【参】



 叫んだ望美の声に反発されるように、敦盛は回れ右をしていた。そのまま一気に駆け出す。敦盛は後ろを振り返らずにただ前を向いて走り続けた。
 何が起こったのか、何が起きているのかさっぱりわからない。それでも、望美は敦盛が逃げることを望んだ。だから敦盛も逃げた。やはり自分は誰かに守られているのだな、と心の中で自嘲しながら。
 後ろから、何かが来る気配を感じる。けれど敦盛には何が何だかわからなかった。濃密となりすぎたその気配はもしかしたら村中に蔓延しているのかもしれない。それとも自分の恐怖心から来る幻覚か。
 敦盛はただ無我夢中に走り続ける。警告のように痛み出す胸。このままではマズイと解ってはいたが、望美の手を汚さないため、ましてや自分も命を粗末に扱うつもりは無い。
 一度は手術で助かった命、絶対に無駄には出来ない。何が何でも生きて、おじいさんとなり天寿を全うするのが自らのささやかな夢なのである。それを叶えずに死ぬなんてこと絶対に認めたくなかった。
 敦盛はとにかく走った。前方がどうとかいっている場合ではなく走り続けた。
 きっとこんなに走ったことなど無いと思う。それでも、走り続けて次第に脳内への酸素が足りなくなりボーっとしてきた。
 頭の中に靄が広がり、思考を全て奪われる。
 この感覚を敦盛は知っている。いつもいつでも味わうからだ。
 そう、これは気を失う前と同じ状態。
 またここで自分は倒れるのか。ここまでなのか。
 自問自答でも答えは出ない。否と答えても、体力と気力が持つかは時間の問題である。
 足がもつれて転んでしまう。一度地面に伏せられた身体は二度と動かすことが出来なかった。
 敦盛は覚悟した。後ろから辿ってきていた気配がもうそこまで来ている。手を伸ばされ、仰向けにされて薄く開いた目で見たのは、必死になって自分の名を呼ぶ将臣の顔だった。
 どうかしていると自分でも思う。けれどその時は本当にただ安心して、敦盛の目尻から一筋の雫が零れ落ちた。
 自分も助かったけれど、これできっと彼女も救われる。もうあんな風に泣かずに済むのだ。
 笑っていて欲しい。こんな自分を大好きと言ってくれた彼女が、幸せになれるように。
 強く強く敦盛はそう願った。


 【参】 了 【エピローグ



    20060920  七夜月


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