抜け駆け合戦



 寒い、千尋がそういった。だから那岐は帰ろう、そう告げた。
 二人で手をつなぎ、那岐が見つけた大切なものを連れてもう一度みんなのもとへ。
「帰ろう、千尋。風早も待ってる」
「うん、帰るよ。那岐と一緒に」
 千尋は先を行く那岐の手に自分の手を滑り込ませた。那岐は振り返って、「まるで子供の頃みたいだな」と言いながらも、結局ほんの少しだけ笑って繋ぎ返した。

「いや、ホント姫さんが無事でよかったぜ!」
「姫……この布都彦、今再び姫のお姿を拝見することが出来て、代え難い幸福を感じております」
 那岐の肩を遠慮ナシにバシバシ叩くサザキと千尋を見て言葉もないと言いたげな布都彦は目にうっすらと涙まで浮かべている。
 那岐だけでなくほかの人たちにも心配をかけてしまい、こうして無事に生還したことを喜んでくれる仲間のもとに戻ってこられて良かったと千尋は思う。
「心配かけてごめんなさい、でもこんな無茶はもうしないから」
 千尋が真摯にそういえば、忍人が真顔で頷く。
「まったくだ、二度とこんな危険な真似をしないでくれ」
「まあ、良いではないですか忍人。我が君もこうして無事に戻ってこられたのですから」
 風早にいたっては戻ってきた瞬間に感極まって千尋と、そして那岐を抱きしめた。那岐は顔をしかめたが、珍しく風早が涙ぐんで二人を出迎えているように見えたので、結局無理やり引き剥がすことも出来ずに、千尋と困ったように顔を見合わせた。
「良かった……君たちが無事で本当に……良かった」
 千尋は涙こそ流さなかったが、こうして心配してくれる風早の存在に、胸が苦しくなって声を振り絞った。
「ごめんね、風早ごめんね」
 那岐だけでなく、自分をこうして導いてくれたこの人にもこんな思いを抱かせてしまったのだと、改めて千尋はもう心配をかけないようにしようと心に決めることくらいしか、今は償えない。
「いいんですよ、貴方が那岐と無事に帰ってきてくれたこと、それだけで十分なんです」
 風早の気持ちがとても嬉しい、千尋は自分を抱きしめる風早の背中に手を回して何度も頷いた。こうして三人になるとようやく家に帰ってきたと思える。ありがとう風早。心から呟いて、千尋は涙を浮かべた。
「で、だ。俺としてはせっかく姫さんが帰ってきたんだ。ここは宴でも開いて祝いの席を設けようと思うんだが」
 サザキの一声に、皆の視線が注目を集める。
「だが、ただ宴を開くだけじゃつまんねえだろ? 以前に誰が一番のお宝を持ってるか決めたアレをちょいと趣向を変えてやってみないか?」
「具体的にどうするつもりだ」
 訝しむ忍人の問いかけにサザキは自慢の羽を少しばかり羽ばたかせて、胸を張った。
「なあに、簡単だよ。誰が一番姫さんを喜ばせられるか、皆で競うんだ」
「ば……」
「馬鹿馬鹿しい」
 忍人の口が開き終える前に、那岐が口を挟んだ。「バカバカしい」よりによって今その言葉を言うのかと、サザキの眉が上がる。
「おいおい、バカバカしいはねえだろ。せっかく姫さんが帰ってきたんだ」
「だから、バカバカしいって言ったんだ。そんなことよりもやるべきことがあるはずだろ。第一、帰ってきたばかりの千尋を休ませもせずに宴を開く気?」
 ある意味では真っ当な那岐の意見に、サザキはうっと言葉を詰まらせる。一方で、黙っていられないのは千尋のほうだった。
「那岐、そんな言い方しないで、サザキは私のために言ってくれているのよ」
 千尋のその言葉で何か勘に触ったのか、那岐は千尋から視線を逸らしてしまう。
「なら勝手にすれば?」
 そしてすたすたとどこかへ行ってしまう。残された面々は唖然とするだけだ。だが、その中で風早だけは笑顔を崩さないで居る。
「那岐のことは放っておいて大丈夫ですよ」
 風早に言われて、千尋も同意見なのでとりあえずは頷いた。今あんなにも頑なな態度を取っているときは那岐はきっとこちらが何を尋ねても答えてはくれないだろう。
「あの、サザキ。さっきの提案嬉しかった。今すぐってわけじゃなくて、今夜でいいかしら?」
 とりあえず硬直している一人のサザキに声をかけて、千尋は微笑む。みんなの気持ちを無碍にはしたくない。
「もちろん、私を喜ばせるなんてことは別に気にしなくていいから。ただ、皆が元気な様子を私も知りたいし……」
「おう、いいぜ。じゃあ姫さんはもう少し部屋でゆっくりしてろよ。準備は俺らでやっておく」
 サザキの言葉をありがたく受け取り、千尋は部屋へと向った。潮風で冷えた身体を湯で温めてから、こうやって部屋の中でゆっくり休むというのも、久々なような少しだけ不思議な心持がした。
 眠っていた感覚に近いものがあったというのに、身体は睡眠を欲して、部屋に入ったとたんに安堵が千尋を寝床へと向わせた。そしてうつぶせのまま倒れて、そのまま意識を深くへ沈めていく。
 眠る間際に思い出したのは、那岐のそっけなくなった態度だった。那岐も那岐で、自分のためを思って言ってくれたことだったのに、千尋は那岐を非難した。少しだけ悪いことをしてしまったかな、そう考えて起きたら謝ろうと決めた。


 呼ばれて目を覚ました千尋が、回廊の奥の部屋に向かうと、そこには本当にたくさんの料理が置いてあり、忙しなくバタバタ動いている日向の一族はもちろん、千尋の配下に残った人も働いている。この小部屋によくもこんな人がと思わないでもない人数が所狭しと集まっており、座るスペースを確保するのも一苦労のように見えた。
「おう、来たな姫さん!こっちだこっち」
 サザキは既に座って待機しており、手を振る彼のもとへゆくと千尋用なのか一席だけ開いていた。上座だ。
「姫さんはそこだ」
 自分がこの席に座ることに対して千尋は少し迷いはしたが、せっかく勧められているのだからとサザキの言うとおりに上座へと座る。
 すると料理が運ばれてきて、否応なしに宴が始まった。どんちゃん騒ぎとは言ったもので、他の仲間も強制的に連行されてきたのか、渋い顔をした忍人が部屋の隅で飲み物を口にしていた。千尋の隣にはサザキが座り、そして反対側には風早がいる。宴半ばに差し掛かれば、もはや席などあってないようなものだった。
「あの、那岐は?」
 那岐の姿が一向に見えない。こういうのは嫌いなのは知っているが、絶対に誰かに連れられてくると思っていたのだ。
「それがさ、見当たらないんだよ那岐の奴。絶対無理にでも連れてこようと思ったのによ」
 ということは、誰かに見つかる前に自分から姿を隠したんだ。要するにこの場には意地でもこないつもりなのだろう。どうしてだろう。那岐、きっと私のことだけでなく、皆は那岐のことも心配していたのに。
「姫さん、そろそろ始めてもいいか?」
「え? ええ、でもなにを?」
「言ったろ? 誰が姫さんを一番喜ばせられるかって奴だよ」
 そういえば言われた。でもそんなこと気にしなくてもいいといったはずなのに。
「じゃあはじめるからなーまずは誰から行くんだ?」
 千尋が止める間もなく、始まってしまう。そしてそれはすぐにも伝染していき、サザキの言葉を受けて次から次へと己が手を挙げるものが続出する。千尋は困った。喜ばせてくれようとするのは嬉しいけど、一番なんて決められない。だって嬉しいものは嬉しいのだから。
 どうしよう、と内心でおろおろしていると、
「だったら僕が一番初めだ」
 千尋の頭上で声が聞えた。
「那岐?」
 来るのをとても嫌がっていたのではなかったか。千尋の問いかけに答えるわけでもなく、千尋を一瞥した那岐は後ろからその身体をひょいと抱き上げた。
「へっ?」
 俗に言うお姫様抱っこならまだしも、那岐は千尋を文字通り担いだ。俵抱きと呼ばれる、肩で抱えられるものなので、抱き上げるという表現からはだいぶ離れている。
「それじゃ、僕は千尋を喜ばせるために連れて行くから。あとは適当にやってよ」
「えっ、ちょっ、那岐!?」
 そしてまたも呆然となっているその場を残して那岐はそれだけ言うと、担いだまま千尋を部屋の外へと連れ出した。
「那岐…!ねえ、ちょっと、下ろしてよ!」
 千尋からは那岐の背中か後ろしか見ることが出来ない。下手に暴れれば振り落とされそうだし、千尋は口で抗議するしか今は思いつかない。
「どこに行くつもりなの? それくらい教えてくれたっていいでしょう」
「……もう着いたよ」
 そして那岐が飛んだ。ジャンプしたのだと思ったら一瞬の浮遊感のあとに落下するあの感覚が千尋を取り巻く。だが、その感覚もすぐに終わり、肩から下ろされた千尋は外に見えるのが暗い森であることを認識する。
 那岐が千尋を連れてきたのは、昼寝同好会の部室でもある二人だけの秘密の場所。
 なんでここに?と目で訴えかける千尋に那岐はぶっきらぼうに告げた。
「困ってたんだろ、だから助けてあげたんだ。感謝してほしいくらいだね」
 確かに困ってはいたけれど、那岐が出てくるとは意外で千尋は思わず首を傾げてしまう。
「わたしが困っていたから助けてくれたの?」
「……さっきからそういってる」
「ええっと、とりあえずありがとう」
 意外すぎてなんだかあまりにピンとこないけれど、那岐が決まり悪そうにしているからには嘘はついていないんだろう。
 そして那岐がその場に座り込んだので、千尋も隣に座る。
「那岐、ここに何かあるの?」
「は? 何もないよ。あるわけないだろ、ただの夜の森だ」
「そうなんだ。喜ばせてくれるっていうから何かあるのかと思っただけ」
 夜風はやはり少し寒い、那岐にほんの少し近づく千尋。那岐は何も言わなかった。
「……嫌なんだよ」
 しばらく経ってから、那岐は独り言を呟いた。だけど、それは千尋にも届く距離の言葉で、見つめていた暗い森から顔を上げて那岐の言葉に耳を傾けた。
「誰かが千尋を一番喜ばせるのは」
 那岐の口からまさか出るとは思わないその言葉に、千尋はビックリしてしまう。ちょっと不満げに那岐が「なんだよ」と睨みつける。
「僕だけでいい、千尋を喜ばせるのは」
「那岐、私のことを喜ばせるためにここに連れて来たわけじゃないんでしょう?」
「…………だから、これから考えるんだよ」
 頭をぐしゃぐしゃにして、那岐は呻いている。こんな那岐を見るのはもしかしたら初めてかもしれない。いつもなら無鉄砲だ何だと千尋のことを言うけれど、那岐は感情のままに動いて結果今自分が困った状況になってしまってるんだろう。
 それが千尋は面白いと同時に、胸の中にある一つの感情が芽生える。それは嬉しいという気持ち。
「那岐、私ちゃんと嬉しいよ。那岐が嫉妬してくれてるから。たぶん、一番嬉しい」
「……たぶんじゃダメだろ」
 けれども千尋の言葉は満更でもないのか、悪い気はしてないようだ。ならばもう拒否されないはずだ。那岐の隣で肩に自分の頭を乗せる。
「じゃあ、私のこと、もっといっぱい好きになって。私だけをずっと好きでいて、私は那岐がそう想ってくれるのが一番嬉しいよ」
 那岐は深く溜息をついた。
 千尋からは那岐の表情は見えないが、溜息のわりには呆れているようではないのは雰囲気でわかる。
「そんなの今更だ。言ったろ、もう離さないって」
 千尋の手を取って、絡ませあう那岐。かすかに身じろぎしたので、千尋が那岐の肩から頭を浮かすと、手を握る力が強くなった。暗い森の向こう側に、ぼんやりとした灯りが見える。空に浮かぶ柔らかな光、アレはきっと月なのだろう。千尋はそれを確認する前に、目を閉じた。
 那岐の手を千尋も強く握り返して、彼から与えられた好意という名の確かな形を、千尋だけに捧げられる彼の想いを唇から受け入れた。





 本家様にてUPがされましたので、当サイトでもUPします

 ははは、アシュ千が甘いものばっかり書いてて那千でないのは不公平だろうと想って、
 ものすごく頑張ってみたよ(真顔)
 でも甘いって難しいですね!お姫様抱っこってしないだろうなあとかなんかもう消去法でいったから不思議な話になってしまいました。
 しかもこれ抜け駆けなんだろうか。いや、私の中ではみんなの千尋ちゃんを掻っ攫う=抜け駆けな図式なんでなってるんですが、一般的な抜け駆けに当てはまるのかと聞かれれば自信が微塵もないです(ェ)
 冒頭は一応那岐ED後すぐから始まってます。

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   20081009  七夜月

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