1.「こんにちは」と返す

「こんにちは」
 条件反射のように敦盛の口から挨拶が飛び出た。すると青年は笑った。
「平敦盛くんだろ? 最近チモ見沢に引っ越してきた。小さい村だから、引っ越してきた人間は有名なんだ。俺は有川譲、よろしく」
「はい、宜しくお願いします」
 差し出された右手に答えると、譲は敦盛の手を握ったまま呟いた。
「君さ、どうしてここに引っ越してきたの? ここ、何も無い村だろ? 君みたいな人間が来ても、何も無くてつまらないんじゃないか」
 眼鏡を押し上げながら離される手、敦盛は苦笑した。
「病気療養のためです。この間大きな手術をしたばかりで、空気や水の綺麗な場所に居た方がいいだろうって。以前から、このチモ見沢は父が好んで来ていたものですから」
「なるほどね。じゃあ、君はここがどんな場所か知らずに来たんだ?」
「どんな場所?」
 譲の言い方に含むものを感じて、敦盛は寄せた眉根を寄せながら首を捻った。
「あ、いや……昔の話だよ。ここはずっと昔に色々あったんだ。友達から聞いてないかな、チモ見沢の由来」
「由来……?」
「血見沢、それがこの村の由来だよ。言い伝えでは、一人の鬼子が人間に恋をしたけれど、結局その想いは報われずに死んでしまうんだ。その鬼子が死んだ後、仲間だった別の鬼子が当時ここに存在していた村を暴れ回り、大半の人間が殺された。血に染まったこの村を、別の人はいつしか血見沢と呼ぶようになった……」
「血見沢……」
「あんまり歓迎されない言い伝えだろ? だからカタカナに変えたんだ。だけど俺たちチモ見沢の住人は決して忘れない。忘れちゃいけないことなんだ。もしも君がこれからこの村で生活して行くつもりなら、覚えておいて欲しい」
「…………はい」
 譲は眼鏡を持ち上げると、それじゃあと言って去って行った。敦盛は今聞いた話を忘れないようにと心に留め、望美たちが待っている待ち合わせ場所へと早足になって急いだ。

 キーワード「T」































2.会釈して素通り

 敦盛は会釈をしてその脇を素通りしようとした。
 すると、森のほうからチモモリの鳴き声が一際高く響き渡った。
「今日もチモモリが啼いてるね」
 不意に青年はそういった。
「ええ、そうですね」
 無視をするのも気が引けて、敦盛も答える。
「君は知ってるかな、チモモリがどうしてチモモリって言うのか」
「いえ」
 敦盛は目を瞬いて、その声をかけてきた青年を見上げた。青年の瞳はレンズ越しでよくその表情が読み取れなかった。一体、何故こんなことを敦盛に尋ねてきたのだろう。
「そう。チモモリはね、求めてるんだよ。失ってしまった片割れの血を」
「片割れの血?」
「そう、つがいとなる相手の血。何年も土の中で待ち続けて、成虫となってからチモモリは10日ほどしか生きられない。その間、ただ求め続けるんだ。自分のつがいとなるものの血を。チモモリの漢字は血盛。時にチモモリは、血を欲しさに人を襲うこともあるから、君も気をつけたほうがいいよ」
「そうなんですか……ご忠告、ありがとうございます」
 再びぺこりと頭を下げて、敦盛は歩き出した。
 チモモリにそんな意味があったなんて知らなかった。
 ただ変な啼き方だなあとは思っていたが、血を求めていたとは。
 なんだか少し怖くなり、敦盛は早足になっていつも望美たちと待ち合わせをしている場所を目指した。

























1.「君は誰?」

「私は白龍。梶原朔の弟だよ」
「朔殿の? 初めまして私は……」
「知ってる。敦盛だよね? この村のみんな、敦盛のこと知ってるよ」
 白龍は無邪気な笑顔を向けると、敦盛に傍までやってきた。
 敦盛は敦盛で、朔に弟がいることを初めて知り、微かに戸惑う。今まで家族構成の話は聞かれることはあっても聞くことが無かったのだから当然といえば当然だが、朔と白龍を見ると、まったく姉弟という気がしないのは似てないせいだろうか。
「私と朔が似てないって、敦盛今そう思ってる?」
 首を傾げる白龍に図星を指されて、敦盛は口ごもった。子供は意外に鋭いものだ。考えている事を率直に告げられてしまった。
「その、朔殿とは少し顔立ちが違うのだなと思っただけで……」
「別にいいよ。気にしていない。私と朔が似ていないのは当たり前だよ。だって私たちは血が繋がっていないから」
 白龍はあっさりと敦盛に事実を暴露した。逆にその重たい事実に敦盛はどう反応していいのか困ってしまう。
「私は貰い子。朔の家に、幼い時に引き取られたから、朔とは血が繋がっていないよ」
「そ、そうなのか……」
 適度に相槌を打つくらいしか、敦盛には出来なかった。
「あのね、私にはもう一人朔より年上の兄がいたんだよ。そちらは私と正真正銘血が繋がっていて、同じく朔の家に引き取られた。黒龍と言うんだけど」
「黒龍?」
 白龍は思い出を噛み締めるように、ゆっくりと話した。
「そう、朔と黒龍は想い合っていた。けれど、義兄妹であっても、兄妹同士の契りは禁じられている。だから、数年前に黒龍は姿を消してしまった。朔はいっぱい泣いたけど、私はどうしてあげることも出来なかったんだ」
 悔しげに呟く白龍の頭を軽く撫でて、敦盛は視線を白龍と合わせる為にしゃがみこんだ。
「朔殿はその黒龍という人物を愛していたんだな」
「うん。二人とも愛し合ってた。だからこそ、黒龍は朔が傷つかないように、姿を消した。その時に私は黒龍と約束をしたんだけど、全然果たせていない」
「約束?」
 白龍はギュッと、敦盛の袖を握った。
「朔を守るって。朔は生まれつき霊力が強いから大きい力の余波を受けやすいんだと黒龍は言っていた。いつかこのチモ見沢で大いなる災いが降り注ぐから、その時はお前が朔を守ってくれと。黒龍には予知することが出来ても、朔を守る力が無いから」
「大いなる災いって……」
「朔はいにしえの応龍の神子の片翼だから。片方の神子に異変が起これば、その影響は朔にも生まれる。だから、私が朔の暴走を抑えなければいけないのに、力が足りないんだ……」
 そろそろ敦盛にも理解の限界が来そうな内容だった。応龍の神子?大いなる災い?この少年は何を敦盛に伝えたいのだろうか。
「白龍、どうしてそんな話を私に?」
「貴方に必要なことだから。神子を止められるのは、貴方だけ」
 白龍は静かにそう告げた。
「私の話はお終い。敦盛、お祭りに行くんでしょう。そろそろ始まるよ、早く行った方がいい。私は行かないから、もう帰るよ」
「あ、ああ……それじゃあ、気をつけて」
 手を振りながら敦盛が向かっていた反対方向へと走っていってしまった白龍を見届けてから、敦盛も首を捻りながらお祭りへと向かった。























2.「君はお祭りに行かないのか?」

「行かないよ、私はこのお祭りに出ることは許されていないから」
「許されていない? なぜ?」
 少年はよいしょっと座っていたベンチから降りて敦盛に近付いた。
「このお祭りは鬼子のためのお祭り。故に、私はこのお祭りに出ることを禁じられている」
 言っている事の意味が良く解らないが、とにかくお家の関係か何かで出てはいけないらしい。
「鬼子?」
「そう、いにしえには幾人かの鬼子がこの土地に住んでいた。けれど、ある鬼子が白龍の神子に恋をして、そのせいで命を落とした鬼子を慕っていた別の鬼子が村を焼き討ちにしたせいで、鬼子たちは居場所をなくしてもっと北の土地へと行ってしまったから」
「白龍の神子……」
「そう、昔からこの土地は白龍と黒龍の二人の神子が祈ることによって、二つの龍……応龍の加護を受けて繁栄していたんだよ。昔はここ、華見沢と言って、とても美しい花が咲き誇る土地だった。神子が平和を願い続けていたから」
 どうやら何かの昔話らしい。このチモ見沢では様々な伝承が残っているらしく、敦盛も興味が出たので、しばしこの少年の話を聞いてみることにする。
「どうしてここがチモ見沢と呼ばれるようになったんだ? 華見沢の方がずっと素敵な名前だと思うのだが……」
「それは……神子が願いを止めてしまったから」
 少年は悲しそうに……それでも笑った。
「何故、神子は願いを止めてしまったんだ」
「鬼子を失った神子は願うことをやめてしまった。神子は鬼子を愛していたから……神子が願うことをやめれば、龍の力も弱まる。その時に、神子と同じく鬼子を愛していた別の鬼子が力の限りを使い尽くしてこの村を焼き尽くした。龍はそれを……止めることが出来なかった」
 自分の事のように悔しがる少年の頭を敦盛は撫でた。龍の気持ちを汲んでそこまで出来るなんて、きっとこの少年はとても心優しいのだろう。
「大丈夫だ……君がそんな顔をしなくても、今の村人の顔を見ていればここがどんなに平和なのか解る。それにみんな、幸せそうだ」
 敦盛の言葉に、白龍は顔を上げて、嬉しそうに笑った。
「敦盛はやっぱり優しいね……貴方がこの村に来てよかった」
「私の名前を知っているんだな」
「小さな村だからすぐに伝わるよ。ごめんなさい、随分と引き止めてしまった。仲間が待っているよ、早く行くといい。私も家に帰るから」
「そうか、気をつけて」
「うん、さようなら!」
 大きく手を振りながら、白龍は去っていった。敦盛もそれを見送ると、仲間たちを待たせているので早足で停留所を後にした。

 キーワード【R】

























1.あります

「あの……病気とは関係ないのですが、先生はこのチモ見沢についてお詳しいですか?」
「何故そのようなことを聞く?」
 リズヴァーンの目が微かに反応した。射抜くような強い視線に敦盛は気圧されそうになったが、聞けるべき人がいるなら聞いておきたい。
「……最近、不思議な体験をするんです」
「お前はそれをこの地に伝わる崇りのせいだと思っているのか?」
 リズヴァーンはすばやくその言葉に反応して、敦盛に厳しい表情を見せる。
「いいえとは言いません……けど、もしもそうならそれはそれで色々と調べておくのも必要だと思っているので」
「なるほどな……確かに、無関係では無いかもしれない」
 リズヴァーンは一度そこで言葉を切ると、腕組みをしながら考える素振りを敦盛に見せる。
「リズ先生?」
「……昔この地には鬼子という忌まわしき存在とされていたものが居た。禁呪とされている力を私欲のために振るう……私はその末裔。この顔にある痣がその証拠だ」
 そういって自らの頬を撫でるリズヴァーン。敦盛は到底信じられないが、今更信じられないという話をこの先生がするはずも無い。結局はきっと、これも事実なのだろう。現に敦盛の平という名字は、平家筋の血が混じっているかららしい。リズヴァーンの先祖がなんであろうと、否定することは出来ない。
「そして、お前もだ敦盛……鬼子はいつも、莫大な力と引き換えに何かしらの欠陥を抱えている。今までも、感情が欠如した者や運に恵まれぬものなど様々あった。私はだいぶ血が薄まっている末裔のため、出来る力は些細なもので、証もこの痣程度だ。しかし、お前は直系の血を色濃く受け継いでいるせいで、生まれたときから心臓を患っていただろう」
 まさか、と敦盛は自分の胸を押さえる。自分の先祖は平家ではなかったのか。いや、平家だったとしても、他の血が混じっているかも知れないというのは、その歴史を自ら体験したわけではない敦盛には否定できない。
「それじゃあ、この病気とは血のせいだというのですか?」
 そんな……そんな話があるのだろうか。自分の病気は今まで自分が恵まれぬ身体ゆえにそうなのだと思っていた。だが、違ったのだろうか。
 敦盛が鬼子であるがゆえに、この身体なのだろうか。
 鬼子とは……その力とはなんであろう。
「では、私の力とはなんなのでしょう? 教えてくださいリズ先生」
「……私には解らぬ。だが、お前は大いなる力を秘めている。それは間違いない。私の力は同じモノを見分ける力だが、お前が持っているものは私にも計り知れないのだ」
 ゆるゆると首を振るリズヴァーンに軽く落ち込むが、自分という存在が解らなくなり、突然恐怖が生まれる。
「だが、力があるというのは必ずそれを発揮しなければならない時が来るということだ。いずれ、困難がお前を襲うかもしれない。だが、その時にお前が力を生かすも殺すも、お前次第であるというのを忘れるな」
「……はい、リズ先生」
「そろそろ帰りなさい。また聞きたいことがあれば話を聞こう。今はとにかく身体を休めることだけを考えなさい」
「……ありがとうございました」
 リズヴァーンに頭を下げてから、敦盛はぐるぐる巡る思考を抱えたまま診察室を後にした。


 キーワード【M】





























2.いいえ、特には

「そうか。ではお大事にな。ヒノエと弁慶にも私からよく言って聞かせよう。敦盛にあまり無理をさせるなと」
「リズ先生は、ヒノエと弁慶殿をご存知なのですか?」
 驚いて声を上げた敦盛にリズヴァーンは「無論」と答える。
「私は彼らの保護者的立場でもある。遠い親戚なのだ」
「そうなんですか……」
 意外な共通点に敦盛は嘆息してしまった。まさかこんな形で知り合いの繋がりがあるとは……しかも怪我も病気もしなさそうなヒノエだから尚更だ。
「それでは先生はヒノエと弁慶殿の事をよくご存知なんですね」
「それなりにな。彼らはいとこ同士で、藤原の本家を継いでいるのが弁慶だ。ヒノエは分家に当たる。ヒノエの父親が弁慶の父親に跡継ぎを譲ったために、そうなっているが……聞いてはいないか?」
「はい……ああ、だから祭りの時に弁慶殿が女装をして踊っていたのですか」
「そうだ」
 なるほど、そういう理由があったとは。
「一歩間違ったらヒノエが女装していたことになるんですね」
「そういうことになるな」
 ヒノエの事だとても嫌がりそうだ。
 弁慶だからこそあそこまで雅に出来るのかもしれないといったら、それはそれで怒りそうだが。
「ありがとうございました。失礼します」
「ああ、食事と睡眠を十分にとって休みなさい」
「はい」
 険しい相好を最後まで崩さずにいたリズヴァーンにお礼を述べて敦盛は診察室を出た。






























1.貴方は……?

「……直に全て終る。そうすれば、もう二度と苦しくなることもなかろう」
 男はそれに答えず、静かに空気に溶けていく。
「何を……」
「せいぜい生きるがいい……お前が犠牲になるか、アイツが犠牲となるか……おまえ自身の手で決めろ」
 その言葉を最後に、男は敦盛の視界から消えてしまった。





































2.何だか、知っている気がする。


 敦盛はどこかでこの笑顔を見たことがある気がする。初対面のはずなのに、その男はどこか懐かしかった。
 そう、この曼珠沙華という華が誰より似合う男。
 男の問いに敦盛は首を横に振る。
「今は苦しくない」
「……そうか。……アレがいるんだ…それもそうだろう」
 アレ? 誰を指しているのか解らず辺りをキョロキョロと見回したが、そこにはやはり敦盛と男しか居なかった。
「私は敦盛と言う。貴方は?」
「知盛……昔の名だがな」
「そうか、知盛殿か……なぜここに一人で立っている?」
「ふっ……アレの泣き声が聞こえてきたので……様子を見に来た」
 アレといわれてやはりもう一度周囲を探すが、何処にも何もない。ここには何もないが……。と視線にこめて知盛を見つめると、知盛が唇を持ち上げる。
「アレはここにはいない……今は暗い闇に囚われている。闇の底から…助けを求めている」
「???」
「いずれ、アレは闇に取り込まれるだろう。さすれば……二度と会えなくなる。それを止めたくば…力を使うことだな」
 そもそもアレというのは何を指すのか、力とは何か。敦盛には見当がつかない。
「力、とは?」
「お前ならば使えるだろう……アレを……望美を救ってやってくれ…」
 望美と聞いて敦盛はハッと顔を上げた。知盛の姿は月の光に吸い込まれるかのように消えかかっている。
「待ってくれ、一体どういうことなんだ! 神子殿に何か起きているのか? 教えてくれ知盛殿!」
 しかし、敦盛の叫び虚しく、知盛はそれに答えることもなくまるで最初からそこには何も無かったかのように消えていた。

 キーワード【M】