止まった時間 で、お姫様は見つかったのかよ? 尋ねられて風間は微かに笑みを浮かべる。 「ああ」 へぇ、そりゃ何よりだ。じゃあ俺らも引き上げるがかまわねぇな? 「好きにしろ、その家にもう用はない」 リョーカイ。 ブツ、と用は済んだとばかりに、こちらの返事はお構いなしに携帯電話が切れた。風間は気分を害した様子なく携帯電話を胸ポケットにしまうと、前からやってきた男に目を向ける。電話しながらも男の気配は気づいていた。男は表情を変えることなく風間の脇を通り過ぎる。その際に風間は口を開いた。 「今はまだ自由にさせるが……」 風間の発言に足を止めた相手に、風間は続けた。 「あの姫はお前たちには手が余る。いずれ返してもらうぞ」 「それを決めるのは俺じゃねぇよ」 男は風間の言葉を受けて答えた。 「ましてやお前でもない。アイツのことを決めるのはアイツ自身だ」 男は言いたいことだけ告げると、風間の返事を待たずに去っていった。風間はふんっと鼻を鳴らすが、それでも笑みを崩すことはなかった。 「だったら尚更、戻ってくることになる。今の発言、後悔するなよ」 風間の言葉は一時間目が始まる予鈴にかき消されて、男の耳にまでは届かなかった。 「ごほん、ちょっとそこのアナタ」 「は、はい!」 いきなり呼び止められて、千鶴は背筋をしゃんと伸ばしながら振り返った。 「教頭先生」 千鶴は抱えていた教科書を更に強く抱きしめて、教頭である伊東を窺った。 「あの、今日は何か」 この言葉を言うのは非常に残念なことだが、千鶴は編入初日に何故か目を付けられたらしくことあるごとに呼び止められていた。髪が長いだの(伊東もだいぶ長い)、視線が媚びてるだの(伊東もだいぶ偏見)、自分の方が美しいだの(千鶴は一言もそんなことは言っていない)、とりあえずいちゃもんつけるという表現を使わずにはいられないほどよくわからない理由で絡まれていた。 「まあ、私がいつでも声掛けてるみたいに言わないでくださるかしら。それより、これアナタのでしょう」 どうやら今日は千鶴が落としたノートを拾ってくれていたようだ。 「ありがとうございました」 構えて振り返ってしまったことを少し後悔しながら、千鶴が頭を下げると、伊東は横を向いた。 「ふんっ、アナタが困ろうと別に構わないのですけど、アナタも生徒の一人ですからね。生徒を補佐するのは教師の役目、これくらいのことは当然です」 それより、と伊東の視線だけがちらりと千鶴へ移動する。 「アナタ確か…近藤さんの所でお世話になっていたんじゃありません?」 「え、あ、はい」 「あまり斎藤君たちに迷惑かけてはいけませんよ」 「は、はい!もちろんです」 「それならいいけれど、彼は特に優秀で我が校の誇りですからね。勉強の邪魔なんて言語道断ですよ」 これまた気付いたのだが、教頭はどうやら斎藤がお気に入りらしい。千鶴はくどくどと聞かされる斎藤自慢を解放してくれるまでいつも耐えて聞いている。 「教頭先生、そろそろ授業の時間では?」 苦笑と共に現れた山南の言葉に、伊東はあら、と口元に手を当てて山南を迎え入れる。 「まぁ山南先生、もうそんな時間かしら」 「ええ、他の生徒の姿ももうまばらですから」 千鶴が首を振るまでもなく、廊下の喧騒はいつの間にか小さくなって所々で足音を残すのみとなった。 「アナタも早く教室にお行きなさいな」 伊東に促されて、千鶴は二人に向けて軽くお辞儀をする。ただ、伊東の興味は既に山南に向いてしまっててスルーされたが。改めてお礼をするか考えていたら場を辞するタイミングを千鶴は完全に逃した。 「ところで、山南先生はこの後道場へ?」 「ええ、部活が始まる前に一度土方先生と生徒の体調についてお話を。そろそろ合宿が始まりますから」 「ああ、もうそんな時期でしたわね。今回も同行なさるのでしょう?」 「一応、非常勤ですが責務は全うしますよ」 「そう……山南先生も大変ね。剣はもう握れないのに、いつまでもお仕事で携わるなんて」 会話の切れ目を探していた千鶴は山南に視線をずらした。その伊東の含みのある物言いにも千鶴は気づいた。しかし、山南は千鶴の視線を穏やかに受け止めると、まるで千鶴に言い聞かせるようにはっきりと告げた。 「昔の事ですから」 なんだか少し、突き放された気がして千鶴は俯いた。 これ以上は聞くべきではないし、山南がせっかく与えてくれた機会を無駄にする事はない。千鶴は再び頭を下げて今度こそ振り返らずにその場を離れた。 それから授業中も千鶴は山南と伊東の会話を考え続けていた。学生組はもちろん、他の人も仕事の合間に鍛錬しているのを千鶴は知っていた。実際に見たこともある。だが、山南だけは別だった。 山南がどこで何をしてるか、と言えば家の中にいるときは部屋に籠もり、その他は学校で仕事をしているイメージしかない。 ただ夕飯は誰が揃わなくとも大抵学生組と一緒になって必ず姿を見せてくれていたし、文句も言わずに食べてくれるので勝手に山南を知ったような気になっていたが、実際はそんなことは欠片もないのだろう。 剣を握れなくなったなんて大事だ。 そんな大事が山南の触れられたくない過去に存在するとしたら、新参者の自分が知らないのは当然のこと。なのに、知らなかったこと、突き放されたことにショックを受けている自分がいる。知ったからなにができるわけでもないし、山南が昔のことと言い切るのだからそう納得しなければいけない。千鶴はそう思い込むしかない。何故なら思い込まなければ、それだけみんなと溶け込んでいると勘違いしていた自分に、気づかなければならなかったから。未だに心許されてない事実に、向き合わなければならなかったのだ。 先日は平助と沖田と共に通った道を、千鶴は今日は斎藤と通っていた。沖田と平助は共に用事があり、代わりとして斎藤を沖田が呼んでくれていたらしい。 斎藤と商店街を歩きながら、ようやく弾むようになった会話を千鶴は止めた。 「あの……斎藤さんに聞きたいことがあります」 「改まってなんだ」 「実は……」 山南のことを話そうかと切り出すか迷った瞬間、千鶴の耳に甲高い声が響いた。 「あーーー! 貴方この間の! ええっと……」 どうも自分に向けられている言葉のようだ。千鶴は振り返った。そして軽く目を見開く。そこには、この間沖田と平助らと出会った千と名乗った少女がいたからだ。 「お千さん……?」 「えぇっと……そう、千鶴ちゃん!!」 いきなりちゃん付けで呼ばれて、心の準備が出来てなかった千鶴はあからさまに動揺した。 「嘘、え…!? どうして!」 「知り合いか?」 そばにいた斎藤に尋ねられて千鶴は情けない顔で斎藤を見上げた。 「この間知り合ったばかりです。なのに、わたしは直ぐに見破られるほど女々しい格好してるんですか?」 あまりにオロオロしているせいか、斎藤は千鶴の肩に手を置いてため息をついた。 「……とにかく落ち着け。見る者が見れば解るのは当然だ。それに今のお前は男子校の制服を着ているだろう。あまり不審な態度を取るな」 不審な態度とはすなわち、無意識にもきょろきょろとあたりを見回す千鶴の行動を指している。 「あ、もしかしてちゃん付けとかタブー? って言うか、男子校の制服な時点でオフレコよね? うわ、ごめんね! 理由あるんでしょう? 誰にも言わないから安心して」 千に拝むように謝罪されて、千鶴はようやく冷静になった。そして斎藤を見上げてようやく余裕が戻ってきたことの笑みを浮かべることが出来た。斎藤は表情こそ変えなかったが頷き返してくれる。 「そ、それよりお千さんはどうしてここに……?」 「そんな堅苦しくさん付けしなくていいよ、わたしのことはお千ちゃんと呼んで」 「ええと、ではお千ちゃんは何故ここに?」 千鶴は律儀に尋ね返す。それで満足したのか、千は突然頬を膨らませるように眉間に皺を寄せた。 「薫のバカに付き合ってきたは良いんだけど、アイツふらふらとどこか行っちゃったのよ」 千が怒ったように言うので、千鶴は首を振って辺りを見回す。 「この間も絡まれたし、最近治安悪いでしょう? ここら辺でも物取り目当てかわからないけど、暴行事件とか増えてるって言うじゃない? だから変なことに巻き込まれないか心配でついてきたんだけど」 アイツ私を置いてさっさと行っちゃったのよ。信じられる?心配でついてきた女の子をほったらかしで! 千の怒りのボルテージは結構高くなってるのか、息も荒い。今にも見つけ次第つかみかからんとする勢いだ。そして、その矛先が突然千鶴へと向いた。隠したら酷い眼にあいそうなほどの鋭い視線で、思わず千鶴は後退してしまう。 「貴方は見てないのよね?」 「うん…今日は誰にもあってないよ。ですよね?」 確認するよう、千鶴は視線を斎藤に向ける。斎藤はまたも無言の肯定を示す。 すると今までの殺伐とした空気が一気に和らぐような笑みで千は千鶴に手を振った。 「そっか〜そうだよね! 邪魔してごめんね、それじゃあ私行くわ。またね!」 千は身軽なまままた薫を探しに行ってしまった。千鶴が引き留める隙もない。呆然とその様子を見送った千鶴は、ふっと我に返って斎藤に苦笑いを浮かべた。 「なんだか慌ただしかったですね」 「ああ……ところで、先程言いかけていたのは何用だ?」 突然話を戻されて、千鶴はとっさに首を振った。 「え? あ、いえ、もういいんです。全然大したことじゃないので、気にしないでください」 本当は千鶴が気になって仕方なかったが、出鼻を挫かれたこともあり、なんだか追求するタイミングを逃してしまった。なので、この場は無かったことにして、またいずれ巡ってくるチャンスを待とうと思った。聞くタイミングは今じゃなくても良い。 これまた自分でもよくはわからない笑顔を浮かべて、千鶴はその場は誤魔化した。 → 20090310 七夜月 |