廻る華



 さよならをしよう。この世界での君と僕は、さよならだ。
「良かった、君が笑ってくれて」
 伸ばそうとした手に力が入らないことが歯がゆい。けれどそれを悟ってくれた君が僕の手を握って自分の頬に寄せた。
 その頬に涙が伝っていたけれど、僕はそれには気づかないふりをした。彼女は今、笑っているから、涙を流してるけれど、ちゃんと笑っているから。
「約束でしたから」
 僕はその言葉に満足して微笑んだ。
 君を好きになって良かったよ。それだけが今、一番胸を誇れることだ。こうしてさよならする日がくるのが怖かったのは否定しないけれど、いざ来てみたらずいぶんと心は穏やかだった。
「綺麗な空だね」
 彼女の肩越しに僕が見た景色はたぶん、いつもとなんら変わらない景色なのだろう。
「明日も明後日も、きっと変わらないですよ」
 君は僕にそう言った。
 そうなのだろう。
 変わっていくのは、僕や君で。空は何があっても、そこに在り続ける。
「お疲れ様でした」
 君のその言葉が、なんだかすとんと胸に落ちて、身体が浮遊するように軽くなった。
 僕は目を閉じた。晴れやかな気持ちだった。僕は置いていく側だからだろうか。
「また逢おうね。いつになるかわからないけれど、僕は君を迎えに来るから」
「はい」
「本当はあまり信じてはいないんだけど」
 非現実的なことに頼るのは、好きではないからこそ思わず前置きをしてしまう。
「もし、本当に生まれ変われることが出来たら」
 出来るかどうかなんて、そんなの絶対にわかりっこない。けれども、何故か僕はそれを願ってもいいような気がして、言葉にした。
「僕はまた君に会いにくるよ」
 君を好きになる。必ずまた、僕は君を見つける。
「はい、待っています」
 やっぱり君が笑うから、僕は望んでもいいのだと安堵した。幾年経っても君のそばに立つことを許されたと思えたから。
 君の隣で座っている小さな瞳に僕は目を細めた。
 この世界は優しいから、僕がいなくなってもきっと君たちは困ることがないだろう。
 僕は自分の家族を持てた。それだけで十分だとすら思える。辛いことや後悔することはたくさんあるけれど、やっぱり最期は幸せだったと思えるのだ。
 願わくば、この幸せに満ちた気持ちが、このまま続いていけばいい。君を迎えに来たときに、同じ気持ちで居てくれればいい。
「とうさま」
 舌足らずな少女は確かにそう発音して、僕を覗き込もうと顔を近づけてきた。
「幸せになるんだよ」
 願いをこめ最後の力を振り絞って、撫でた少女の頭の感触が、僕の感覚の最後だった。


「かあさま?」
 動かなくなった夫と自分を見比べる娘の身体を引き寄せて、千鶴は震えながら抱きしめた。
 落ちる雫はとめどなく溢れ続けて、言葉にならずに嗚咽へと変わる。いつかの日は時を待たずして訪れた。くるとわかっていたけれど、その日が来て初めてわかったことがある。
 安らかに微笑んでいるこの笑みが最後なのだということ。千鶴の世界が彼を中心としたものから、彼の守ろうとした家族を中心としたものへ。
「守ります、きっと。貴方が大事にしたもの、全部」
 この家も、思い出も、すべて守ろうと誓う。
 そしていつか、彼が言うように迎えがきたら、私はちゃんと出来ましたよと、胸を張れる様に。
 今はこのひとつの小さな命を守って育てていく。
 最後に言ってくれたように、もし再び廻りあう事が出来たら、もう一度この人に恋をするだろうと、千鶴は感じていた。
 愛しているのだ。
 千鶴は沖田を愛している。この上なく、愛している。
 だからこの気持ちはきっと永劫変わることはない。魂に刻み込まれたように、彼への想いは募り続ける。
「もしもまた、廻り合えたら……私も貴方に恋します」
 桜が散る。春の日差しが柔らかいその日に、家族に看取られて沖田は息を引き取った。


 






   20090811  七夜月

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