【弐】 翌朝。奇跡的にも回復を遂げた敦盛は(あれだけ食べてこうして立っていられるのだからまさに奇跡としか言いようが無い)、いつもよりも早く家を出た。早めに目覚めてしまったせいではあるが、早起きは三文の得というし、清々しい気分でいつもの待ち合わせ場所へと辿り着く。そこで腕時計を確認すると、いつもより15分も早い。夏は太陽も早起きで既に頭上に上っている。 熱射病として倒れたときを思い出し、敦盛は手で日陰を作って空を見上げた。だが、気温が上昇するにつれこのままここに立っていると、危険かもしれない。 今日の太陽も容赦なく敦盛の体に照りつける。このままでは水分不足で今度は脱水症状でも起こしたらたまらない。 ごそごそと鞄の中を漁り筆記用具を取り出すと、敦盛はメモ帳にさらさらっと伝言を書いた。 『神子、朔殿へ すまないが、今日は先に行く。 また学校で会おう。 敦盛 』 それを地蔵の収まっている祠の入り口に、落ちていた石を重石として乗せると、敦盛は地蔵に伝言がきちんと届くようにと拝んだ。 教室で一足先に皆を待つことにする。それにもしかしたら、いつものヒノエの悪戯に今度は引っかからなくて済むかも知れない。 敦盛は軽くなった心の軽快さが現れる足取りで、一人学校へと向かった。 「お早う……」 ドアを開けてみれば案の定、いつもの仲良しグループどころか誰一人としていなかった。やはり早く来すぎたらしい。 暇を持て余した敦盛は自分の机に鞄を置くと、教室を見渡した。誰も居ない教室は初めてで、なんだか別の世界に来たようだ。ゆっくりと改めて教室内を歩いてみる。すると、教室の後ろの扉の無いロッカーの中に、黒光りした鉄扇が入っているのを見つけた。艶やかな鉄扇はまるで磨き立てであるかのように光を損なっていない。 今まで気付いていなかったのが不思議なくらい、それはその場に溶け込むようにして入っていた。 敦盛はそれをしげしげと眺めると、手にとってゆっくりと開く。思っていたよりずっと軽い。 試しとばかりに開いてみる。すると、丁度そのとき、教室内にヒノエの元気な声が響き渡ってきた。 「おっはよー! 今日も一番乗りー……って、あれ? なんだよ、敦盛いたのかよ」 「ああ、ヒノエ。おはよう」 「へーえ、珍しいこともあるもんだな、お前の方が早……」 ヒノエは言葉の途中で固まったように止まった。敦盛が不思議そうな顔して視線を辿ると、ヒノエは敦盛が手にしているものを見てどうやら固まっているらしい。後からやってきた弁慶も、敦盛の手の中のものを見て驚いているようだ。 「ヒノエ?」 「…………あ。いや、うん。何でもないぜ? 俺ちょっとトイレ行って来るわ」 敦盛の顔を見ずにまるでその場から逃げ出すように、ヒノエは教室を出て行った。様子がおかしい。後を追おうとした敦盛を、弁慶が手で制した。 「弁慶殿?」 「それは、ヒノエの兄のものだったんです。ヒノエの兄は元々、僕が今行っているチモ祭りの神子の正式な跡継ぎでした。その鉄扇はチモモリ様が使用していたといわれている藤原家に伝わる由緒ある鉄扇。兄は鉄扇を大事にしていました。ですがある時から、綺麗な舞を踊る練習をするからと当主であるヒノエの兄が持ち歩いていたんです。本当にそれは突然の事で、一体兄の身に何が起こったのか僕にも解りませんでした。けれど、あの事件が起きてから、その鉄扇はどこかにいってしまって」 由緒ある鉄扇をある時から持ち歩いているとは、なかなかにユーモアな人物らしい、ヒノエの兄というものは。確かに見た目よりは軽いとは言え、こんなでかいもの持ち歩くだなんて邪魔なものを持ち歩いているようにしか思えない。 あの事件とは、やはり記憶喪失の原因となったチモモリ様の崇りだろうか。 「これはこの教室で見つけたんだ。そこのロッカーの中に……でも、ヒノエの兄のものなら返さなくてはいけないな」 「いいえ、もしもそれが本当にヒノエの兄のものだとしても、ヒノエに必要なものではありません。むしろその鉄扇がある限り彼は……君が使ってくれるのであればヒノエも本望でしょう。大事に使ってあげてくださいね」 弁慶は言いかけた言葉を飲みこんで淡く微笑んだ。 別に敦盛は欲しかったわけじゃない。というか、やはり貰っても対処に困る。 だが、ここでいらないといえる雰囲気ではない。とりあえず家に持ち帰ったら使用頻度も少なそうだし装飾品として飾ろうと心に決めてその場ではお礼を述べた。 「おはよ〜!」 「おはよう」 そのうちにわらわらと教室内に人が訪れてきて、敦盛はそれを鞄の中にしまいこんだ。無論、取手部分が鞄内に納まらず飛び出てしまったことは言うまでも無い。 【弐】 了 【参】 200600911 七夜月
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