開かれた道 1



 千鶴は結局斎藤に背負われたまま、まるで昔を思わせる大きく立派な門をくぐった。門の脇には達筆な字で表札がしてある。かろうじて読めたのは剣術道場らしいということくらい。門に負けず劣らず随分と立派な外観をしたその道場の脇にはこれまた大きな一戸建ての日本家屋が建っている。
「ただいま」
 荷物を持っていた沖田が声をかけながら引き戸の玄関を開けると、中からドタドタと足音がした。怒られるわけではないのに、その音の大きさに思わず身を竦ませて斎藤の背中に隠れる形になった千鶴。そんな千鶴を、土方が横目でちらりと見ていた。
「おかえり、総司君。あと一君と師範代もおかえり……って、アレ。一君何背負ってんの?」
「平助、ちょうどいいところにきた。とりあえずこのガキの手当てをするから、居間に山南さん呼んでこい。もう帰ってきてんだろ?」
 さり気なく相手の前に立った土方が千鶴を隠すような形になったので、声の主は斎藤の背中を首を伸ばして確認する。しかし、千鶴は不可解なことに、この声の主をどこかで知っているような気がしてならなかった。
「ガキ? ガキって一体……あっ!?」
「あっ!」
 千鶴は平助と呼ばれた人物と目を合わせて二人揃って声を上げる。聞き覚えのある声なはずだった。それは先ほどすれ違う際にぶつかった相手だったのだから。
「さっきは悪かったなー…って、怪我!? もしかして俺とぶつかったときにどっか怪我したのか!?」
「違います、これはその…変な人に絡まれちゃって…だから、あなたのせいじゃないです」
「あれ、二人とも知り合い?」
 沖田が無邪気に二人に問いかける。すると、平助が頭をかきながら答える。
「いや、知り合いってわけじゃねーんだけど。さっき左之さんと新八っつぁんのとこ行ったときに、道路でぶつかったんだよ」
「へー、じゃあこの子の世話係は平助でいいんじゃないの?」
「何でだよ!」
「だってぶつかったんでしょ? じゃあ、平助とぶつかった時に、この子が怪我してないって言える? もしかしたら、この怪我を負う前に平助の時には既に前兆があったかもしれないよ。本人が気づかないだけでさ」
 楽しそうにそういう沖田の言葉に、平助は唇を噛み締める。確かに傍から聞けば沖田言うことに一理あるのだが。そんな二人の様子を見守っていた千鶴だったが、助けてくれた平助がそんな風に責められるのは申し訳ない。しかも、自分の不注意でもあるのだ。そう思って思わず口を挟んでいた。
「あの、確かにぶつかったんですけど、わたし別に転んだりはしてないんです、転ぶ前に彼が助けてくれましたから」
 自分で言いながら、千鶴は今日はよくよく助けられる日だなと苦笑いしたくなった。こんな日こそ、他人の親切をありがたいと思う。千鶴の言葉を聞いて、平助は何故か得意げな顔をして沖田を見た。
「ほらみろ」
「じゃあ、そういうことにしておいてあげるよ」
 沖田は肩を竦めると飄々とした様子で軽く受け流した。平助はそれ以上文句言うことなく、庇ってくれた千鶴に向かってにっこりと笑顔を見せる。きっと根は素直な良い人なのだろう。
「ありがとな、じゃ俺山南さん呼んでくるから。ちょっと待ってろよ」
 平助は千鶴に庇われて少しだけ元気を取り戻したのか、笑顔を浮かべたまま奥座敷へと走っていった。
「走るな、平助」
「はいよー」
 土方の注意に手で返しながら速度を緩めるものの結局小走りしているため、土方の舌打ちが千鶴の耳にもきちんと届いた。なんだか自分まで怒られているような気がして、千鶴は首を竦める。
「靴は脱げるか?」
 千鶴を背負っている斎藤からの問いかけに、千鶴は是と答えるものの手が届かない。すると見かねた沖田がそれを手伝ってくれた。軽く両足分を脱がすと、玄関に揃えておいてくれる。こういう面を見ている限りだと、わりと紳士的なのだ。ただ、紳士的な部分だけが沖田なわけではないことは、ここにくる道中で千鶴も薄々わかり始めていた。
「無理しなくていいよ、その状態じゃ脱げないでしょ」
「何から何まで本当にすみません」
 だが、今は素直にその厚意に甘えて感謝する。
 恐縮しすぎて穴があったら入りたい状態の千鶴に、土方は溜息をついた。先ほどから千鶴は土方が笑うところはおろか、不機嫌そうな顔以外をしているところを見たことが無い。だから、何を言っても怒らせてしまう気がして、言葉を捜しあぐねてしまう。何か言おうかと口を開くものの、何を言ったらいいのかわからずにまた閉じる。そんな千鶴に何を言うでもなく、土方は淡々と斎藤に命令を下した。
「お前みたいなガキをあのまま放っておいても寝覚めが悪い。斎藤、居間に連れてってやれ」
「わかりました」
 背負われたまま千鶴は居間に連れて行かれる。背負われているとはいえ、こうして家の中を歩いていると、外見以上のその広さに千鶴は驚かされた。居間と呼ばれた場所に行くのにも、玄関から一度歩いただけでも覚えられるかどうか。斎藤が居間に入ると、平助が呼んできたらしい山南という人物(だろうと千鶴は推測する)が座って待っていた。彼の横には大きな箱が置いてある。救急セットのようなものだろう、医者の娘である千鶴はなんとなく中身が推察出来た。
「おろすぞ」
 一声かけられて、わざわざ座布団の上に下ろされた千鶴は改めて斎藤を見上げて頭を下げる。おんぶだなんて経験、昔父親にしてもらったきりで、なんだか無性に恥ずかしい。それに加えて、ものすごく気になっていたことが一つだけある。
「ありがとうございました」
「礼ならば師範代に言うといい、ここまで連れて行くと言ったのは師範代だ」
「それももちろんですが、その…重かったと思いますから」
「気にするほどではない」
 この言葉を言うのは微妙な心持だった。が、返ってきた言葉が更に千鶴を複雑な心境へと導く。気にするほどではないってことは、多少なりとも重かったということなのでは……? やはり重かったんだ、と少し落ち込んでいると、眼鏡をかけた温和そうな男性が、タイミングを計ったかのように口を挟んできた。
「女性に対してそれはフォローになりませんよ、斎藤君。では、君は足を見せてください」
「こちらは山南さんだ。ちゃんと診てもらうといい。平助と総司の学校で非常勤の保健医をしている」
「雪村千鶴です」
 千鶴が斎藤におんぶされているときから腫れ具合を見ていたのだろう、千鶴は挨拶を済ませると言われたとおり足を出す。仮にも医者の娘、酷い捻挫か更に悪ければ骨折している、そんな腫れ方なのは一目瞭然だった。
「少し痛いですが、我慢してくださいね」
 腫れたところを少しだけ触られて、千鶴は顔には出すまいと努力したものの激痛に身体が揺れる。
 それを見て、山南は目を細めた。
「……どうやら、骨にまではいっていないみたいですね。決して軽いわけではないですが、捻挫です」
 救急箱をあけて、通常家庭にあるような薬から他に少し専門的な治療薬まであって、千鶴は目を瞠った。保健医というには随分と薬の種類が豊富だ。
「驚きましたか?」
 道具箱に目が釘付けの千鶴に、山南は薬を出したり治療する手を休めることなく、話しかけてくる。
「ええ、自宅でここまで薬を揃えているところはなかなかないので」
 素直に感想を述べる千鶴に、山南は丁寧に説明してくれた。
「ここは剣術の道場ですからね、怪我しないのが一番ですが、怪我をする人ももちろんいます。何があってもすぐに対処できるように、なるべく多くの薬を置いているんです。とはいえ、一般人が所持できるものと認可されているちゃんとしたものですから、安心してください」
「はい、大丈夫です」
 薬総てを覚えているわけではないが、この薬箱に入っているのは大抵自分の家の診療所に並べられていたものと同じものだ。山南の言うとおり、医師の免許により所持できるものはさすがに入っていないようだが、医療外薬品まできっちりと整頓されてしまわれている。
「君は、薬には詳しいんですか?」
 山南の目がふと細まる、だがそれには気づかない千鶴は素直にありのままを答えた。
「詳しいというほどではないですが、私の家は診療所でした。だから、手伝い程度の知識はあります」
 さすがに薬剤師ではないので調合などはしたことがないが、それでも見ているだけの知識は一般家庭の人よりも多いだろう。
「そうですか、なるほど……とりあえず、湿布を貼って包帯を巻いておきましょう」
 山南の丁寧な治療を終えてだいぶ足が楽になった千鶴は、席を外した山南と斎藤に取り残されて、そのまま居間に座っていた。なんだかこちらに出てきてとんでもないことばかりに巻き込まれているが、自分が今こうしていられるのは紛れもなくこの家人たちのおかげなのだ。
 そういえば、沖田が帰ってきたときにただいまと言っていたが、ここは誰の家なのだろうか。斎藤も土方も我が物顔で入ってきていたが、これだけ広い家なのだから、もしかしたら全員で住んでいるのかも、そうだとしてもおかしくない。
 一人で残されるとなんだか手持ち無沙汰になって思わずきょろきょろとあたりを見回してしまう。失礼に値するとわかっているが、視線が動くのが止められない。
 カチカチと時計が鳴る音に心もとなくなってきたとき、玄関から元気な聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 





   20090205  七夜月

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