懐古の日 1 千鶴が本当の意味での家主に会うことが出来たのは、次の日のことだった。 「君が綱道さんの娘さんか。話はトシから聞いているよ」 たくましい和装の似合う三十代半ばの男性が千鶴と対面してくれたのが翌日の午前中。当然その場には土方も同席していた。至れり尽くせりの状態で結局一晩過ごさせてもらい、平助に起こされた千鶴は居間に通されて、待ち構えていたように座っていたのが、この男性だった。 「俺は近藤勇というんだが、君の名前は雪村千鶴君だったね」 「はい、初めまして。昨夜はお世話になりました」 「いや、気にしなくていい……それにしても、子供の成長というのは早いものだな。実は君と会うのは初めてではないんだ」 近藤から意外なことを告げられて、不躾と承知で思わず千鶴は近藤を凝視してしまった。だが、近藤の顔に覚えは無い。 「すみません、失礼ですがどこかでお会いしましたか?」 「覚えてないのも無理は無い、君はまだ本当に小さかったからな。十にも満たなかったときに会ったなあ」 感慨深げにうんうんと首を振りながら会話をする近藤という人物に千鶴は好感を持った。この人は優しい人だ。現に、一緒に居る土方の表情もいつもよりかは緩和されている。 「近藤さん、コイツは今平助と同じくらいだろ、もっと前だ」 「おお、そうか。じゃあ五つ六つくらいか?」 「十数年前の話だな」 「そうなんですか」 近藤たちに相槌を打ちながら、千鶴はそのくらいの年のことを思い出す。あの頃はのことはまったく覚えてないが、遊びに行くというよりかは、父親の仕事先についていくというスタンスが出来上がっていたので、会ったとしたらそのときだろう。記憶を一生懸命手繰り寄せるが、残念ながら千鶴には覚えが無かった。 「君はお父上の背中で眠そうにしていたからな、記憶にないのも仕方なかろう」 近藤たちとであったときに、千鶴はどうやら寝ていたらしい。それは確かに記憶にない。そして近藤はにっこりと笑って、話を切り出す。 「昔話もしたいところだが、君の父上の友人ついてまず話そう」 「あ、はい!」 「松本先生は今学会の発表でここにはいらっしゃらない。帰ってくるのは早くて一月(ひとつき)だ」 「はい、確認しました」 近藤の言葉に頷き返して、千鶴は脳内で診療所にあった札の内容を思い出す。近藤が言っていることと差分はない。 「その間の君の身柄については、松本先生に連絡をとって、ウチで預かることにした。それは構わないかな?」 「はい、よろしくお願いします」 「あーだが、すまないがトシの方からどうしても譲れないという条件があってなあ」 近藤は頭を掻きながら腕を組んで見守っている土方にちらりと視線を向けた。土方は何も言わずに近藤を見返す。 「君は女の子だが、ここには男しかいなくてな。正直、君をここに置くことは外聞が悪い。門下生にも浮かれるものが出ないとも限らない、もっとも示しがつかないのが一番だが……」 千鶴がここにいると、世間体の問題があるということを、ようやく千鶴は飲み込んだ。それはそうだ、親戚でもない妙齢の男女が一つ屋根の下で過ごすという環境こそ、本来は異色な目で見られるのだから。千鶴もおそらく例外ではないだろう。 「君にも変な噂が立てられかねないのは解ると思う。だから、トシからここに住む間は男として住んで欲しいという条件がつけられた」 近藤の言葉に千鶴が呆気に取られたのは、誰しもが想像できることだ。それだけ、突拍子も無いことを近藤は言い始めたのだから。 「なに、自分が女であることを隠してくれればいいんだ。少なくとも、外に出る時は。他の門下生にもバレないように、男の格好をして欲しい」 近藤は大真面目に言っているのだ。そして、それを提案したのは土方であるという。千鶴はなんといっていいのかわからずに、口を閉じてしまった。そんな千鶴の様子を組んでくれたのか、近藤は眉を下げながら付け加えた。 「ああ、いきなりこんなこと言われて戸惑わずにはいられないだろう。少し、考える時間を」 「いえ、やります」 近藤が言い終える前に、千鶴は答えていた。近藤や土方が言っていることはもっともだ。そして自分はあくまで居候の身。我が儘を言える立場じゃない。それに、男装することに関しては特に抵抗も無かった。元々女の子らしい服装を好んで着ていたわけではないし、それくらいやってみせる。 「そうか、すまないな」 近藤は本当にそう思っているのだろうが、むしろ謝るのは千鶴の方だ。お世話になるのだから、相手の意見を尊重するのは当然のこと。 「いいえ、置いていただけるだけでありがたいです。感謝してもし足りないですから」 そのとき黙っていた土方が千鶴に顔を向けた。 「もちろん、それだけじゃねえ。置いておくからにはタダ飯食らって遊んで暮らす、なんてことも考えるな。お前にはきっちりと働いてもらう。ウチの道場は年中人手が足りなくてな、家のことまで手がまわらねぇんだ。お前の仕事はこの家の家事全般を担うこと、出来るな?」 家事全般とはつまり、炊事洗濯掃除すべてを指している。この広い家すべての管理をしろと言われているようなものだ。だが、千鶴は決して臆さなかった。元々家事全般は小さい頃からやっている。ちょっと……いや、かなり家が広くなって人数が増えただけでやってやれないことはないはずだ。 「やります、頑張ります」 真っ直ぐに土方を見返すと、土方もジッと千鶴を見返す。何か心内を探られている気分になって、負けじと見返した。そんな視線の攻防は数秒で終わり、先に視線を伏せたのは土方のほうだった。 「ふん、まあ悪くはねえ目だ。お前にやる気があんなら何とかなんだろ」 「はい、ありがとうございます」 土方と千鶴の攻防を見守っていた近藤は張り詰めた息を吐き出して、千鶴に謝罪した。 「すまないな、トシは根はいい奴なんだがいつも難しい顔ばかりしているから誤解されやすいんだ。嫌な気分になったら遠慮なく言ってくれて構わないぞ」 「大丈夫です、厳しいと護身術の道場に居た頃を思い出して身が引き締まりますから」 正座をし背筋を伸ばして黙祷をしていたあの時間を思い出して、心身ともに冴え渡るようなそんな気分にさせられる。だから、土方の厳しさは千鶴にとっては怖いものではない。どちらかといえば背筋を伸ばしてくれるような、精励恪勤にさせてくれる。 「いい度胸じゃねえか、だったらこれからどんどんしごいてやる。覚悟しとけ」 「はい!」 「あー、トシ。千鶴君は門下生じゃないからな。お預かりしている大事なお嬢さんだ。それは忘れるなよ?」 小さく近藤が口を挟むも、土方の厳しさは欠片も抜けなかった。 「何言ってんだ、近藤さん。例え預かっているといっても、俺は甘やかす気はさらさらねえよ」 「……まあ、程々にな」 近藤は諦めたように溜息をつくと、千鶴に耳打ちした。 「もしもトシに苛められたら言うんだぞ、俺の方からトシに言っておくから」 「近藤さん、聞こえてんだよ」 「ふふ、大丈夫ですよ」 土方に突っ込まれて、しまったと表情に出している近藤に、千鶴は思わず笑ってしまった。この人は本当に優しそうな人だ。でも、纏うオーラは武人そのもので、いるだけで存在感がある。それは土方たちにも言えることだったが、近藤のそれはずば抜けていた。これがカリスマ性なのかな、と考えて、首を振った。カリスマ性というよりも近藤の人柄であることを千鶴はなんとなく掴んだのである。 → 20090207 七夜月 |