You are so beautiful to me. 校門に入る前にある並木道に、懐かしさがこみ上げてくる。もう通わなくなったこの道を木枯らしが通っていく。昔より少し長くなり舞い上がる髪を押さえて、空色のマフラーを口元まで引き寄せてその寒さを目を瞑って耐え忍んだ。 この道を通っていると、思い出が一人歩きして次々とよみがえる。 二年前のあの日、一緒の舞台に立ったあの夜に交し合った秘めた想い。 離れ離れになると解っていても想いをとめることは出来なかった。 またねと告げたあの日、涙をこらえて見送った。 また会えると、そう信じて彼が旅立つ飛行機に手を振ったのももう懐かしい思い出の一つ。あれから二人は直接会うことはなかなかなかったけど、メールや電話、そして手紙のやり取りをしながら確かな同じ日々をすごしてきた。 手元が震えた、メールの着信だ。 わたしはそれを見て微笑みを浮かべる。 今年もまた、彼の好きな冬がやってきた。 「あは、やっぱり日野ちゃんだー! おーい!」 高校の校門に入った瞬間、後ろから聞き覚えのある声が聞こえて、わたしは振り返った。 「天羽さん!」 「久しぶりだねー!どうよ、大学生活は?」 「まあまあかな、そろそろドイツ語のテストがあるからちょっとブルーなんだけどね」 「あはは、わたしも英語の課題があってさあ、お互い大変だねえ」 久しぶりに会う友人は天羽菜美さん。夢を追いかけて別の大学を受験してから連絡をたまにとってはいたけど、会うのはだいぶ久しぶりになる。 「今日はどうして?」 「いや、時間が空いたから母校の取材にね。今度大学のサークルで特集記事を組ませてもらうことになったんだけど、やっぱり自慢の同級生や後輩や先輩のこと、紹介したいじゃない?」 ね?といわれて天羽さんが変わってないことに安堵しつつ、わたしも相槌を打つ。 「今日は火原先輩も居るんじゃないかな、オケ部がある日だから」 「マジ? それはラッキーだな、ついでに柚木先輩もいないかな〜」 「さあ、それはどうだろう。でも土浦くんも居ると思う」 「マジで!? やだー、あたしってば本当にツイてるぅ〜! それじゃ、早速取材に行かなきゃ! って、そういえば日野ちゃんはどうしてここに?」 「オケ部にちょっとね、冬海ちゃんと約束があるんだ。一緒に行く?」 「行く行く〜!」 浮き立つ天羽さんと連れ立つように、わたしは思い出の詰まった校舎の中に足を踏み入れた。一箇所一箇所に思い出が眠るこの場所、ヴァイオリンと出会った大切な日々が詰まっている。 心震えるメロディーが、幾度も響き渡ったそんな大切な場所。 今は私の知らない世界が広がっている。 音楽室へ足を運ぶと、中ではすでにオケ部の練習が始まっていた。その中で冬海ちゃんを見つけて小さく手を振ると、それに気づいた冬海ちゃんが小さくお辞儀を返してくれた。 「日野ちゃん、それに天羽ちゃんも一緒なんだ! 久しぶりだね二人とも、元気だった?」 入ってすぐには気づかなかったけど、オケ部の練習を指揮しているのはどうやら火原先輩だったらしく、変わらない人懐っこい笑顔で手を大きく振り回しながらこちらへとやってきた。 「火原先輩、お久しぶりです」 「ホントだよね〜、俺が卒業したときはオケ部の練習でまだここに通ってきてたけど、二人が卒業しちゃってからはぜんぜんだったよね」 「火原先輩〜?」 タイの色からして三年生らしい子が、困ったような顔つきで火原先輩を呼んでいる。 「っと、ごめんごめん、練習中だった。まだ二人ともいる?まだいるようなら終わったら少し話したいな」 「冬海ちゃんを待ってるので、大丈夫ですよ」 「そっか、それじゃあまたあとで!」 駆け足でやってきて駆け足で去っていく火原先輩は後輩にも好かれているようで、とても充実した笑顔をしている。きっと教えるということに対して、やりがいが生まれてるんだと思う。火原先輩も夢を追いかけ始めているんだ。 取材取材〜とうきうきしながら歩き回ってる天羽さんは音楽室から出て行った。たぶん、金澤先生のところに行ったんだと思う。 不意に一人になってオケ部の演奏を聴いているうちに、またも思い出に思考がとらわれた。大学に上がってからもヴァイオリンは続けている、けれどアンサンブルを頻繁に行うことはなくなってこんな風に他楽器が合わさりあっている音を聞くと心地よさと共に懐古してしまう。 目を閉じていると、不意にソロヴァイオリンの音に別のヴァイオリンの音が加わった。あわせることの心地よさを知っているようなそんなやさしい音色だった。 何もかもが懐かしい、初めて音を合わせたとき、二人で雪が降っているのにも気づかず重ね合わせていたとき、懐かしさに胸がほんの少しすーっとした。 そうして聞いてるうちにいつの間にかオケ部の練習が終わって、わたしは拍手を冬海ちゃんと火原先輩に贈った。 「すごく良かったです、特に冬海ちゃん音が前より包み込むようになったみたい。やさしい気持ちになれたよ」 「あ、ありがとうございます、先輩」 「うんうん、冬海ちゃんのクラリネットすごく良くなってるよね」 それから少しだけオケ部について真面目な話をしていると、土浦くんと加地くんを引き連れた天羽さんが戻ってきた。ちなみに、専攻は違うけれど二人とわたしは同じ大学に通っている。 「二人ほど引き連れてきたよー、ただいまー!」 「天羽、おい!いい加減引っ張るのやめろ!」 「あ、日野さん!奇遇だね、土浦のあとについてきて良かったよ」 相変わらずマイペースな二人におろおろしていた冬海ちゃんが勇気を振り絞ったらしく、胸の前で両手に力をこめながら声をかけた。 「天羽先輩、お、お久しぶりです。……土浦先輩と加地先輩も、お久しぶりです」 「おう、冬海か。元気そうだな」 「オケ部頑張ってるみたいだね、応援してるよ」 「はい、ありがとうございます」 冬海ちゃんの男性恐怖症は徐々にだが和らいでいるらしく、この二人を目の前にしても前よりは緊張しなくなったみたいだった。そして、しばらく懐かしいコンサートメンバーで会話を弾ませていたのだが、不意に視線を感じて振り向くと、冬海ちゃんたちのオケ部の後輩ほとんどの視線がこちらに集中していた。 「あの、火原先輩その方たちってもしかして……」 「あ、ごめんごめん。一年生には紹介まだだったね。こちらは二年前のコンクールメンバーだよ。あ、でも天羽ちゃんは報道部だったから、コンクール出場者じゃなかったんだけど、色々記事にしてコンクールを盛り上げてくれたんだ」 「どーも、大学でも報道部の天羽です。一年生? あとで先輩たちのことについて取材させてね!」 元気のいい返事が一年生から聞こえてきた。思わず微笑ましくて肩の力を抜くと、突然視線がわたしの方へ集中する。 「じゃあそちらの人がヴァイオリンロマンスの……?」 女生徒たちのひそひそ声が漏れ聞えて微笑が苦笑に変わる。 「はじめまして、日野香穂子です。楽器はヴァイオリンなんだ、よろしくね」 「本物だ!」 突然黄色い歓声が上がって、わたしはあっという間に取り囲まれてしまった。 「ちょ、ちょっと……!」 「あの、ヴァイオリンロマンスを実現した方ですよね!?」 「お相手は誰なんですか?」 「どうやったら恋が上手くいきますか!?」 「教えてください!」 四方八方から声をかけられて混乱してしまったわたしは助けを求めるように冬海ちゃんと火原先輩を交互に見る、するとすぐに火原先輩が手を叩いて一年生たちの注意をそらしてくれた。 「こらこら、日野ちゃん困ってるだろ?ダメだよ、質問は一人ずつ!」 「え、違っ……!そういう意味で助けを求めたんじゃ……!」 「え、違うの?」 きょとんと聞き返してきた火原先輩に思わず脱力すると、同じタイミングで脱力していた天羽さんがそういえばと顔を上げた。 「月森くんは元気? なんか小さく新聞に載ってたみたいだけど、それなりに活躍し始めてるんでしょ? 連絡は取れてるの?」 今度はコンクールメンバーの視線がわたしに集中する。せっかく話題がそれたのに、これじゃ同じだと思いながらもわたしは逆にコンクールメンバーには知らせるのも大事なことだと思い直してうなずいた。 「うん、今月の24日にもまたコンサートで弾くみたいだよ。詳しくはまだ聞いてないんだけど」 「え、24日って……24日!?」 あまりの天羽さんの驚きようにわたしは思わず椅子に座ったままだが後退したくなった。 「う、うん」 「クリスマスイブじゃん! 恋人同士が一緒に過ごす」 「いや、別にそう決まってるわけじゃ……」 「じゃあいつこっちに帰ってくるの?」 「え? 帰ってこないよ?」 「……はっ!?」 当然の答えを口にした瞬間、天羽さんだけでなくほかのみんなの様子も豹変した。 「月森くん、たぶん当分帰ってこないんじゃないかな。少なくとも向こうの生活が落ち着くまでは」 「なにそれ! じゃあ今まで一度も帰ってきてないってこと!? もう二年も経ってるんだよ!!」 「うん」 「うんじゃないよ! なんでおねだりしないの!」 圧倒的な天羽さんの迫力に押されて、思わず両手を前に差し出しながら苦笑いをしてしまう。 「お、おねだりって……でもね、実際に大変なのは月森くんなんだから、わたしがわがままを言うわけにはいかないでしょ? それに連絡取り合ってるし、まったく繋がりが切れてるわけじゃないから」 「そんなことないよ! そんな可愛いわがまま言うくらいで彼は困るような男じゃないでしょ!ねえ、男性陣!」 突然振られた加地くんは土浦くんと目を合わせながらも困ったように頬をかく。土浦くんもなんだか難しい顔をしながら考え込んでいる。 「うん、まあそのくらいなら」 「男としては、月森の気持ちもわからなくはないが」 「そうだね、特に彼は夢を追いかけるのに必要な努力なら惜しまない人だし、月森くんらしいと言えば月森くんらしいよね」 火原先輩もうーんと首をかしげて考えてくれているので、わたしは慌てて手を振った。 「あのね、別に寂しくないんだよ。これは本当だから、月森くんを責めないでね。わたしは応援してるの、だから会えなくても大丈夫なんだよ」 天羽さんはまだ何か言いたそうだったけれど、わたしは無理やり話題を終わらせようとした。 「それより、みんなはどうするの? 予定立てたりしてるの?」 全員が顔を見合わせたり肩をすくめているところからして、予定は未定といったところか。 「そうだ!」 パン、と火原先輩の次に今度は天羽さんが手を叩いて、みんなの視線が集中する。 「じゃあさ、24日このコンサートメンバーと志水くんに柚木先輩誘って、一緒に駅前広場に行かない? 近くでキャンドルに火を灯すイベントがあるんだけど、すっごく綺麗なんだ!」 「行きます」 天羽さんがそういうと、その後ろから突然声が聞えて、志水くんが現れた。 「おわっ、急に出てくるからびっくりした〜」 飛びのいた天羽さんは、志水くんを受け入れつつも心臓を押さえている。ずいぶんと驚いたらしい。 「僕も一度、見たかったんです……叔母から去年綺麗だったよって教えてもらって、そんな綺麗な景色の中でチェロを弾いたらどんな風に幻想とチェロの音が調和するんだろうって思って…」 「いやいや、楽器は持ってくるのが重いでしょ」 手を振って天羽さんは志水くんにつっこむ。ホント、こういうところ志水くんは全然変わってないなあ。 「ダメですか?」 「ダメじゃあないけど……」 天羽さんと志水くんのやりとりに痺れを切らした火原先輩が元気良く手を上げる。 「俺も行くー! 柚木も誘ってみるよ、たぶんそれほど遅くなければ大丈夫だから」 「私も…ご迷惑でなければ」 火原先輩ほどではないにせよ、冬海ちゃんもほんの少しだけ手を挙げて主張してくれている。 「僕も行くよ、ふふっ、君と聖夜を過ごせるなんて幸せだな」 「この流れで行かないってのは空気読めてないだろ。……たく、行くよ。行けばいいんだろう」 いつもと同じ返事の加地くんに、額を押さえる土浦くん。 あれよあれよという間に、24日の予定が決まってしまった。わたしはそのノリについていけなくて、思わずぽかんと見ていたけれどみんなが楽しそうに笑顔を見せているからなんだかわたしまで嬉しくなってしまって、「ね、日野ちゃん!」と天羽さんに言われて結局は頷いた。クリスマスイブを一人で過ごさないで、みんなとわいわい過ごせるのならきっと楽しい。寂しいとか考える間もなく過ぎ去っていき、年末年始もすぐに通り過ぎるだろう。 「それじゃあさ、キャンドルは夜からだからそれまで遊ぼうよ、ね?」 天羽さんの提案に異論を唱えるものはなく、当日の昼に駅前の現地集合でその場は解散した。 帰り道、送ってくれるという加地くんの申し出を断ってわたしは高校内を見回ってから帰った。屋上の風見鶏、校門前のファータ像、空いてる練習室、森の広場の石碑。 どれもこれも、何一つ変わってない。 でもどうしてだろう、卒業してまだ一年も経ってないのに何かが足りない気がした。 冬のにおいを嗅ぐのは好きだった。なぜなら冬は彼が好きな季節だから。一緒に居られた時間よりも、離れてる時間の方が長くなってしまったと気づいたけど、それでも彼への想いは色褪せない。こんなにもまだ彼を好きな自分が居る。思い出の一つが今もこうしてまぶたに焼き付いているのだ。草笛を吹いたこと、一緒に帰ったこと、二人で練習した時間。どれもこれも、どんな些細なことでも大切な記憶の宝物。 だから会えなくたって構わない。会えなくても大丈夫。 月森くん、わたしは元気だよ。今日も貴方への想いを白い息に変えてこうして歩いてる。 ねえ、月森くんも頑張ってるんだよね?だから、お互い会えなくたってきっと頑張れるよね。 → 20071225 七夜月 |