序章




 広い平原に何処までも続く曼珠沙華が風に吹かれて揺れていた。
 さわさわ……。
 紅は平野を覆いつくし、鮮烈な赤が視界を凌駕する。
 少女はそこで立っていた。
 求めるものが無いその場所で、少女は長い髪を揺らして曼珠沙華を見つめる。
 少女は声を漏らした。
 それは音となり、言葉となり、名前となる。
 けれどもそれに返事は無い。
 曼珠沙華が音を立てて揺れるだけ。
 少女は再び声を漏らした。
 今度は名前ではなかった。名前ではなく、呟かれた言葉は謝罪。
 少女の瞳から透明な雫が零れ落ちた。



 少女は泣いていた。
 自分が応える事が出来ない代わりに、曼珠沙華が揺れる。
 力は全て使い果たした。
 この身が待つのは、咎人として業火に焼かれるのみ。
 それでも良かった。
 ただ一つ心残りなのは少女の涙が拭えぬこと。
 これから先、決して相容れぬ者だとしても、彼女の涙は好きではなかった。
 好きだったのは、屈託なき彼女の笑顔。
 何にも代えられぬ、たった一つの救い。
 少女が曼珠沙華を手に、そっと唇を近づけた。
 最初で最後の愛しいという温かな口づけ。


 

 序章 了




    20060623  七夜月


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