひんやりした空気がなくなってしまったら、きっともう、私はこの冬の平泉を見ることが出来なくなるから。
「朔、私ちょっとでかけてくるね」
「ええ、気をつけていってらっしゃい」
 朔に見送られて、私はそのまま玄関へと向かった。靴は履かない。着物を着ているし、何よりもうこの靴は履けない。これから先もずっと。

 ずっと一人で出かけたかった。
 こちらの世界に飛ばされてからというもの、私の周りには常に誰かが居た。
 それが嫌だったわけじゃないけれど、それだけ私という存在が異質であるということをいつも感じていて少し窮屈だったのは確かだ。
 一人ってワクワクする。あっちに行ったらどこに行くのかとか、そういう風なドキドキ感がすごく楽しい。
 一人はいい。一人って最高。一人万歳。
 でも、いつも誰かが私の傍に居て、私は一人を知らなかった。
 最近見つけたおススメスポット。中尊寺に行く途中にある、小さな歩道沿いから見える景色。山道で普段は木々ばかりだけれど、たまに珍しい花や、見たこともない草を見かけると、ついついしゃがんで手に取りたくなる。実際、とってるときのほうが多いけど。
 私はいつものようにおススメスポットを練り歩いていると、今日は雪解けのせいか木々の向こうに光る何かが見えた。
 なんだろう。思わず身を乗り出すと、足が思った以上に雪で滑って、私は雪の上に倒れこんだ。
「……っわ!」
 助かったと思ったのも束の間、私がこけた場所は雪が木の上に積もっていただけで実は下はちょっと深い斜面になっていたようだ。ずるずると滑り台の要領で滑って、見事に雪に囲まれた空洞へ落ちた。
 しまった。ここからだと斜面の上が見えない。昇ってみようと目の前の雪の壁に足をかけてみたが、さすが本場の雪。凍っているわけではないため、柔らかすぎる雪に体重が勝る。ついでに手も冷たかった。
 登るのは断念して、とりあえず雪があまり無いところを探して雪を掻き分けて緑を広めて座った。
 なるほど、かまくらが温かいというのはこういうことをいうのかもしれないな。丁度ドーム上の天辺に穴が開いた状態の雪の中には風も入ってこないし、とても温かい。
 だが、このままだと凍死してしまう恐れがある。まだ夜は寒い。かといって何が出来るわけでもないので大人しく救助を待った。

 涙は流さない。泣くことは九郎さんを格子越しに見たあの時からもう、捨てた。もう二度と泣かない。泣くもんか。
 もっとも、このくらいじゃ泣く事もないけど。
 少しでも身体が温かくなるようにと、足を抱え込んでギュッと身体を縮めてみる。あーなるほど、体育座りって意外と便利で温かい座り方なんだ。
 額を自らの足に当てる。
 冷たい。一人は冷たい。そうか、一人であるということは、孤独であるということなんだ。
 寂しいなぁ、こんなに静かな夜を過ごすなんて初めてかもしれない。空洞の天上から見上げると、月が見えた。真丸の月は淡い光を放ちながらこの空洞の世界に光を与える。
「見えているのに、届かない。見えているのにここから出られない」
 見えているのに。すぐ傍に出口があるのに。
 ねぇ、何やってるの、私。出られる場所があるのなら、出ればいいだけの話なのに、私らしくもなく悲観的になっている。
 立ち上がって、私は柔らかい雪に手を突っ込んだ。思った以上に柔らかいそれは、掴むのがとても難しく、足を引っ掛けるもやはりずるずるとすべり落ちる。でも、凍死するよりましだ。私は何度も手を突っ込むのを繰り返した。少しずつ、手が冷たさで麻痺していく。もしかしたら凍傷になっているかもしれないけど、月明かりの下では判断しにくい。
 赤くなっている気がするし、そうでもない気もする。まるで、見えそうで見えない私の心のよう。
 とにかくここから抜け出さないと皆に心配かけてしまう。断続的に続くこの運動は体力を使った。出られない焦燥感に、嫌な汗が吹き出る。
「早く、早くここから……!」
 私の脳内に先ほどから何度も浮かんでくる顔。いつも怒ってばかりだというのに、こういうときに思い出すのは優しい微笑み。あの人の優しい微笑なんて滅多に見られないのに、それでも思い出すんだからなんだかセンチメンタルな気分になってくる。戻りたい衝動が強くなるだけ、それだけ。
「もう、九郎さんのバカぁあああ! どうして見つけてくれないのよ!」
 登れない悔しさに雪の壁を殴った。ザクッと拳が雪の中にのめりこみ、頭上からハラハラと雪が落ちてきた。
「誰がバカだ! お前こそ、そんな見つけにくいところにいるな! 馬鹿!」
 声が聞こえて上を見上げる。すると、そこにはやっぱりいつもどおりに怒った顔をした九郎さんがいて、私は見つけてもらえた喜びに胸が踊る。そして、甦る痛み。
「バカにバカっていって、何が悪いんですか!」
「なんだと! お前、開き直ってる場合じゃないだろ!」
 九郎さんは顔を真っ赤に染めて、そのまま飛び込んで来て私の手を掴み引き寄せた。
「こんなに真っ赤に腫らして……普通自分で気付くだろう。それと、顔も赤い。風邪引いたんじゃないか?」
 やっぱり凍傷になっていたんだ。九郎さんに言われて、そういえば頭がやけに重いなと感じる。そっか、熱があるのか。九郎さんの冷たい手が私の額にあてられる。その途端、何故か悔しげに口許を引き締めた九郎さん。私を強く抱きしめてくれた。
 もう、本当にこの人はずるい。どうしていつもこうやって、望んでないときに優しい声で優しい言葉をくれるの?
「うつっても知りませんよ」
「うつして治るならうつせ」
「何言ってるんですか。総大将のクセに。わたしが泰衡さんに怒られちゃうじゃない」
「もう総大将などではないし、泰衡殿が怒る意味が解らない。嫌味一つは言うだろうがな」
 泰衡さんのたった一人の友人に風邪引かせたら、その嫌味を受けるのは私なんですけど。
 ああ、ただでさえ重い頭が更に重くなってきた。考えるだけでげっそりしてくる、もう友達の居ない泰衡さんなんて知らない。文句言われたらその時はその時だ。九郎さんに言いつけてやる。
「九郎さん、ここから出たら、おんぶしてくれる?」
「そんなに具合が悪いのか? ここら辺りでお前を見かけたと連絡があって、皆でここを探している。すぐにも誰かが探し当ててくれるだろう」
「アバウトだなぁ。ねぇ、みんなが見てる前でも、おんぶしてくれる?」
「アバ…? よくわからんが、当然だ。抱きかかえてでも連れて帰る。具合が悪いなら放ってなどおけないだろう」
「照れたりしないの?」
「照れて事態が好転するならな。だが、お前の身体は一つなんだぞ、照れるなどと言ってられない」
 真顔でそういってくれた彼に、嬉しさがこみ上げる。大事にされてる。ごめんなさい、こんな形で貴方を試して。
 だけど、貴方しか居ないんだよ。私を不安から救ってくれるヒトは、貴方しかいないの。
 傍に居てもいいって、ちゃんと思わせて。思いたいの。
 そして救えるのが私だけだと、そう思わせて。
「さっきはごめんなさい」
「気にしてない…といいたいが、あまり…その、なんだ。…俺の目の前で他の男に抱きつくのはよせ…ああ、いや違う。目の前じゃなくても、抱きつくな」
 素直に出てきた言葉。この人の胸の中にいるせいかな? 顔を見ていないからかもしれないけど、九郎さんの声が聞こえて、嘆息された。少しは妬いてくれたと思ってもいいのかな?
「それがお望みですかー? 兄弟子さま?」
「様とかつけるな、気色悪い」
「兄弟子様ー、九郎様ー、御曹司様ー、義経様ー」
「望美……」
「ふふー。嫌がらせだもん」
「ったく、お前という奴は……いいから身体を休めろ」
 わたしが作った緑の上に座った九郎さんはそのまま私を自分の膝に乗せる。私の凍傷していた両手を温かく包み込んでくれて、そして胸を貸してくれた。私はお言葉に甘えて身体を休めることにする。九郎さんの鼓動や体温を感じていると、徐々に襲う眠気。普通冬場で眠ってしまったら死んでしまうから危険であると思うのに、それでも眠気は止まなかった。むしろ、彼がいるなら死ぬことはないとすら思えた。
「眠っていいかな、九郎さん」
「……ああ、いいぞ。すぐ近くで将臣たちの声がする。もう少しで助かるからな」
「うん、ありがとう」
 そしてわたしの意識は途絶えた。彼の匂いと冬草、雪、そんな気配を感じながら。
 翌日、意識は失ったものの死ぬことなく目を覚ました私の傍には、九郎さんが座っていた。ただし、腕を組んで目を瞑ったままだ。眠っているのだとすぐに気づいた。
 布団に寝かされている自分の身体は思ったように動かない。それでも、彼を起こさないようにそっと手を取り出して、彼の生真面目に揃えられた足に触れてみた。彼の足は服の上だからかひんやりとしていた。たぶん、まだ私の中には熱がこもってるのだろう。助け出されてから風邪が悪化したのか、無性に咳き込みたくなる。起こしてしまうからなんとか咳は我慢する。
 本当に風邪をうつしたら大変だ。
 私は九郎さんに背中を向けて、身体を丸めた。布団を頭から被ってしまえば、派手に咳き込まなければ音がだいぶ吸収される。こんな状態になるまで放っておいた自分に苦笑した。
「苦しいのか、大丈夫か?」
 優しい言葉と共に、少し固い手のひらが、私の背中に触れた。そしてさすってくれる。気分が少し楽になったので、そのまま為すがままにさすられる。
「眠ったまま咳き込んでるのか」
 目を瞑ったままで居たら、だんだん眠くなってきた。今返事をしたらその手を止められてしまいそうだったので、もう少しだけ彼の体温を感じていたくて口を結び続ける。
「大丈夫だからな、すぐに良くなる」
 眠っていると思っているのに、言葉をかけ続けてくれるそんな優しさが胸に染みる。好きだなと、強く感じた。だから私は時折咳き込みながらも、決して目は開かずに、背中に当てられた手の感触だけを頼りに、眠りについた。
 これがこの人の優しさなのだと改めて思いながら、私は意識を深層へと沈めた。
 自分がこの人を好きであると、もうとっくに知っていたのに。
 後戻りできないほどに、私は彼が好きなのだ。
 この熱が引いても、彼がずっと私のそばにいてくれればいいのに。


 了




 
  20100529 七夜月

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