修学旅行



 風早はこれから出かける千尋の両肩に手を置いて、そのあとにいとおしげに頭を撫でた。小学校の校庭には早朝まだ6時前だというのにだいぶ人だかりが出来ていて、和気藹々といった雰囲気が流れていた。
「忘れ物はないですね?」
「うん!」
 風早の言葉に元気よく返事をしたのは千尋。隣に立っている那岐は心底眠そうにあくびを繰り返している。うつらうつらと頭をこぎ始めるのももうすぐかもしれない。朝から叩き起こされて弁当を持たされ、ここまでつれてこられたのだから仕方ないといえば仕方ない。
「知らない場所は危ないですから、気をつけてください」
「だいじょうぶ、那岐もいっしょだもの」
 案の定、那岐は千尋の話を聞いておらず、ボーっと暗闇から夜明けがくるのを見ていた。風早は苦笑しながら、続いて那岐の肩に両手を置く。
「那岐、千尋を頼みましたよ。……聞いてるかな?」
「聞いてるよ……眠い」
 那岐はあくびをかみ殺して、目を瞑り生理的に出た涙を拭った。風早は眠そうな那岐の頭をやはり千尋と同じように撫でてから、「那岐も十分気をつけてくださいね」と優しい声音で告げた。
「千尋、那岐のことお願いしますよ」
「うん! ほら、那岐行こう?」
「押すなよ、ちゃんと行くってば」
 既に現地に送られている旅行鞄の中には二泊三日分の荷物が詰め込まれている。千尋と那岐が背負っているリュックには身の回りのものと消耗品が入れられていた。
 これから那岐と千尋は風早に見送られて、修学旅行に行くのだ。
「風早、ちゃんとお土産買って来るね!」
「ええ、楽しみにしています。でも一番のお土産は、千尋と那岐の二人が笑顔で帰ってきてくれることですからね」
 手を振りながら見送る風早に、ほんの少しだけ風早と離れる寂しさを千尋は表情に浮かべるが、すぐに笑顔を取り戻す。那岐もいるから平気だと、自分の言葉を思い出して大きく手を振った。
「いってきます!ほら、那岐も!」
「……いってきます」
「ああ、いってらっしゃい。楽しんでおいで」
 バスが出るまで手を振ってくれた風早に見送られて、千尋と那岐は今回の旅行先である鎌倉へと出発した。
 バスに入ってすぐに眠ってしまった那岐。通路側ではなく窓側を陣取った千尋は隣で那岐が眠っているのを恨めしげに見ながらも、それでも旅行ということにワクワクした。風早とこんなにも離れるのは初めてで不安がまったくないわけじゃないけれど、知らない土地に出かけるのはまるで冒険しているみたいで楽しそうだ。
「今度は風早もいっしょに、三人で来れたらいいな」
 自分の知っている街から知らない景色へと変わるにつれて、千尋は未知の世界への旅立ちにドキドキした。

 二泊三日の修学旅行の行程は、一日目と三日目が団体行動で占められている。二日目に自由時間が設けられて、自分たちで事前に立ててある予定の場所に行けるようになっているのだ。だからそれまでは団体行動だ。当然、那岐と千尋は同じ班である。旅行とは不思議なもので、クラスに馴染めず少し浮いていた千尋も徐々に他のクラスメイトの子たちと笑いあうことが多くなり、そんな千尋を那岐は見ていた。
「おーい、那岐!お前もこっちこいよ!」
「めんどくさい」
「お前またそれかよ!」
 夕食時、ホテルの大広間で班の女子たちと食事を取っていた千尋を遠目で見ていた那岐は班の男子に誘われたものの、即座に拒否を切り返した。だが、男子たちは那岐がこないとわかると、それぞれが自分のお盆を持って那岐に近づいてくる。
「自分の場所から離れていいわけ?」
「かたいこと言うなよ、別にいいじゃんこれくらいさあ」
 っていうか、お前きのこいらないならちょうだいっと横から出てきた箸を叩き落として、那岐はきのこを口に入れた。
「なんだよ、お前きのこ好きなのか?」
「そう、だから取ったら怒るよ」
「え、お前が? 怒るの? 本気で?」
「……なに、怒られたいの?」
 冷めた目でそう尋ねてきた男子を見ると、滅相もないといわんばかりに、いやいやいやいや、と男子は首を振った。
「だってお前怒らせたらなんかこわそうだし」
 だったら言うなよ、心で毒づいて那岐は食事を続けた。千尋を盗み見ると、四苦八苦しながら食事をしている。こんな大人数で話しながら食事をすることに慣れていないのだ。だから、ながら作業が上手く行っておらず、どこか手つきが怪しい。
 あ、こぼした。
 サトイモの煮つけが、ころっと千尋の膝の上に落ちる。途端に千尋は情けない顔をする。
 やれやれ、と那岐は溜息をついた。
「お前さ、葦原千尋と従姉妹なんだよな?」
「……そうだよ」
 不本意ながらね、それもまた心で付け加えて那岐は肯定した。風早に言われて那岐が演じている千尋の従兄弟。それが今の那岐の小学生以外に持つ肩書きの一つ。見知らぬ他人が一緒に暮らすには理由が必要となる。幸か不幸か、千尋は過去の記憶を失っているから、それをあっさりと受け入れて疑問を持つことはない。
「だったらさ、あとでお前も一緒に来いよ!女子部屋でトランプしようぜ!」
「は? やだよ、大体風呂の時間があるだろ」
「だから、そのあとだよ、そのあと。せっかくなんだしさあ」
 何がせっかくなのか、今すぐにここで理由を述べてみろと那岐は言いたくなった。この男子がちらちら見ているのは千尋がいるグループ。大方、本命の子でもいるのだろう。
 マセガキだな。と自分を棚に上げた冷めた感想を那岐は抱いた。
「悪いけどパス。僕は風呂に入ると眠くなるんだ」
 つれない那岐の態度に不満そうだったが、男子はその場で引き下がった。そして那岐にとってはやかましい食事を終えて部屋に戻ると、風呂の順番がやってくる。相変わらず小学生という子供たちの考え方は那岐から言わせて貰うと非常に子供っぽくて(子供だから当然なのだが)、風呂に入ってる最中もバカ騒ぎは収まらなかったが就寝時間までの自由時間は適当に話をあわせて過ごした。
 先生の就寝の点呼が済むと、急激に周囲の男子が色めき立つ。
「おし、それじゃあ作戦決行だ」
 布団に入って目を瞑っている那岐は他人事ながらに健闘を祈る。というのも、もしもこの部屋に残るのが自分だけであるのならば、それはそれで快適な眠りが約束されるからだ。
 そして、ふと気づく。そうか、その手があったか。
「僕は行かないけど、無事にいけるように祈っててやるよ」
 そして那岐はこっそりと口元で呪文を唱えて、鬼道を使った。本来はこんな使い方はするものではないが、この程度の力は使ったうちに入らない。彼らを少しだけ先生たちから見難くしただけだ。
「おおっ、サンキューな。そいじゃいってくる」
「いってらっしゃい」
 背中を向けたままやる気なく手を振って見送ってると、出て行く男子の中の一人が楽しげに呟いた。
「これで葦原さんと話せるな」
 那岐は思わず閉じていた目を開けた。
 だが、閉じられたドアの向こうで足音を消した男子たちはもうとっくに行ってしまっている。
「まさか…千尋狙いとはね」
 那岐は飛んだ眠気を再び戻そうと布団を頭まで被る。別に旅行で羽目を外すのは悪いことじゃないだろう。こういった夜の遊びも自分が御免なだけであって他人にやめろと強要するつもりはない。
 だが、千尋に関してだとどうしても胸がざわざわする。風早に頼まれているからだ、『千尋を頼みましたよ』という彼の言葉がリフレインされて、那岐は顔半分だけ布団から出した。
 だからって那岐が他の男子を止めるための理由にはならない。彼らは彼らでこの旅行と楽しみにしていたのだ。千尋だって友達が出来るから嬉しいかもしれないし、そうしたら那岐が口を出すようなことではない…と思う。
 考えれば考えるほどよくわからなくなってきた。那岐は寝返りを打って窓を通して月を見上げた。半月は少しだけ雲がかっており、その姿を現してはいなかった。
 それから悶々と考え続けて、広い一人部屋でこんなに静かなのになんで僕は眠れないんだ。とだんだん考えるのが面倒くさくなってきた頃、コンコンと部屋のドアをノックする音が聞えた。
 男子どもが先生にでも見つかって帰ってきたのか、と無視していたが。再びノックの音が聞えてきた。
「……那岐、いる?」
「千尋?」
 その声は紛れもない千尋の声。那岐は布団から起き上がると、ドアを開けてやった。するとやはり立っていたのはパジャマ姿の千尋で、その目は少し不安げに揺れている。
「ごめんね、眠っていたよね」
「そう思ってたのなら来るなよ」
「ほんとうにごめんなさい」
 しゅんと千尋はうなだれる。だが、帰る素振りは見せない。那岐は溜息をついて千尋に来訪の理由を尋ねる。
「で、眠れないとか?」
「…………」
 無言は図星。雰囲気と目がすべてを語っていた。
「……入る?」
 珍しく譲歩してやれば、千尋はこっくりと頷く。仕方なしに那岐は千尋を部屋に入れると、どこか適当に座らせようかとも思ったが、テーブルは布団を敷く都合上片付けてしまったし、何よりもてなすものがない。
 当然ながらあとは眠るだけなのだから、千尋の来訪だって予期していたわけじゃない。那岐は布団に入ると、スリッパのままただ突っ立っている千尋を見て逡巡した後に溜息をついた。
「来いよ、そんなとこにいてもしょうがないだろ」
 そして自分の布団を半分だけ開いて、ポンポンと叩いた。
「半分だけならいれてやるからさ」
 那岐の言葉に千尋は迷わなかった。すぐにもスリッパを脱ぎ捨てて、那岐の元へとやってくる。そしてその身を言われたとおり布団半分に隠した。
 そのときに触れた千尋の身体が少し冷たくなっていて、那岐は眉を顰める。おそらく、眠れないから那岐に会いに来たのはいいものの、随分長い間声をかけるべきか否かを外で迷っていたのだろう。だが、旅行中に風邪を引いたら意味がない。
 変なところで遠慮するんだったら最初から素直にくればいいものを。
 同じく布団に入って千尋が居る方とは反対側を向き、那岐は聞いた。
「男子たちがいっただろ?」
「うん、きたよ。みんなでトランプしてるんじゃないかな」
「かなって…千尋はしないわけ?」
「うん……那岐、一人だし」
「なにそれ、別に僕は千尋に心配される言われはないよ。一人で眠れて快適だったし」
「うん、だからごめんね。よく知ってる人がいないってやっぱりどうしても不安で。どうしても安心したくて……那岐には迷惑だってわかってるのに」
 わかってるんだったら最初から来るなよ、とは那岐は言わなかった。代わりに出てきたのは、自分でも驚くほど千尋をいたわる声。
「安心できた?」
「うん……那岐、ありがとう」
 冷たかった千尋の身体は、布団の中で少しずつ温まってくる。次第に那岐の耳に聞えてきた寝息は千尋が安堵した証拠、身体を反転させた那岐は安心しきった顔で眠っている千尋を見て、息を吐いた。
 寒いのか身体を摺り寄せてくる千尋を一度は引き剥がそうかとも思ったが、結局そのままにして自分も眠ろうと目を瞑る。千尋の体温は温かい、胸の前で手を握っている千尋の上から布団を押さえるように片腕だけ出した那岐は朝までそのまま眠りについた。
 こちらに来てから初めての旅行で、初めての夜。自分でも驚くほどその日の夢見がよくて、翌日起きたとき那岐はほんの少しだけ機嫌が良かった。





 このくらいだったらまだいいんじゃないかな!?(何が)とか適当に思って書いてみますた。
 うーんと、こんな感じで修学旅行編を(勝手に)書いていこうと思っているんですがどうでしょうか?笑
 現時点ではまだコレしか書けてないですけどね;
 っていうか、わたし風早をこういう形で書くのはものすごく好きです(笑)さすが助演男優賞だな!!(あだ名=決して本命にならないのに何故か登場させたくなるキャラ←)まあ、葦原一家に風早は必要不可欠ですけどね★


   20080919  七夜月

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