曼珠沙華の咲くまでに 終




「知盛! どこ!!」
「お待ちなさい、どこへ行くおつもり?」
「とも……きゃあ!」
 まるで金縛りにあったかのように動かない手足、自分をこんな状態にした女の姿を望美は睨みあげた。
「貴方に用は無い! 知盛はどこなの!」
「それこそお前のような小娘には知る必要の無いことですわ!」
 鬼の怒りが望美の頬に触れる。熱い風が身を焦がすように望美を覆い尽くす。
「さっさとこうしてしまえばよかったのですわ、そうすれば、あの方だってわたくしを捨てることなど無かったのですから」
「なんのことだかさっぱり解らないけど、一つだけ思うの。貴方は知盛を好きなわけじゃないよ。一人になりたくないだけ」
「小ざかしいことを、意味がわかりませんわね」
 何も知らない望美からそんな風に言われて、女は嘲笑する。
「知盛が一人のままなら、仲間が増える、だから貴方は知盛に近付く人間を許さない。違う?」
「何を言うのかと思えば……くだらないですわ。男と女の愛もわかっていない小娘のくせに」
「わからないよ! でも、私は知盛が好き! それは本当、もっと、一緒に居てあげたい。一人になんかしない! 都合のいいときだけ一緒に居るような人にはならないから! だって、だって友達なんだから!!」
 望美は無理やりにでも動こうと、手足に神経を集中させる。けれど、動こうとした矢先に激痛が起こって思わずその場で呻いてしまう。
「無駄ですわよ、絶対に動けませんわ」
「でも、それでも私は知盛に逢いに行く。無駄なんかじゃない、あの人に逢いたいの。そうしたら、これを渡すの!」
 望美が懐に手を入れようとしたその時。
「居たぞ! 鬼子だ! もう一人誰かいる、きっとあいつも鬼子だ!!」
 遠くの方から松明がやってきた。何本も重なって近付いてくることを知らせていた。
「あらあら、勘違いされてますわよ。仲間に殺されるのとわたくし、どちらが宜しいかしら?」
「矢を用意!」
 あれが父親が仕掛けた村人で構成された鬼子の討伐隊の人間だろう。
 キリキリと矢を引いている村人達はこちらを決して逃がすという意思が感じられなかった。
 望美は何とか動けないかと力を込めるが、やはりどうにもならない。
「放て!!」
 とうとう、村人の口から号令がかかり、一斉に矢が放たれた。
「ふふっ」
 女が術を使ったようで、女に向かっていた矢も全て、望美へと向かう。
 しまったと考える暇も無い、どんな状態であろうとも手足は動かない。
 望美はそれをゆっくりと流れる時間の中で見ていた。こんな矢に射られたらさすがに死んじゃうなぁと思ったけれど、やっぱり足は動かないしそれに動いてももう間に合わない。
「…………ッ!!」
 怖くて前を見られずに、望美は目を瞑った。
 その直後、頭を何かに抱きかかえられる感覚。
 痛さってあまりに痛いと麻痺しちゃうのかな、と思った矢先、望美の顔に生暖かい何かが飛んできた。生臭い、この臭い、望美は直感で解った。血だ。血の臭いだ。
 突然体が軽くなって動けるようになったので、顔を拭って目を開いた。
「無事……か……?」
 口から流れ続ける血、鮮血で黒ずんだ服を見て顔を見て、望美は顔を上げた。
「とも、もり……?」
 知盛の背中から、何本もの矢が突き刺さっていた。それは望美に当たる直前で止まっており、先端から血が滴り落ちている。
「いやぁああああ! 知盛様!!」
 先に悲鳴を上げたのは女のほうだった。何か口の中で術を唱えると、知盛に向けて発する。その後、知盛の体が淡く輝いたが、それでも血は止まらなかった。
「人間が……! 決して許しませんわ……!!」
 女はまさしく阿修羅の形相となり、術によって手当たり次第に炎を打ち出した。松明を持っていた人間も、弓矢を放った人間も、全てが炎に身を包まれた。
 阿鼻叫喚な地獄絵図の世界が浮かび上がる。燃え盛る炎、知盛は崩れ落ちそうな自らの身体に術を使い、その身をいつも二人が会っていた、あの野原へと移動させた。
 そこは静かで、まるで森の下で燃え続けている炎など、別世界の事のような場所だった。
「知盛、知盛、しっかりして!」
 望美は、必死になって知盛の名を呼ぶが、知盛は荒い呼吸を繰り返すばかりだ。刺さった矢が、青い炎で燃える。
 他の事など考えられないほど、目の前の知盛しか今の望美には見えなかった。
 青い炎で燃やされ灰になった矢は、知盛の身を焦がすことなく風に乗ってさらさらと零れた。
「知盛……!」
 崩れ落ちた知盛を仰向けにして寝かせた望美はその胸で泣き続けた。
「ああ……うるさい…少しは、黙れ」
 泣きながら、知盛の身体にしがみつく望美を引き離して、知盛は唇の端を持ち上げた。
「約束を…守らなかったせいで……針千本、受けたぞ…馬鹿」
「ごめ、ごめんなさい……、私を庇ったりなんかしたから……!」
 顔をぐしゃぐしゃにして、泣き続ける望美を最後の最後で知盛は庇った。
「気にするな……どうせこうなることは解っていた……そろそろ、寿命が尽きる…頃だしな」
 知盛は思い返す。力が無くなっていく感覚は自らが一番解っていた。望美と出逢ったあの頃でさえ、絶世期であった頃に比べてほんの一部しか振るえていなかったのだから。
 そんな自分がこの場所へやってきて、毎日眠り続けていたのは、自らの死に場所をここにすると決めていたため。何者にも捕らわれず、ただ静かに眠れる場所を、知盛はずっと探して彷徨っていた。
「寿命……?」
「元々俺は人間だ……捨てられていたのを鬼に拾われ、偶然使えた力を……より強く使えるようにした。……けれど、神の領域に殉ずるには、命を引き換えにしなければならない……」
「それじゃあ、知盛が今まで力を使うたびに、命が減っていたってこと……?」
「そうだ、馬鹿にしてはちゃんと……解ってるじゃないか……。もう、…えられな…な。……が切れる」
 知盛の言葉が霞んでいく、望美はとにかく何かでつなぎとめたくて、懐に入れていた人形を取り出した。煤で薄汚れてしまったけれど、どこも壊れたり破けたりしていなかった。つぎはぎが多い、知盛の人形。
「……約束、お茶は出来なかったけど、人形は出来たの。ねぇ、これあげるから、ちゃんとあげるから、そしたらわたしたち、本当の友達になれるよね? ずっとずっと、一緒にいられるよね?」
 知盛はその人形を受け取ると、「……下手くそ」と呟く。それも、かろうじて聞き取れた程度だ。
「じゃあ、今度はちゃんと綺麗に作るよ! ねぇ、そうしたら、一人じゃ寂しいから、私の人形も作るんだ。そしたら、交換しよ? 知盛も何か作って、私と友達になれた記念に……何か、作って……!」
 涙が零れ落ちる、必死の言葉。知盛は笑った。初めて見る、安らかな笑顔。
「……これは…似合わないと…以前、言っただろう」
 ゆっくりと伸ばされた手は望美の頭に触れて、乱れきっていた髪から髪飾りを取った。さらっと望美の肩から髪が落ちる。
「お前はこちらの方が…似合う」
 望美の瞳から落ちる涙が、知盛の頬を伝った。
 知盛は最後に、口の形だけで別れを告げる。望美が声を聞かなかったのは、知盛の唇が押し当てられていたからだ。
 口づけをした直後、知盛の体が散った。
 深紅の花びらが風に吹かれて、野原に広がる。
 遺体も何も残らずに、知盛は消えてしまった。
 まるで最初からそこには何もなかったかのように。
 望美は慟哭して知盛の名を呼び続ける。
 だが、知盛が現れることなどなく。
 望美は絶望を知った。

 -- ねぇ、知盛、見て。あそこにも曼珠沙華が咲いてるよ
 -- 私この華好きなんだよ、おかあさんに言われたこともそうだけど、なんかね、儚くみえるのに強いでしょ?
 -- みんなはね、好きじゃないんだって。これが咲くのは死者が帰ってくるといわれる頃だから不吉だって
 -- でも、だからこそ、思い出せるよね。想い出に埋もれずに、その死者の事を
 -- 私は覚えていたい、それがどんなに悲しい思い出でも
 -- ずっと、覚えてる。そうすればきっと

 -- また、会えるよね。
 


 風に吹かれる、赤い曼珠沙華。
 眠りについた望美が見た、夢の中。
 知盛が曼珠沙華の中で風に吹かれて眠っている。
「貴方は幸せ?」
 知盛の目が薄く開いた。
「さぁな」
 再び閉じられる瞳、でも望美は諦めなかった。
「ねぇ、またきっと会えるよね。だって、知盛は友達だもん、ずっと友達だもん」
「……約束はしない」
「うん、いいよ。でも私は必ず貴方を見つける。どんな姿でいようとも、私は貴方を探せるの。だって、曼珠沙華が道しるべになってくれるから、きっと迷わずに逢いに行ける」
「……勝手にしろ」
「勝手にするよ」
 いつもと同じ言葉が交わされる。
 夢の中はとても温かかった。知盛もこれなら寒くないね、良かったね。
 風が吹く、視界が赤く染められる。
 幾重にも咲く曼珠沙華の花びらが、まるで踊るように舞い上がった。


 了





    20061022  七夜月


曼珠沙華の咲くまでに TOP