バレンタイン(2008) 手作りはほとんどしません。なぜならこういうイベントがないと作るべきではないという自分の不器用さを自覚しているからです。 チョコだらけになった己のエプロンを見下ろしてから、わたしは手の中のボールに入っているチョコを再びぐりぐりとかき混ぜ始めた。 料理の得意な譲くんに聞けば、話は済むことなのだけど今回ばかりはそれは無理だ。だって作るのはバレンタインチョコレートなんだもの。しかも、本命をあげる相手の弟に教えてもらうなんて、かっこつかないじゃない。 だから今回は譲くんの出番はなしで、頑張って自分で作ることにしたのはいいけど。 「終わりが見えないのに、ボールの底が見えるのは何故」 ボールにチョコがない。その結果が惨状となった後ろのシンクやガス台を振り返ることは怖くて出来ない。 「あー……片付け、どうしよう」 というか、片付けの前にまずわたしはこれ終わるの?そっちのほうが問題じゃないの? 「……寝られるかな、今日」 深夜2時を過ぎた掛け時計の音が虚しく響いていく中、わたしはなくなってしまったチョコレートの代わりに継ぎ足しとしてストック分の袋を開けた。 「というわけで、目の下にくまがあっても気にしてはいけない乙女情報なのでしたー」 「……ああ、とりあえずお前がどれだけ努力したのかはよくわかった」 翌日、学校が終わってから将臣くん宅に押しかけて、わたしは徹夜明けでしぱしぱする目を擦りながら迎えいれてくれた将臣くんににへらっと笑った。 とりあえず入れよとリビングに通されて、紅茶を淹れてくれた将臣くん。ティーバッグで淹れてるから時間もそうかからない。 「ありがとう」 遠慮なく差し出されたティーカップを受け取って、わたしはふーっと息をついた。ちなみに、将臣くんは自分でコーヒーを淹れている。 「それじゃ、はいコレ。望美ちゃんお手製のチョコレートですよ」 「……ああ、サンキュー」 「……貰うまでの時間にタイムラグが発生したのと一瞬ゴミ箱探したのは見なかったことにしてあげる」 一瞬だけ、頭に血が上りかけたけどそこはほらわたしの大人の余裕という奴ですよ。 「いや、違うぞ。ゴミ箱を見たのは捨てようとしたからじゃなくて、どちらかというと食べた後に起こる吐き気に対して迅速に対応するためだ」 「どっちみち同じことだから。なんで食べてもいないのにわたしのチョコが異物であるかのように扱うかな、さっきの努力を聞いたでしょ?味見だってしたんだからね、食べたわたしがぴんぴんしてるんだから大丈夫に決まってるでしょう!」 我慢が出来なくてつい、いつもの調子で声を張り上げてしまった。って、喧嘩しにきたんじゃないんだから。 「で、いるのいらないの?いらないんだったら代わりに譲くんにあげるはずだった市販のチョコあげるよ」 さすがに材料を無駄にしすぎて譲くんの分を作れなくなっちゃったなんてそんなことは言えない。彼にも元々あげるつもりだったから、今回はこれで済ませる。ごめんね譲くん、さすがに料理上手の譲くんに自分のチョコを食べさせるわけにはいかないわ。 「なんで投げやりなんだよ、食うから寄越せ」 「そっちこそなんで上目線なのよ、わたしの努力を無に帰そうとしたくせに!」 って、だから喧嘩しに来たんじゃないってば。 「とにかく、わたしは将臣くんに食べて欲しくて作ったんだよ」 「……やけに素直だな、お返し期待してもでねーぞ?」 ぷつんと、寝不足のわたしの頭の中で何かが切れた。 「…………帰っていいですか」 ドスの聞いた声が出てきたけどもう止まらなかった。 「じゃ、さよなら」 持っていたカップを置いて立ち上がり、チョコも何もかもをもってさっさと帰ろうとすると、 「待て、悪かった。寝不足のお前の気持ちを十分に汲まなかった俺が悪かった」 腕を引っ張られて、その胸の中に閉じ込められる。 「離してよ!」 「だから悪かったって言ってるだろ?」 「うるさいばか!将臣くんなんて嫌いなんだから!信じらんないもう!」 「わかったわかった、寝不足だもんなー眠いよな」 何よ急に優しい声とか出しちゃって、しかもこの破格の子ども扱い! 将臣くんがソファに座るので、わたしは隣に座ることになる。 「眠くないんだからね、別に」 「はいはい」 「本当に眠くなんてないんだからね」 「わかったから少し静かにしてろよ」 黙ったら眠くなりそうだったから喋ってたのに、くそー逆らえない自分が悔しい。案の定うとうとしてきて、わたしは将臣くんの肩にもたれかかった。 どうしよう、将臣くんの匂いってなんか好きなんだよね。安心するから眠くなるって言うか。あー眠い、本気で眠いよ!寝不足って意外と後からくるんだな。 「眠るんじゃないから、今から瞑想するだけだから」 「じゃあ俺はお前の瞑想が終わるまで大人しくチョコでも食ってるよ。肩かしてやるから好きにしな」 そんな風に頭撫でられたらついうっかり頷いちゃうじゃない。まるで魔法にかかったかのように、すぐにもまぶたが落ちてきた。わたしは逆らうことをせずにそのまま意識を沈殿させる。これは瞑想してるだけ、瞑想しているだけと言い聞かせながら。 夢うつつに聞えてきた「チョコサンキューな」という声が聞えてきたのでわたしは今回は許してあげることにした。その一言が聞けただけでもう満足してしまう辺り、たぶんわたしはやっぱり将臣くんを好きなんだろうな。 どういたしまして、という代わりにわたしはもたれている肩に頬を擦りつけた。ふと身体が温かくなって、わたしは完全なる夢の世界へと落ちていく。それがわたしの今年のバレンタインデーの最後の記憶だった。 了 20080214(再掲載:20080905) 七夜月 |