ゆるして、わがまま



「一緒に旅行に行ってくれる? 二人きりで」
「は?」
 一体どういう意味でどういう神経してるのか。
 千尋の思考回路はよくわからない。

「こうして二人で過ごしてると旅を思い出すね」
 千尋はまるでピクニックに行くようにそうのほほんと呟いた。付き合わされている那岐としてはそんな心境にはまったくなれないのだが。那岐が来ないなら一人で行くと言い張ったのでついてきたものの、釈然としない。
 千尋には王族としてやらなければならないことがあるはずだ、それは那岐も知っている。千尋も今までは投げ出さずにきちんとこなしてきていた。
「千尋……おい、千尋」
 少ししたらスキップでも始めそうな千尋の浮かれた姿に、那岐は嫌な予感がして声をかける。鼻歌はもう歌い始めてるので、この浮かれようだとスキップしようとして失敗し自らの足に引っ掛けてこけるなんてベタなことをやりかねない。
「いい加減理由が知りたいんだけど」
「なにが?」
 立ち止まった千尋は振り返って首をかしげる。
「なんで急に旅行とか言い出したんだよ」
「気分転換したかったから」
 即答で返ってきた答えに嘘はない、千尋が嘘をつけば那岐にはわかる。それだけ一緒に暮らした年月は重ねている。確かに一緒に居た時間は風早ほどではないとはいえ、那岐も千尋の『家族』だった。
「……つまり、気が済めば帰るんだな?」
「うん、帰るよ。気分転換が済めば元々帰るつもりだったし」
 帰れるあてがあるのなら、那岐も付き合わないこともない。千尋の我侭は昔からのことだ。一度決めたら曲げない頑固なところもあるし、一人で無茶されるくらいなら傍で見ていたほうが幾分マシだ。
「わかったよ、少しなら付き合う」
 本当はすぐにも帰りたいと思う反面、帰ったら帰ったでまた激務に千尋を放り投げると思うと少し躊躇われた。なんにせよ、人間には休息というものが必要なのだ。
 それに、職務を放棄して王が居なくなったと知ったら、宮の中は大変な騒ぎになっているかもしれない。自分もそれに加担しているのだから、その騒ぎの火の粉を払うことは出来ないだろう。そういった厄介事は面倒くさいのが那岐にとって一番の理由である。
 
 そうして那岐と千尋は『旅行』を楽しんだ。宿泊するような大掛かりな旅行ではなく、いわゆる日帰り旅行というもので電車に乗れなければバスもないこの時代では徒歩で行ける距離に限られる。
「那岐! ほら、見て実がなってたよ、これ食べられるのかな?」
 しかもやることといえば旅とは名ばかりで散歩と変わらない。朝からずっと歩き続けて道端に咲いている花やら草に千尋の興味はすぐにも移り変わっていく。那岐は千尋の半歩後を歩いていたのだが、こんな天気のいい日に歩いているだけなんて疲れるだけじゃないかと内心では飽きていた。
「千尋、休憩なしにさっきからずっと歩いてるけど、疲れない?」
「うん、全然」
「……無駄に元気が有り余りすぎ。僕は疲れたんだけど」
 帰りも同じ距離を辿るかと思うと、あまり遠くに行くのは得策じゃないような気がする。どうせピクニック気分ならそろそろ止まってもいい頃じゃないか。そう思って声をかけると、千尋が那岐の手をとった。子供の頃と同じように手を繋ぐ。
「なんだよ」
「疲れたなら私が引っ張ってあげるよ。だからもう少し頑張って」
 その言葉に那岐は眉を顰めた。なんの目的地もないと思っていたのだが、千尋には思うところがあるらしい。だったら最初からそれを言えばいいものを。
「あとどのくらいで着くわけ?」
「半日くらいかな」
「……冗談だろ?」
「あ、急いで半日ね」
「帰る」
「だ、ダメ! お願い一緒に来て! 那岐が一緒じゃなきゃダメなんだってば!」
 方向転換をした那岐を必死に食い止める千尋、そのあまりに必死な様子に那岐は己の体重を腕にかけてくる千尋を振り払った。
「わかったから、離してくれ。重い」
 『重い』は現代に居た頃からの禁句だ、千尋はすぐに頬を膨らませた。
 そんな千尋を無視して、那岐は歩き出した。さっさとその用件とやらを片付けたい。どうでもいいし疲れた。
 千尋は珍しいことに文句を言わずについてきた。

「千尋の目的地ってここ?」
 歩かせられてさぞや素晴らしいところにつれてってくれるかと思えば、なんてことはない。ただの見晴らしの良い小高い丘だった。こんなところにきて何をするつもりなのかと思っていたら、千尋は丘の上に一本だけ植えられた長寿の木の元へ走り寄った、そして那岐に向って手を招く。
 那岐は逆らわずに近づくと、千尋は隣に立った那岐を見上げて「ありがとう」と言った。
「なにが?」
「一緒に来てくれて、ありがとう。ここのことを聞いたときにね、那岐にも教えてあげたいと思ったの。那岐と一緒に見に来ようって思ったんだ。ほら、橿原宮はずっとずっと向こう側にあるんだよ」
 指で示されてもその姿は見えない。長時間歩かされた道のりは伊達じゃなく、山一つ分向こう側に橿原宮は存在するようだった。木の幹を背もたれにして腰掛けた那岐は「別に」とそっけない答えを返す。今はとにかく歩き疲れて眠かった。
「ね、那岐。私、結婚するんだって」
 那岐の視線が千尋の視線と絡み合う。
 しゃがみこんで隣に座った千尋からの突然の申し出に驚かなかったといえば、嘘になる。だが、それでもすんなりと那岐の中に受け入れられたのはきっと千尋が王だからだろう。王という身分を千尋が戴き続ける限り、政治的な意味合いを持つ千尋の自由は束縛される。結婚も恋愛もすべて政治が絡んでいくのだ。それを我が身で体感している自分は、きっと千尋の結婚のことも予感していたのかもしれない。
「まったく知らない人なんだけどね、豊葦原の豪族の人で、忍人さんとか道臣さんと並ぶ家柄の人だって狭井君が言ってたんだ」
 だけど、受け入れることと納得することは別だ。淡々と他人事のように話す千尋に、那岐は内心ではイラついた。
「風早は会ったことないみたいだけど、忍人さんとか…岩長姫は会ったことあるって。いい人だって言ってたよ。きっと私を幸せにしてくれるって」
「じゃ、結婚すれば?」
 那岐がそういうと、千尋は笑って「うん」と頷いた。本当にイライラする、バカだな、千尋はいつもそうだ。嫌なことは嫌だといわずに笑顔で無理を通そうとする。普段は嘘をつくと人に文句を言うくせに、肝心なときは自分に嘘をつく。
「するよ、結婚。だって、それが豊葦原の人たちにとっていいことだって、思うから」
 千尋の結婚が民にどう影響するのか僕は知らない。というか、そんなのどうでもいい。千尋の意思を無視して行われる結婚に、千尋の幸せを無視して成り立つ民の幸せなんかに、興味の欠片もない。そんなことで築いた幸せの上に、何があるというのだろう。僕にはいつも自分をないがしろにするなと怒るくせに、千尋の方がよっぽどだ。那岐は巡る感情を表に出さないよう、静かに前髪をかき上げた。
「そう思うのに」
 千尋の声が震えた。
「なんでかな」
 那岐は腕を伸ばして千尋の頭を捕らえた。千尋の顔を自分の肩に押し付けて、それから抱きついてきた彼女を受け止めた。
「イヤだよ、那岐。私は結婚したくない。那岐ともっと一緒に居たいよ」
 千尋の瞳から透明な雫が零れる。自分の肩で泣いている少女は少女のままだ。自分の幸せを求めている、普通の少女となんら変わりない。
 ああ、と那岐は溜息をつきたくなった。自分と一緒にいたいと言った少女がたまらなく愛おしく感じる。
「泣くほどイヤなら断ればいいんだよ、バカだな」
「…………だって」
 千尋が他人を盾に取られたら反論できないのを承知で那岐は言う。この場合は、民の幸せとかなんとか、狭井君に言われたのだろう。千尋が他人のことを考えて動けなくなるのはいつものことだ、そしてそれを使うのは卑怯なことでもある。那岐としては非常に腹立たしい事態に違いない。
「ま、いいけど。それで、千尋は僕にどうして欲しい?」
 問いかけると、千尋は涙を流したまま唇を震わせた。
「言っても、いいの? 私のわがままなのに」
「……そのために僕をこんなとこまで連れてきたんじゃないの?」
 橿原宮の中はもちろんのこと、村の周囲にも耳はある。それを警戒して千尋がわざわざこんなところまで連れてきたのではないかとようやく納得いったのだが、千尋は再び那岐に抱きついた。少し前まで、喧嘩して泣かせるのが那岐で泣いている千尋を慰めるのは風早の仕事だったので、那岐はこういう千尋の本当のあやし方も知らない。見よう見真似で背中を叩いてやると、ようやく決心したのか小さな声で千尋は呟いた。
「那岐に助けて欲しい」
 その言葉に那岐は満足した。他の誰でもない自分をまず頼ったこと、そして自分と離れがたいと思っていること、それさえあれば那岐が動くには十分な材料だ。
「知ってる、千尋。それはわがままとは言わないんだよ」
 千尋が困っていたら、面倒でも助ける。それはもう自分の生活の一部となっている。特に助けを求められたときは、手を貸す。それは千尋が那岐にしてきたこととまったく同じこと。わがままとはいえないくらい、当たり前になってしまったこと。
 それに僕を怒らせたんだから、それ相応の仕返しはさせてもらう。千尋をこんな風に泣かせていいのは僕だけだ。
 那岐の言葉に千尋はようやく笑顔を見せた。




 本家様にてUPがされましたので、当サイトでもUPします

 お題がなかなか消化できなくてですね!難しかったんですよ!今回は特にどういう方向性にもってこうかとか色々と悩んでいたので!実は一度考えたネタは没になってしまったので(他の人と被ったため)急遽別のネタを考えたんですが、これも被ってたらわたしもう救いようがないっていうねw
 ちなみにこのあと那岐は全力でこの結婚を邪魔しますから。風早も千尋の幸せが最優先なので協力しますww

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   20080912  七夜月

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