祭囃子



 太鼓の叩かれる音、的屋の親父の呼び込み、目を閉じれば今でも思い出せる。アイツとの思い出の一つ。人間って不思議なもんだな。失くしかけるとなると、記憶がより鮮明に色がつくんだ。もしかしたら自分勝手に操作しちまってるのかもしれないけど。
 あれは、そう。高校一年のとき。
 俺は祭りに居た。
「将臣くん。私焼きそば食べたい」
「自分で買って来いよ」
「ええー将臣くん奢ってよ。男の子なんだしエスコートしてくれてもいいでしょ」
「祭りにエスコートもあるかよ。彼女でもねぇのになんで俺が奢んなきゃなんねぇんだよ」
「ふーんだ。いいよ、譲くんに奢ってもらうもん。将臣くんは来年また一緒に来た時にリベンジだからね。来年は絶対だからね!」
「機会があったらな」
 正直、あの時はまた来年も隣にコイツがいるんだろうなと漠然と訳も解らない自信があった。いや、自信なんかじゃなく、俺にとっては事実でしかなかった。
 けど、それはただの俺の思い込みで、俺はアイツを置いた三年分を生きた。今までどこに行くにせよ一緒にいたアイツと、初めて分かれた道だった。
 翌年、俺は祭りにはいかなかった。隣には勿論、アイツがいなくて。
 更に翌年も、祭りには行かなかった。
 三年目、もしかしたらもう会わないかもしれないと悟って、俺は向こうの世界の祭りを初めて見た。だが、戦が始まったせいで、祭りは質素なものだった。
 勿論、俺の知ってる祭りとはだいぶ違う。聞きなれた太鼓の音も、的屋の親父の声も聞こえない。ただ、そこにいた人たちのざわめきだけが知っていた記憶のものにおぼろげに似ていて、不覚にも俺は泣きたくなった。
 その年もやはり、隣にアイツはいなかった。
 でも、今年は。
「将臣くんお待たせー」
 玄関から出てきた望美は髪を結い上げかんざしで止めている。満足げな笑顔で俺の前に立つとターンした。赤い生地に黒い蝶が映え、望美にしては随分と大人っぽい浴衣を着ていた。
「どう? 似合ってるでしょ? 馬子にも衣装は禁句だからね」
「まだ何も言ってねぇだろ」
「だって口の動きがそう言おうとしてたもん」
「そりゃお前、言いがかりだ」
 素直に褒めてやろうとしたらこれだ。何だか拍子抜けしちまって、俺は望美の手を取った。
 手を引いて歩く、もうそうするのが自然となっていた。
「ってか、将臣くんはどうしてTシャツにGパンなの? せっかくのお祭りなのに」
「だからだろ。動きにくい格好で行く方がおかしい」
「何それ! お祭りなのに!」
「意味わかんねぇし」
「……だったらいいもん。着替えてくる。どうせ似合わないんでしょ」
 完全に不貞腐れてしまった。ターンだけでなくUターンしそうな望美の腕を掴んで俺は止める。
「待て待て、俺が悪かったよ。十分似合ってるぜ、ちょっと驚いた。こうしてみれば大人っぽく見えるもんだな」
「本当? 後で冗談でしたーとか言ったら激怒するよ?」
「激怒か?」
「そう、激怒」
「そりゃ勘弁だな」
 実際に激怒した時のコイツは性質が悪い。一週間は口を利いてくれなくなった。というか、一週間目で俺が謝り倒してようやく許してもらった。以前一度やって以来、俺は懲りている。
「じゃ、行こうぜ」
「うん!」
 ごく自然に、望美は俺に手を伸ばしてきた。俺も何も言わずにその手を握る。五年越しに聞く、祭囃子の音に思いを馳せながら、俺たちは歩き出した。


「あ、金魚すくいだー懐かしいなぁ。将臣くん得意だったよね」
「ねぇ、将臣くんカキ氷食べる?」
「あーーー!射的射的! 将臣くんあのぬいぐるみ取れる?」
「ねぇ、将臣くん!」

 何度も望美が俺の名を呼ぶたびに、それが何年も変わらないものだと知る。ちょっとしたことでもすぐ笑ったり、泣いたりする、白龍の神子ではなく春日望美。俺の一番知っている姿だった。
 ふと望美が何かを見つけたように立ち止まった。
 袖を引かれて止まると、そこにあったのは焼きそば。
「将臣くん、焼きそば食べる?」
 そういえば、約束してたな。
「ああ、俺が……」
「ああ、いいよいいよ、彼女にしか奢らないんでしょ? 私買ってくるから、後でお金返してね。私も彼氏にしか奢らないんだ」
 最後の言葉は冗談めかしていて、望美はさっさと焼きそばを買いに行ってしまった。俺が止める隙も無い。
「おじさん、焼きそば二つください」
「あいよー。おっ、お嬢ちゃん可愛いねぇ、どうだい? もう少しくわねぇかい?」
「やだなぁ、おじさんおだてるの上手いね。でも三つも食べられないので二つでいいです」
「はははっ、それじゃあおまけしとくよ」
「ありがとう、おじさん」
 屋台の親父と笑いあいながらお金を渡した望美が戻ってきた。
「良かったな、褒められてただろ」
「おじさん商売上手だよねぇ〜、あ、本当に多めに入れてくれてる」
 ビニール袋を覗いて望美が嬉しそうに声を上げていた。だが、俺としてはなんだか諸手を挙げて喜ぶ気分でもない。
「どこかに座れるところ無いかな、あ……ねぇねぇ、ちょっと暗いけど、上の方に行ってみようか。あそこなら人も居ないし」
 望美が指差した先は階段を昇った先の森に囲まれた小さな社だった。大元の社があるこの境内より更に階段を昇る。あそこは暗いため、人影も少ない。社ということで、霊なんかを恐れる奴もいるんだろう。コイツも昔は進んで行くような奴ではなかったが、怨霊と戦っていて免疫でもついたんだろうか。
 ちょっとずつ、変わっていくものもある。全てがいいものでは無いかもしれないが、全てが悪いものでもない。
「でもあそこだと木々が邪魔して花火見れねぇぞ?」
「いいからいいから〜。木の間からも見れるだろうし。将臣くんはいや?」
「お前がいいってんなら、別にいいけどな。持ってやるよ、ほら行くぞ」
「あ、将臣くん多いほうとらないでよ? それはおじさんが私にくれたものなんだからね」
「ケチケチすんなよ」
「うわー、黙って食べる気満々だったんだ。親切にかこつけてなんて奴なの」
「食われたくなかったら俺より先につくことだな」
 そう、競争だった。望美が不利なのを知っていて、わざとそういった。案の定、Gパンの俺はさっさと頂上一歩手前まで昇ったが、望美は苦戦しながら昇ってくる。浴衣では走れないし急げない。階段一つ昇るのだって注意が必要になる。意地悪しすぎたか?
「ほら、さっさと昇って来い」
 手を差し伸べれば望美はその手に掴むかどうか一瞬だけ迷ったようだったが、結局掴んだ。
「ありがと」
「……別にマジで食ったりしねぇし、安心しろよ」
 階段を昇りきり、離された手がなんとなく寂しくて、頭をくしゃくしゃにしてやろうと思ったが、結局俺はその手を下ろした。
 せっかく綺麗にまとめてある髪型をぐちゃぐちゃには出来ない。それに、なんとなくうなじにかかる髪が色っぽくて、気後れしたせいもある。いつの間にか、こんなにも大人っぽくなっていた。
「どうしたの? 座ろ?」
 不思議そうに振り返った望美に「ああ」と曖昧に濁すしかない。
 小さな社の階段は三段程度しかなかったが、それでも十分だ。それより、神様の社の前でこんな焼きそばとか食ってていいのか気になる。だが、となりでビニールから焼きそばを取り出している望美はとても嬉しそうで、それを見てたらなんだかどうでもよくなった。
「はい、しょうがないから、将臣くんにこっちあげる」
「多いほうか? サンキュー。けど、さっき散々渋ってただろ。いいのか?」
「だって今日将臣くんの誕生日だから。ついでに奢ってあげるよ、誕生日プレゼントね」
 笑った望美がそういって、一瞬だけ喜びで言葉を忘れた。
「……焼きそばかよ。誕生日プレゼントにしては安すぎねぇか?」
「文句ある?」
「……まぁ、いいけどな」
 覚えていてくれただけでも十分だ。毎年祝ってたのに、変だよな。覚えていてくれることがこんなに嬉しいと思えるなんて、やっぱり俺の中でも変わってしまったことがたくさんある。
 以前と同じように、コイツが傍に居続けるという確信が持てない。
 何も知らなかった頃の子供では、もういられないのだ。
 馬鹿みたいに未来を信じていて、死なんか身近には感じなかった世界を生きていた頃と、一度でも死を身近に感じた世界を生きた今。
 考え方が変わって当然だった。未来なんて理想像は粉々に打ち消え、残ったのはただその日その日を生き抜く事。それに必死になり続けて、俺はもしかしたら、大事なものをどこかで落としてきたのかもしれない。
 いいや、確実に落としていた。
 けれども、コイツはそれを拾って、俺にすんなりと返してきた。
 幼馴染という俺の何より大事で、大切だった絆。
「みんな……」
 二人で焼きそばを食べながら他愛も無い話をしているときに、望美がふと呟いた。
「みんな元気かな?」
「……元気だろ、きっとな」
「もしかしたらさ、私たちが行ったみたいに、熊野に避暑に行ってるのかな?」
「かもなぁ。九郎は根性で何とかしそうだけど」
「あはは、そうだね」
 髪を崩さないように、今度こそ俺は望美の頭を軽く撫でてやった。
「寂しいか?」
 いつもなら子供扱いしないでよ、と睨みつけてくるのに、今日はしおらしいまでに望美は抵抗もしなかった。
「ちょっとね。でもね、違うの。そうじゃなくて、みんなで将臣くんの誕生日祝うのもきっとにぎやかでいいだろうなぁって思ったんだ。ごめんね、せっかくの誕生日なのに、私と二人でこんなところで焼きそば食べてて」
「別に構わねぇよ。この歳になって、ケーキにロウソク立ててなんて子供じみた誕生日会なんてものを開かれた日にはそれこそ恥ずかしいだろ。パスだパス」
「でも、きっともっとちゃんと祝ってもらえたよ? 私だけじゃなくて、他の人にもいっぱい」
「俺はこの焼きそばだけで十分だって」
 冗談めかして笑ってやった。そうしたら、ようやく望美にも笑顔が戻る。
「将臣くんは安上がりで助かるなー」
 余計な一言もついてきたが。
 忘れられてなかった、それでも十分だ。俺には。
 食べ終わってしまった焼きそばの空を元々入っていたビニール袋に入れた。
 ぴゅるるるるるるるー。
 遠くから花火が上がる音がした。
 空を見上げれば大輪の華が夜空に咲き誇る。
 ドォン!
 重低音が身体に響いてきて、懐かしい感覚に俺はなんだか興奮してしまった。まるで子供の頃、花火を見て無意識にはしゃいでいたあの頃のように。
「誕生日プレゼントその二。ついてきて」
 望美はいつの間にか焼きそばを食べ終わっており、俺は手招きする望美の後追って、森の中へと入った。その背中を彩るのは黒い蝶。ひらひらと舞う蝶を捕まえようと手を伸ばすと、まるで掴まるのを待っていたかのように蝶が止まった。望美の肩を掴むと、望美が嬉しそうにほらと空を指差した。止まった場所はガードレールが柵代わりとなっている山の切り口で、空が一望できる。遮るものは何も無い。
 色とりどりの花火が、夜空に昇っては散っていく。
「あんまり前に出ると危ないからね」
「解ってる」
「誕生日プレゼントその二。気に入った?」
「ああ。いつの間に見つけたんだ?」
「事前調査しました!」
「褒めて遣わす」
 敬礼のポーズで声を上げて笑う望美に、俺も乗り返す。
 ふと、花火を見ながら思った。
 ぴゅるるるるる
 ― もしもこの先、来年、再来年、隣にコイツがいなかったら?
 ドォン!
 ― 俺も知らない所へと、行ってしまったら?
 ぴゅるるるるる
 ― 俺の傍にもう二度と、立つことが無かったら?
 ドォン!
 ― きっと、俺は耐えられない。

「望美」
「なに?」
「誕生日プレゼントその三。くれよ」
「いいけど、今あげられるもの持ってないよ、私」
「いいんだ」
「?」
「お前がいれば」

 ドォン!
 青色をした花火が、望美の顔を染めた。
 黄色・緑色・白色・オレンジ色……そして赤色。
 望美は何も言わない。
 俺の真意を測りきれてないのかもしれない。
 でも望美はそこまで鈍くも無い。
 だとしたら答えは一つ。
 望美が待ってる言葉を言うだけだ。

「今度さ、焼きそばでも何でも好きなもの奢ってやるよ」
「彼女以外には奢らないんじゃなかったっけ?」
「だからだろ。それはつまり、彼女なら問題ないわけだ」

 望美の顔が、俺に釘付けとなる。
 ドォン!

「幼馴染としてじゃなくて、お前に傍に居てほしいってこと」
「それはつまり?」
 薄々どころか完全に勘付いている。望美の声は微かに震えていた。
 だから、俺は最後まで言った。もう、留めておく必要もない想いだ。

「お前が好きなんだ。もう、ずっと前から。じゃなきゃ指輪なんか買ってやるかよ」

 望美は手を口許に当てている。言葉も出ないって奴か。けど黙られると逆に不安になる。
「……なんか言えよ」
「だって、ビックリして」
「……………ハァ」
 ビックリってことは、気付いてなかったってことだ。
 じゃあ、何となく今まで一緒にいたのはやっぱ幼馴染だったからか?マジかよとは思うが、今までいえなかった俺も悪いので、文句を言うことは出来ない。その代わりに出たのが溜息。
「私、私ね……今日どうやって将臣くんを喜ばそうかと思ってたの。ずっと、どうしたら喜んでくれるかなぁっていっぱいシミュレーションして、らしくないほど頭の中で何度もこれでいいかなぁとか思ったりして、ちょっと不安になって」
「?」
「だから、花火に喜んでくれたのはすごく嬉しかった。良かった、成功したんだって思った。でも」
 突然、胸に温かい衝撃が生まれた。
「今日は将臣くんの誕生日なのに、私が喜んでどうするのよ、バカ」
 トンと、軽く胸を叩かれる。
 顔を上げた望美に花火の色がまた映る。けれど、今度はどんなに緑色や白色の花火が上がっても、望美の顔は赤く染まったままだった。
「いいじゃねぇか。お前が嬉しいってことは、俺も嬉しいってことだ」
 望美の全てが愛おしくて、頬を撫で、今度は俺から抱きしめた。すると柔らかい感触が背中に回された。いつもとは違って少しぎこちない。
 けれど、それを寂しいとは思わない。意識してくれている証拠だ。
「んじゃ、誕生日プレゼント……ありがたく貰うぞ」
「返品不可ですから」
「頼まれたって返すかよ」
 俺は笑った。望美も笑った。
 片手で腰を引き寄せて上を向いた望美の頬に手を当てて、そのまま口付ける。
 長年望んでいた花火よりもずっと大きくて、ずっと長持ちする華を、俺はこの日、手に入れた。






   20060812  七夜月

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