熱射



 外界気温38℃。体感気温40℃。アスファルトの上を歩くとサウナや蒸し風呂という形容詞を用いたほうがいい気がする。
 そんなことを考えていた将臣に、とうとう望美は我慢できずに往来の真ん中で叫んだ。
「ん〜〜〜、あっついぃいいい! 熱い暑い篤いーーー!」
 行き交う人の視線が一気に望美に集中する。それでも構わずに、望美は頭をかきむしる勢いで、地団駄を踏む。
「漢字間違ってるぞ、つかはしゃいでんのか文句いってんのかイマイチわかんねーよ。外出るっつったの、お前だろ」
 将臣は周囲の視線に臆することなく、わがまま放題の幼馴染の頭を掴んだ。望美の頭は帽子を被ってないせいでものすごい熱を持っていた。将臣自体はキャップを被っているので被害は最小限であるが、これは確かに暑いだろうと将臣も唸る。
「だってだってせっかくの誕生日なのに! 家の中に篭ってるなんてつまんないっ!」
「いや、出かけるほうが面倒じゃねぇか? この暑い中」
「うーーー……」
 唸ってためた後、望美は八つ当たりとばかりにめいっぱい叫んだ。
「もー!なんでこんな暑い日に生まれるの? 将臣くんのバカー!」
「それを俺に言うなよ。この日に生まれようと思って生まれたわけじゃねえし。それにあんま叫んでると水分余計に飛ぶぞー」
 すべてに逆ギレし始めた望美を放置して、将臣は嘆息しながら歩き出す。
 街で色々と買い物をして将臣たちがやってきたのは、少しでも涼を得られればと思い噴水のある大きな芝生の公園だったのだが、頼みの噴水は完全にお湯だった。アスファルトの真下に水道管が仕込まれてればそれもまた仕方ないが、涼むことすら出来ない。
 ということで、涼を楽しみにしていた望美はこの暑さにキレた。
 喚いて散々将臣にわがままを言いたい放題して、頬を膨らませている。普段の望美を知るものならばその変貌に驚いたことだろうが、将臣にとって自分がそういった存在である以上不満も文句も言わない。それに、いつも以上に子供っぽい辺りで、逆に心配しているくらいだ。こういうときの望美は弱っている自分を見せないようにしていることが多い。
 幸いというべきか、人影は暑さのためか少ない。どこか木陰に入って休もうと思った将臣はふと、望美が立ち止まったままいることに気づいて後ろを振り返り声をかけた。
「おい、どーした?」
「……なんか、ぐらぐらする」
「は?」
「気持ちわるい」
「……望美、こっちこい」
 将臣が腕を伸ばすと、望美の身体が傾いた。慌ててキャッチして、腕の中の望美の顔色を窺うと、だいぶ青ざめて血色が悪かった。
「大丈夫か?」
「……ん、平気。歩けるよ」
「そっか、じゃあこっち来い」
 歩けるといいつつも将臣は望美の身体を支えるようにして、だいぶ大きな木陰まで向かう。身体を横にしても、全部が覆い隠されるような場所でなければならない。
「ちょっとここで待ってな」
 望美の身体を木の幹に預けて、将臣はポンポンと脱いだキャップで望美の頭を撫でる。そのままキャップは望美の頭にすっぽりと収まった。
 将臣には平気だと告げたものの、眩暈が徐々に激しくなってきた望美は苦痛に耐えるように木の幹に頭をこすり付ける。
 気休め程度にしかならないのはわかっていたが、今ではこの木だけが頼りで少しは涼を得られるのではないかと思ったからである。実際、木に耳を寄せると木が水を吸い上げる水音がしている気がして、いくらか落ち着いた。
 どのくらい待っていたのかわからない。途中で意識が何度か飛びそうになったものの、なんとか望美は歯を食いしばって耐えていた。すると、そんな望美のあたまにひんやりと冷たい何かが当たってその気持ちよさに思わず目を閉じる。
「飲めよ、一応スポーツ飲料買ってきたから」
「ん」
「あと、熱射病だとまずいから、これも買ってきた。脇冷やすか?」
「ん」
 将臣が差し出したものもまともに特定できない程度には悪くなっているらしいと冷静な分析が起こる一方、上手く頭が働かないために言葉短めに返答して、望美は左隣に座った将臣の袖を引っ張った。
「なんだ?」
「横になってもいい?」
「……そういうときは遠慮すんな、バカ」
 頭を下げさせるわけにはいかない、かといってここら辺には枕代わりになるものはない。将臣は右足を伸ばして望美の頭を自らの太股に乗せた。
 思考もままならぬまま具合と戦っていた望美は、なすがままで将臣の行為に甘えた。将臣が買ってきてくれたのはヒエロンで、将臣が叩いたそれを額と首筋にあてた。冷たくて気持ちよくなり、しばらくそうしていたらだんだん気持ち悪さも引いてきて、だいぶ回復してきたためようやく望美は口を開く。
「ごめんね」
「なんだよ?」
「誕生日、台無しにしちゃったね」
「そうでもない。たまにはいいだろ、こうやってのんびりすんのもさ」
 言いたいことを全部解ってる彼に、何かを言うのは無駄かもしれないと望美は思うもののそれでも伝えなければならない。
「……いっぱい考えてきたんだよ。去年も一緒に祝ったから、今年はどうやって祝おうかなって。でも、失敗しちゃった」
 将臣が見ている目の前で、望美は将臣のキャップを更に目深に被る。顔を見られたくないのだと判断して、将臣は望美の両瞳を右手で覆った。すると、中指先と掌がかすかに濡れる。それに気づかないフリをして将臣は会話を続けた。
「失敗ってのは、何を指しての失敗だ?」
「将臣くんに迷惑かけてわがままいって、困らせた」
「いつものことじゃねぇか」
「いつも以上に困らせたよ」
「……本当にバカだな、お前。俺は困ったりなんかしてねーよ。俺としての目的は達したんだ、それで十分じゃないか?」
 望美の目尻を拭いつつ、将臣は子供をあやすように呟く。
「目的?」
「今年もお前と一緒に、誕生日迎えられただろ」
「それだけ?」
「わりと重要だぜ?」
「………ん、なら、いい」
 望美が口で将臣に勝てることはそう多くない。弱っている今などは特に。将臣の優しい言葉に心が癒されているから、何も言えなくなるのだ。
「さっきの、嘘だからね」
「さっきの?」
「なんで今日生まれたのって奴」
「ああ、別に気にしてねえし」
「嘘っていったのが、嘘」
「……お前な」
「それも嘘、大好き」
「……そりゃどうも」
 苦笑した将臣は、先ほどより赤みが増してきた望美の顔色に安堵した。そして息を吐くように笑うと、キャップのツバを少し上にして十分に赤さを取り戻した唇に自分のそれを重ねた。






   20070815  七夜月











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