My Silky Love



 下校を告げるチャイムが鳴ると、望美は少しドキッとする。今日こそはもしかしたら、なんてそんな期待が持てる瞬間だからだ。だけど、それはいつも期待はずれに終わってしまう。
 今日はどうだろう、そう思って将臣の座っている机を見ると、将臣はすでに帰り支度を終えていた。相変わらず行動が早い。
「じゃあな、望美。寄り道せずに帰れよ」
 この言葉は将臣がバイトの証拠。何度も聞いているのに、がっかりする気持ちだけは慣れることはない。それでも、表情にだけは出さないように、手を振ってバイバイの合図。
「うん、将臣くんもバイト頑張って」
「おう」
 それだけ。
 もっと何か言葉をかけたいと思うのに、上手く言葉が出てこない。なんでだろう、幼馴染で居た頃はこんなこと思わなかったのに。
 もう望美は将臣と幼馴染じゃない。いや、幼馴染であると同時にもう一つ、望美だけの居場所を将臣はくれた。それは望んで得られるものではなくて、彼が与えてくれたからあるもの。だから、それだけで満足しなければいけないと思うのに、こういうときだけは寂しい気持ちになってしまう。
 背中を見て見送るのはもう嫌だって、我が儘を言いたくなってしまう。今はもうずっと一緒に居られるし、離れることはないってわかっているのに、そんな気持ちが拭えない。
 望美は将臣が好きだ。小さな頃から一緒に居て、将臣への気持ちに気づいたのはつい最近だが、小さな頃から将臣と一緒に居たのは間違いない。
 小さな頃は理由なんて作らなくても一緒に居られたけれど、大きくなってから会うのにも理由が必要だった。会いたい、一緒に遊びたい、それだけじゃなくて、どうしてそうしたいのかなんて面倒な理由だ。本当はそんなものに縛られずに会いたかったけれど、望美も女友達と遊ぶようになって、将臣も男友達と遊ぶようになった。そんなものだと割り切っていられたのは、まだ恋に気づいていなかったからだ。
 こんな寂しい気持ちになるなんて、知らなかった。将臣が居ないだけで時間が経つのを遅く感じる。隣の家へ遊びに行けば会えるのに、今はその敷居がとても高かった。だって、恋をしているからってなんでも許されるわけではないから。
 もうとっくにバイトに行ってしまった将臣に聞こえないと解っていても、望美は呟かずにはいられなかった。
「一緒に帰るのも、駄目なのかな」
 一緒にいたいだけなのに。そう望むことは、高望みなのだろうか。

 将臣がバイトのある日は、望美は部屋にこもって耳を澄ます。夜の10時までバイトの将臣が帰ってくる時間は大抵変わらない。だから、将臣が帰ってきて、門を開ける音を聞くと少し安心するのだ。心配ならメールをすればいいのだろうが、面倒くさがりの将臣はきっと一行返信だろうから、またがっかりした気持ちになってしまう。
 だから、望美は門が開く音で我慢する。無事に家に帰ってきたんだから、また明日朝会えばおはようっていえる。将臣に会える。
 ベッドに寝転がりながら望美はケータイを放り投げた。持っていると、思わずメールを読み返したりしてしまうので、しばらく頭を冷やそうと思ったのだ。けど、ケータイを手放したところで、結局将臣のことを考えているのだからあまり意味がなかった。
 放り投げたケータイを拾って、電話帳を開く。家族やクラスの友人に混じって将臣の名前がある。有川将臣、あ行の将臣は電話帳を開くとすぐに出てくる。それをクリックして、無意識のうちにダイヤルをコールしていた。回線接続音の後にコール音がして、その瞬間に望美は我に返って電話を切った。
「やだ、何話すつもりで電話したんだろう」
 絶対着信履歴に残った。かけ直されたらなんといえばいいだろう。何も考えずに馬鹿なことをしてしまった。緊張して思わず電話の前で正座をして、あれこれと必死に言い訳を考えながらコールバックを待ってみたが、30分待っても電話はかかってこなかった。30分といえども、体感速度は一時間以上経っているような長さを感じる。それほど待ち望んでいる自分がまた滑稽で、望美は肩を落とした。
 ただの幼馴染だったら、電話が返ってこないことでこんなにしょげたりしなかっただろう。もしかしたら幼馴染の方が良かったんじゃないだろうか、そんなことさえ頭をよぎる。将臣よりも絶対に望美のほうが気持ちが大きいのだ。そうに違いない。だから、こんな気持ちになるのも望美だけで、24時間ずっと将臣を思っているのも望美だけ。
 我ながら、なんて重い女なのだろうと、それで再び望美は落ち込んだ。将臣は縛られるのが嫌いだと知っている、というか、縛ったところで勝手にどっか行ってしまうのだから、縛りようもないけれど、出来れば自然体の彼の傍にいたい。けれどこの気持ちはそんな自然体の彼を脅かす。
 望美が悶々と一人で考え始めたとき、待ちに待ったコールバックが来た。ディスプレイに映っているのは、有川将臣の文字。しまった、言い訳を何も考えていなかった、と慌てながらも通話ボタンを押して望美は電話に出た。
「はい、もしもし」
『お前ワン切りすんなよ、イタ電かと思ったじゃねえか』
「将臣くん……」
『で、どうした。なんか宿題でわかんないとこでもあったか』
「将臣くん、わたしたち幼馴染に戻った方がいいんじゃないかな」
 言い訳を考えてなかった望美がつるっと告げたのは、たった今考えていたことだった。途端に、電話の向こうが沈黙した。どういう流れからそんな話になったのか、将臣がわかるわけもない。
『……お前、今出てこられるか』
 たっぷりとした沈黙の後、溜息と共に告げられた言葉に、望美は「うん」と返事をした。
『夜だからとりあえずなんか羽織って出てこいよ。下で待っててやるから』
「うん、わかった」
 時計を見れば、時刻は夜の11時。この時間はまだ両親が起きている。鍵と財布だけ持って、望美は言われたとおり羽織ものをして部屋のある二階から降りた。リビングからはテレビの音が漏れ聞こえているので、恐らくは気づかれてないはずだ。
 そっと玄関から出て門を開けると、言ったとおりに将臣が門に寄りかかって待っていた。
「とりあえず、場所変えるぞ」
 そして歩き出した将臣に望美もついていく。だが、将臣の様子がおかしい。なんだか少し怒っているような気がするのだ。怒っているのか呆れているのかどちらかは解らないが、あまり嬉しそうじゃないのは確かだ。もしかしたら、バイトから上がって疲れているところ、こんな形で呼び出しさせるようなことを言った望美に、幻滅しているのかもしれない。またしょんぼりと肩を落とした望美は将臣が止まったことに気づかず、その背中にぶつかった。
「とりあえずここでいいだろ」
 小さな頃によく一緒に遊んだ公園。二つ並んだブランコは立ちこぎをして飛び、よくその飛距離を競争したものだ。そんな思い出のあるブランコに座って望美は隣の将臣からの痛いような視線を受けながら、何と言ったらいいものかと悩んだ。
「で、なんで別れたいんだ?」
「わたしそんなこと言ってないよ!」
 寝耳に水の話だとばかりに望美はすぐさま反論する。そんな驚いた望美の反応に、将臣は完全に呆れていた。
「お前な……ただの幼馴染に戻りたいって、つまりはそういうことだろうが。だったらあの発言はなんだったんだよ」
「あれは……なんというか、そう思ったからつい言葉が」
「どう思ってついそういう話になったのか、そこを端折るな。ちゃんと言わなきゃ、こっちは何もわかんねーだろうが」
 頭を小突かれて、望美は「痛いよ」と抗議の声を上げた。
「だってわたしわがままだから」
「そんなの、今に始まったことじゃねえだろ」
「そうじゃなくて! って、それどういう意味?」
 呆れた将臣の聞き捨てならない台詞に、望美は思わず食いついた。今だってたくさん我慢しているのだから、そんなことを言われたら、望美はもう何も出来なくなる。
「言葉の通りだろ、お前のわがままは今に始まったことじゃない」
「そんなしょっちゅうわがままなんか言ってないでしょ!」
「お前の行動に振り回されてる俺が言うんだ、間違いない」
「そんなわがままじゃないよ、ちゃんとこれでも我慢してるんだから!」
「言った傍から自分の言葉を覆すなよ。だからお前はわがままなんだろうが」
「違います、わたし、本当に我慢してるんだよ!」
 こんなに好きで、こんなに寂しくて、こんなに逢いたいこの気持ちを、ずっと胸に隠して言わずにいた。でも、これを言ったら将臣を縛ってしまうから、全部言わないで心の中で願っているだけにしてるのに。
「将臣くんの馬鹿!」
「誰が馬鹿だ、誰が。第一なんでいきなりキレるんだよ」
「キレてない、将臣くんが全部悪いんじゃない!わたしがわがままになったのだって、将臣くんが好き勝手なことばっかりしてるから」
「いつ俺が好き勝手なことしたって?」
 ああ、もうめちゃくちゃだ、と望美は頭を抱えたくなった。本当はこんなことが言いたくて逢いにきたんじゃない。どうしてこんなにも好きな気持ちは絡まってしまうのだろうか。ただ、望美は将臣のことを好きなだけなのに。
「とりあえず落ち着けよ、お前俺に言いたいことあるんじゃないのか?」
 なんで将臣はこんなにも冷静なんだろうか。やっぱり、望美のほうが将臣を好きだから?将臣は望美のことなんて幼馴染の延長としか見てないんじゃないだろうか。
「わたしは……ただ……」
 悔しかった、唇を噛み締める。気持ちが同じだとは思わなかったけれど、こんなにも差があると不安になる。本当は将臣は、望美が将臣を好きな気持ちに同情してただ合わせてくれているだけなのではないかと、勘繰ってしまう。それが杞憂であるとわかっているのに、不安ばかりが膨らんでいく。
「ただ、将臣くんが好きなだけなのに」
 それだけだ、望美がいつも悩む原因は全部将臣が好きという根源があるからこそ。元を正せばこんな簡単なことなのに、その気持ちがすれ違う。何度好きといっても将臣が望美の気持ちに応えてくれるとは限らない。だって彼は優しくて自由の似合う人だから。いつも飄々としていて、それでも義理堅くて望美が困っていたら助けてくれる人だから。
 もしかしたら、望美のことはもう好きではないのかもしれない。恋と友情の違いを明確にせずに付き合ってくれているのかもしれない。でも、そんなのは嫌だった。それこそ望美が将臣を縛ってしまっているから。
 望美は考えていたこと、感じていたことすべてをぶつけるように口を開いた。
「わたしが好きだって思えば思うほど、将臣くんはわたしのことなんてどうでもいいんじゃないかって、そう思って仕方なかったの。でも、そんなこと言ったらまた困らせるってわかってるから何もいえなかった」
 将臣は口を挟まずに聞いてくれている。顔を見て話す勇気がなくて彼の表情は窺い知れないが、視線だけは望美に向けられているを感じるので堰を切ったようにあふれ出した言葉は次々と流れ出た。
「将臣くんを好きな気持ちが大きくなると、それが将臣くんを縛ってしまう気がして、それも怖かった。だって、将臣くんは縛られるような人じゃないし」
「……わかった、もういい。お前が大いに誤解しているのがよくわかったから、ちょっと落ち着け」
「落ち着いてるよ、取り乱してないでしょ」
「十分一人でテンパってんだよ、お前は」
 がちゃん、とブランコの鎖が揺れる音がした。将臣が立って影が動く、そして俯いている望美の前に彼は立った。それから将臣の腕が伸びてきて、望美の両頬を包み込む。上を向かされてそれに逆らわずにいると、将臣の唇が望美の唇に触れた。
 長い口付けだった。たぶん、今までで一番長かった気がする。息をするのがもどかしいくらい、離れたくないと願った望美の願いを、まるで叶えてくれるように。
「俺は好きでもない奴にこんなことしねえよ」
 そんなことを、やさしく言われたらずるいと思う。望美は堪えきれなくなってそのまま将臣に抱きついた。かがみこんでいる将臣の首筋に、ブランコに乗ったまま顔をうずめる。それを受け止めてくれた将臣は望美の頭に手を置いて撫でてくれた。
「ったく、本当にお前は一人で暴走するのが好きだな。溜め込んでまた変なこと言われたらこっちは敵わねえよ。他に何してほしいんだ、言ってみろ」
 ちゃんと聞いてやるから、と付け加えられた言葉は、望美の心の中からするすると言葉を引き出してしまう。
「たまにはデートしたい」
「ああ」
「宿題一緒にやって」
「写すのはナシだからな」
「あと」
「ん?」
「……一緒に帰りたい」
「ああ、いいぜ」
 ずっと一緒に居たい、望美が気持ちを込めてぎゅっと抱きつく力を強めると、将臣の抱きしめる力が強くなった。






「BGM:Silky heart」
   20090209  七夜月


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