【弐】 電話が切れてしまった。将臣の様子はおかしく、途切れ途切れの声になっていたのでもしやと思っていたから、原因は考えるまでもない。敦盛は覚悟を決めて受話器を戻す。後ろから感じる気配が段々近付いてきているのは解っていた。だから、きっとこの濃密な負の気配が真後ろで留まっている時点で自分は覚悟しなければならないのだ。 顔を上げて、前を見据え、公衆電話から敦盛は姿を現した。 そこには想像通り、血のついた鞭を持った望美の姿が在った。 「どこに電話してたの? ねぇ、敦盛さん? ダメだよぉ〜。言ったよね、敦盛さんの相談に乗れるのは私だけだって」 いつもの望美と違った低い声。少し前までの敦盛はいつも怖がってばかりだった。けれど今は、自分しかいない。 「弁慶殿と、ヒノエは?」 「あんまりにもうるさいから森に捨ててきちゃった」 「殺したのか?」 ギリッと、拳が強く握られる。いつの間にか敦盛の手にはあの鉄扇が握られていた。きっと見知らぬうちに抱きしめていたんだろう。鉄扇からは人肌ほどの温もりが感じられる。 「そんなことしないよ? 私はただ、彼らを楽にしてあげただけ」 望美は嘲笑った。完璧な望美の笑顔。けれど敦盛にももうわかっていた。これは望美であって、望美ではないもの。 「だって二人とも酷いんだよ? 私と敦盛さんをこうやって引き離そうとするんだもん」 望美は何がいけないの?と首をかしげている。まるで人を傷付けてはならないと習っていないような純真ぶり。 いっそ自然なくらいにそれが当たり前だという顔をする。 当たり前?そんなわけないのに。 以前の望美は人を傷付けることを望んだりするような子では無かった。 付き合いは短かったかもしれないが、それでも敦盛にはそれくらいわかる。 憎むべきはこの望美の中にいる人物。 「お前は、何故神子の中に居る? 何が望みだ」 「何言ってるの? 私は望美だよ、敦盛さん。それにね、私の望みはただ一つ。貴方と一緒にいる事」 さっきからそういってるでしょ?と再び首を傾げる望美。けれど、敦盛にはそれが本心だとは到底思えなかった。 「では、私がずっと傍に居るといったら、貴方はヒノエや弁慶殿に手を出さなかったのか?」 「さぁ? もしもまたうるさいこと言ってきたらおんなじようにヤっちゃってたかもしれないね」 「…………ッ!」 望美は楽しそうに笑うと、鞭を振って敦盛の身体に巻きつけた。鞭を引き、敦盛の顎を捉えて、その顔をまじまじと覗きこんだ。 「……本当に、あの方にそっくり……やはりあの方の血筋だわ」 「………………?」 「……どうして私だけが……」 望美の様子が変わった。敦盛を見る目が優しくなる。いとおしげに何度も頬を撫でて、敦盛を丁寧に愛撫するように吐息を漏らした。 「ねぇ、貴方が感じるのはどこ?」 敦盛の首筋から制服のボタンを一つ一つ外して行く望美は無邪気な子供そのもので、それゆえ敦盛は今の状況が理解出来無かった。 「あの人は私を愛してくれていた。でも、それを……」 ギリッと望美が唇を噛む。強く噛みすぎているようで、血が一筋唇の端から零れ落ちた。 「どうしてよ、どうして……私だけが……」 敦盛は何も言わなかったが、この望美の変化には驚いていた。そして驚きによりかえって冷静になった頭が現在の状況を分析する。望美はまた更に別人のように大人しくなり、手の力が緩んでいる今がチャンスだ。望美の身体を突き飛ばし、鞭で繋がれた自分の身体を自力で解いた。 「キャッ!」 どしんと音を立てて、望美が尻餅をつく。先ほどとは真逆の光景だった。 「貴方も……貴方も離れていくの?」 望美の目に再び赤き光が灯る。 低く告げられた言葉。敦盛は黙ることで答えを告げた。 「貴方はまた、私から離れていくのね……? そんなのダメよ、許さない。絶対に許さない。なんのためにあの娘の生まれ変わりを奪ってやったと思ってるの?」 独り言なのだろうか、肩を震わせて望美は喋り続ける。 「貴方を見つけるため、貴方にまた愛されるために私はこの娘の身体を奪ったというのに……貴方はそれでも私から離れるというの!?」 「私にはなんのことだか解らない」 「だって持ってるじゃない!! あの方が持ってた、あの方しか扱えぬ鉄扇を貴方は持っているじゃない!! それがあの方という証拠じゃない!!……そう、そうなのね。まだ目覚めていないのね? 貴方が邪魔しているんだわ。あの方の復活を。あの方の血筋を受け継ぎ、あの方が蘇るためには貴方は邪魔な存在」 「………………ッ!」 敦盛は息を呑んだがここで負けては本当に命がなくなってしまう。 「貴方を殺すわ、そして貴方の身体はあの方の器となるの」 望美は静かに冷え切った微笑浮かべると鞭を拾い上げて胸の前でゴムを伸ばすように引っ張った。 「その細い首なんて一巻きであの世にいける。そうよ、最初からそうすればよかったのね。あの方と同じ肌を求めていたけれど、やはり高貴なる方の肌はその血筋にしか生まれないのだから」 望美はクスクスクスと笑い声を上げると、「死んで?」と一言呟いて鞭を振り上げた。どうする? 鉄扇で防ぐか? しかし時間がない。敦盛は思わず顔を庇うと、もうダメか、と目を瞑る。 けれども、いつまで経っても何も起こらなかった。 恐る恐る目を見開くと、鞭を振り上げたまま固まったように動かない望美がいた。 その瞳からは透明な雫が溢れている。 「……げて、敦盛さん……お願いっ!」 「神子……? 神子なのか!?」 敦盛は確信した。今ここにいるのは紛れも無く敦盛の知っている望美の姿。 「早く…! 私が抑えてるうちに……もう、私にも抑えられないんだよ……!」 望美の身体は震えており、必死に自分の中で戦っているのが目に見えた。 「ごめんね、自分がおかしいのはちょっとだけ解ってたの。時々記憶が飛んで、気付いたら自分がいた場所とは違うところにいたりして、何かがおかしいって解ってたんだけど……」 「神子、神子なんだな。待っていろ、すぐにも助けが……」 力なく、望美は首を横に振った。望美は泣いていた。それと同時に笑っていた。仕方ないと言いたげに、全部を諦めたように笑っていた。 「本当はね、私ずっと敦盛さんに憧れてたんだ……身体が弱くっても、いつも努力して…嫌な顔一つ見せずに…みんなと一緒に…あそんでくれて……」 嗚咽で幾度もつかえながらも、それでも望美は喋り続けた。 「私、馬鹿なのにめげずに勉強教えてくれてっ……! そんな貴方が大好きだった……」 一生懸命に望美は喋り続けている、苦しげに眉をひそめながら、それでも望美の気持ちを敦盛に伝えようと必死に。敦盛は立ち上がって望美に手を伸ばそうとした。しかし、それを遮るように望美から拒絶の声が上がる。 「ダメ! 触らないで!! 時間がないの、勝手ばかりでごめんなさい。でも、逃げて……私が貴方に辿り着かないようにずっと遠くへ逃げて!」 「しかし……!」 「貴方を傷つけたくなんか無いの! だから…早く逃げて!!」 【弐】 了 【参】 200600722 七夜月
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