スーツ



 ある日の弁慶の家でのことだった。
「うーん、やっぱこっちかな? どっちの柄にしよう。弁慶さん、どっちがいいですか?」
「どちらでもいいですよ」
 望美は両手に持っていたネクタイの柄に頭を悩ませながら振り返った。だが、弁慶はこっちを一切見ておらず、ソファに仰向けに寝転がり、クッションを枕代わりにして読書をしていた。その目は本に釘付けとなっている。さっきのも生返事なのだろう。
 ムッとして望美はもう一度弁慶を呼んだ。
「弁慶さん、ストライプと水玉、どっちにします?」
「君の好きなほうで」
 やはり望美の方へは振り返らずに、声だけで返す弁慶。呼んでも返事をしなかった昔よりも幾分マシだと思っているが、やはりどっちがいい?と訊いたらせめて柄に視線を向けるくらいはしてほしい。
 望美は弁慶に近付いて、それでも顔を上げないのを確認すると、本を取り上げてネクタイを代わりに差し出した。
「弁慶さん、出かけるのは弁慶さんなんですからね? しかも弁慶さんの同僚の結婚式に呼ばれたんですよ。自分が着ていくものにくらい、少しは関心を持ってください」
「君のセンスを信じてるんです」
 本を取り上げられてもさして不機嫌になることもない。むしろ弁慶が上機嫌で切り返せば望美の眉がひそめられる。
「またそうやって誤魔化す。そういう単語ばっかり覚えるなら、まずはわたしとコミュニケーション取る方法を学んでください」
 センスもコミュニケーションの意味もちゃんと把握している弁慶は、静かに起き上がって紺地に水玉のネクタイを選んで望美に示す。
「手厳しいですね」
「だって弁慶さんは甘やかすと、すぐにまた本ばっかり読んでるから」
「わかりました、ではこれまで以上に君とのスキンシップを図りましょう」
「だからそういうことじゃなくて……もう、いいです」
 家を出る時刻までもうすぐとなる。それを確認しつつ望美はまだぶつぶつと文句を言っていたが、その手はしっかりと弁慶のネクタイを結んでいる。傍目から見たらその所業は夫婦そのものであるが、二人はその関係ではない。望美もここに住んでるわけではないし、たまたま弁慶から冠婚葬祭があるからしきたりを教えてほしいと言われて来ただけなのだ。
「はい、出来ましたよ」
 苦しくないようにキュッと首元を絞めて、ようやく望美に笑顔が浮かんだ。
「ありがとうございます」
 そして望美は弁慶の寝室へ戻ると、クローゼットを開いてジャケットを探す。
「でも、冠婚葬祭のときって少し衣装選びに困りますね。男の人はそういうのに無頓着みたいだからいいけど、女性だったらそうはいきませんから大変です。学生なら制服で済んじゃうけど」
「そういうものですか?」
 就職祝いにと以前望美から貰った腕時計のベルトを止めながら弁慶は聞き返す。シンプルなそれはデジタル時計ではなく、ギリシャ数字の文字盤に針が動いているタイプだ。
 望美はジャケットを見つけて、丁寧にジャケットをブラッシングする。
「そういうものですよ、特に結婚式なんかは衣装に合わせたバックや靴は勿論、ネイルなんかの指先一つにも神経を注ぎますからね。嘘だと思うなら、今日行ったら女性のコーディネートを見てくるといいですよ」
 楽しげにそういう望美を見ていたら弁慶にも大変だといいつつも、それを楽しんでいることがよくわかる。
「なるほど、女性が美しくなるために努力するのはどの世界でも一緒ですね」
 ブラッシングを終えた望美からジャケットを受け取り、弁慶は鞄を手にして玄関へ向かった。その顔に笑みは消えない。望美もブラシを急いでしまうと、見送るべく玄関へと足早に向かう。
「でもね、望美さん」
 靴を履く前にジャケットを羽織った弁慶は襟を直しながら追いついた望美に微笑ではない笑顔を向ける。

「いつか君も、他の女性にその大変な思いをさせることを忘れないでくださいね」

「え?」
「帰りは夜になりそうなので留守はお願いします。色々とありがとう、助かりました。では、いってきます」
 その笑顔と言葉の意味を理解するのに数秒。
「……………へっ!? 待って、弁慶さ……!!」
 望美が意味を尋ねるより早く、弁慶は腕時計の時間を確認して出て行ったため、二の句を告げる前にドアが閉められた。
 ゆえにもちろん、そこに残されたのはりんごのように顔を染めた望美の姿だけであった。





 あまりにも素敵な絵を頂いてしまったので、妄想せずにはいられずに思わずお礼としてご本人様に返信させていただいたブツです。
 わたしの創作ではこの絵の素晴らしさを微塵も理解していただけないかもですが、こんな会話をしてたらそれはそれで萌えるな、と(ェ)
 あ、絵のイメージのところはお嫁さんになろうぜ宣言をしているところですよー全然伝わってないかもですけどw
 ご本人さまはもちろんのこと、わたしの妄想にまでお付き合いくださった方への愛と感謝に変えて、心の底からのお礼を!ありがとうございました!
   200707某日  七夜月