写真 「ようこそ、お越しくださいました藤堂さん。どうぞおかけになってください」 老婦人が勧められたソファに座るのを首を振って拒む。老年と言えど、背筋はピンと張って威厳のあるたたずまいをしているのはさすがというべきだ。風間はそんな藤堂千代の姿を観察した。 「本日はどういったご用件でしょう。例のお話ですか?」 「例のお話といわれればそうね、風間さん。私共は今回の件については見送らせていただきたいと思っているの」 老人独特の調子が入った声音、それでも意思をしっかりと感じさせる貫禄を持っている。 「理由をお聞きしても?」 「私共は医療器具を専門に取り扱ってきて、もちろん風間さんから窺ったお話の、一般家庭にも普及できるものを、という考えもないことはないけれど、それでも今はまだ私共にその力はないわ。私共がそれを出来る環境を整えるために、自分たちが努力を惜しんではいけないと思うの」 「要するにこちらからの援助はいらないと?」 「援助が要らない、と言ってしまえば語弊が出るかもしれないけれど、私共はあくまでビジネスで動くべきであり、そこに子供を持ち出すのはどうか、というお話をしたいの。私は平助を閉じ込めたいわけではないわ。あの子が好きなことを、将来を決めたというのならそれもいいでしょう。それを強制する力は、大人の都合で働かせてはならないものだと思っています」 「失礼ながら、本妻の子ではないというのに、随分と可愛がっていらっしゃるご様子ですね」 「私は後妻よ。平助が生まれたのは私とあの人が結婚する前、私との間に子供は居なかった。だから、幼い頃に母を失くしたあの子を私は自分の子のように可愛がろうと決めただけです」 「本当にそれだけですか?」 「何か仰りたいことでも?」 「いいえ、特には。だが、風間としても藤堂の技術力をすべて無に帰してしまうのは惜しい。では、とりあえずビジネス提携は別の形で組むとしましょう。今お時間いただいても? 他のプランを幾つかご覧いただきたい」 「ええ、構いませんよ」 そしてようやく老婦人こと、藤堂千代は勧められたソファに座った。彼女とビジネスの話題を繰り広げる間、柔和な雰囲気をまとっていた風間が、彼女が帰ったとたんに厳しく変わる。 「失敗か」 「このような方法を取らずとも、やりようは幾らでもあるでしょう」 「執着を少しでも断ってやろうという優しさだ」 鼻で笑う様を見る限り、優しさのやの字も見受けられない。 「素直に嬢ちゃんに近づく不穏分子の排除って言ったらどうだよ。まあ、かなりあからさまなやり口だけどな」 「言いたいことはそれだけか、不知火」 「おーこわ、そんな睨むなって。それじゃ、オレはちょっと出かけてくるぜ」 「勝手な行動は慎め」 「プライベートな用件にまで口出しすんなよ。もっとクールに行こうぜ、社長さんよ」 風間はもう何も言わなかった。恐らく勝手にしろということなのだろう。そう解釈した不知火は、応接間を後にした。 「勝手にさせてよいのですか?」 律儀に風間の後ろに立ち続けていた天霧の言葉に、風間はふっと笑う。 「どうせ顔が見られているんだ、大したことは出来ぬだろう」 「それもそうですが」 「それに、奴が動いて面白い展開になるかもしれない。なら止めはしないさ」 腕を組みながら少し身体を伸ばすように反らすと、風間は足を組み替えた。 「さあ、今日はどんなままごとをアイツは楽しむんだろうな」 それは興味というよりも、独り言の呟きだ。天霧は返事を返すことはせずに、押し黙った。それがおそらく正解だろうから。 「お、重いな……さすがに買い込みすぎちゃったかも」 手首に食い込むほどのビニールの重さにいささかふらつきながら、千鶴は呟いた。ビニールをひじで支えるようにすると制服のジャケットに皺が寄ってしまうので、なるべくならと手首で持っていたら、予想外の重さだった。やはり誰かに付き合ってもらうべきだったかもしれないが、これも錘だと思えば修行の一環になるだろうか。前向きに考えて、とぼとぼと道なりに歩いていると、公園を通りかかった。道場に帰る前に一度は通るこの公園の脇には、原田と新八が揃って勤務している駐在所が隣接されている。 たまにここに平助が遊びに来ているのを見かけるが、今日は中に人がいないようだった。パトロールに出ているという札がかけられているので、恐らく自転車で出かけているのだろう。平助の姿もないようだし、公園に用事もないので早く家に帰ろうと荷物を持ち直したときに、公園のベンチに座っている人影を見つけた。公園は子供の遊び場であるというのに、座っている男は大きく足を伸ばして、体重を背もたれにかけている座り方は相手を威圧するし、あまりよくない。砂場には小学生くらいの子供たちが山を作って遊んでいたり、滑り台を滑っていたりと結構遊んでいる。 だというのに、態度を崩そうともしないこの人物は一体何なのだろうと千鶴が顔を見ようと視線を動かすと、ベンチに座っていた人物が立ち上がった。そして公園前にいる千鶴を見て、近づいてくる。 ポニーテールの長髪に黒いスーツ、サングラスをかけているが見たことあるような気がして頭を捻ると、相手の男が不適に笑いながらサングラスを取った。 「待ってたぜ、久しぶりだなお嬢ちゃん」 サングラスを取って目を見て、千鶴はようやく相手を思い出した。 「あ、あなたは……」 千鶴たちを夜逃げに追い込んだ借金取りの男だった。千鶴は睨みつけるようにすると、怖さを悟られないように毅然と立つ。 「何か御用ですか? あなた方に返すお金ならありません」 「まあ、顔を見に来ただけだ。てか、いい加減名前覚えろよ、不知火だっての」 「覚えたくないです、あなたのせいで私たちは……!」 父親と離れることになったのだ。いつでもこの不知火という男たちが自分たちを付きまとったから。唇を噛み締めて悔しさを堪える。 「安心しろよ、本当にただ顔を見に来ただけだから」 不知火はにやりと笑うように、唇の端をあげる。彼が一歩近づいてきたので、千鶴も一歩後ろへ下がる。 「来ないでください、人を呼びますよ」 「呼んでもどうにもならねえと思うがな。第一、そこの駐在所は今空だろ」 「そりゃおあいにくさまだったな、残念ながら警官なら一人いるぜ」 千鶴と不知火の間に、自転車で割り込んできたのは原田だ。直前の会話を聞いていたのか、千鶴を見てにっと笑う。 「正義の味方の登場ってな。大丈夫か?」 「は、はい!」 原田が来てくれただけでも全然違う。千鶴は突然の味方の来訪を心から喜んだ。庇うように千鶴を背にしてくれた原田に甘えて、原田の背後から千鶴は不知火をにらみつけた。 「警官ってのは無粋なんだな、こっちは旧知の人物とようやく再会出来たってのによ」 「その割りに、相手は喜んでねえみてえだけど?」 原田が確認するように千鶴を見る。千鶴はそれを大きく頷いて肯定した。 「コイツ、誰だ」 ぼそっと尋ねられて、千鶴は小声で原田に答える。 「借金取りです。父さんと私にいつもついてきて、この人たちのせいで、私たち家を追われることになって」 「待て待て、勘違いすんなよ。俺は一言も自分からお前らに借金取りとかいった覚えはないぜ」 不知火が面白そうに口を挟んだ。地獄耳のようだ。会話を中断されて眉を顰めたのは原田だった。 「ってーと、何か? あんたらは千鶴のお客さんだとでも言い張るつもりか?」 「少なくとも、そこのお嬢ちゃんの認識は間違ってるってことだな」 「お前の認識も間違ってるな、この男子校の制服を着ている奴のどこがお嬢ちゃんだ?」 原田の逆の問いかけに、不知火は肩を竦める。 「おっと、こりゃ失礼。だがまあ、知らないってのは随分といいことだな。せいぜいごっこ遊びを満喫しな」 そして不知火は懐に手を入れた。警戒した原田がより千鶴を守ろうと盾になるため身体を張る。 不知火が懐から取り出したのは、黒塗りの光沢が光る拳銃。 「伏せろ千鶴!!」 原田に庇われて千鶴が地面に倒れこむと、不知火がその拳銃のトリガーを引いた。 ぽひゅ。 間の抜けた音と共に万国旗が飛び出て、それは原田の頭に命中した。やり取りに気付いて公園から視線を向けていた子供たちが、歓喜の声をあげる。だが、当の本人たちである原田と千鶴は呆然としかできない。 「すっげー! 手品だ手品!」 「おじちゃん、もう一回やって〜!」 「こらクソガキ! 誰がおじちゃんだ! ガキはあっちで遊んでろ」 そして子供は不知火に駆け寄ってくる。不知火はそれを軽くあしらうと、千鶴にもう一度目を向けた。 「じゃあな、お嬢ちゃん。これは俺からの餞別だ。また会おうぜ」 不知火が千鶴に向けて投げたものは何かの入った大型封筒だった。そしてひらひらと手を振って何事もなかったかのように立ち去っていった。 「……なんなんだ、アイツ」 「……何なのでしょうか」 呆れて溜息をついている原田に答えられる言葉を、千鶴は持ってない。仕方なく餞別だと言われて渡された封筒を拾い上げる。何だか少し分厚い。中身をチラッと見てみたが、書類らしきものが入っているだけだった。 「なんだそりゃ、危ないものとか入ってねえか?」 「それは大丈夫みたいです……でも」 クリップで留められている書類の束を取り出して、表紙のタイトルに首をかしげた。 「新薬研究レポート?」 ワープロ字で書かれたそれに付け加えるようにして、下には手書きでこうも記されていた。 「変若水計画」 変若水とは、飲めば若返ると言われる水だ。日本神話や古典の授業などで出てくる句にもたまにある名詞である。しかし、この字は見覚えがあった。 「父さんの字……どうして」 カルテを書く父の字同様、急いで書かれているその字は千鶴が長年見続けてきた父の字だった。どうして父がこんなものを、そう思って、ぺらぺらとめくってみる。 「千鶴、何だ。何が書いてあるんだ?」 「……新しい薬の、研究事例です。製造方法とか、実験結果とかそういうのみたいですけど」 何故、不知火がこれを千鶴に渡したのかが解らない。千鶴は頭を捻りながらも、それを封筒に戻した。後でまた見ようと思ったのである。 「おう、お前ら。んなトコでどうしたよ」 タイミングよく戻ってきた新八が、自転車を止めて原田の倒れている自転車を立ち上げた。千鶴は新八に頭を下げて、持っていた封筒を買い物袋の中に無理やり詰め込んだ。 「ああ、いや……ちょっとな」 原田は新八にどう説明しようか考えているのだろう、言葉にならなかったらしく結局は語尾を濁す。新八もその様子には気付いたようだったが、千鶴と原田を見比べてから肩を竦めた。 「原田さん、助けていただいてありがとうございました」 「気にするな、困ってる人を助けるのが俺たちの仕事だからな」 千鶴は微笑んで頭を下げると、買い物をした荷物を持って、今度こそ道場へと向かった。 「千鶴ちょい待て。新八、悪いが千鶴道場まで送ってやってくんねえか。俺はここら辺片付けておくからよ。千鶴の荷物もだいぶ重そうだからな、持ってやってくれ」 そして原田は千鶴に目配せする。先ほどあんなことがあったばかりだ、断るなよ。という無言の意思を感じ取って、千鶴も素直に頷いた。新八はやはり何も言わずに快諾してくれる。 「ああ、別にかまわねえぜ。んじゃ、行こうぜ、千鶴ちゃ……千鶴」 「はい」 そして買い物袋を半分持ってやった新八は先だって歩き出す。慌てて追いかけた千鶴の買い物袋から、ひらりと何かが舞ったように見えた。千鶴が落とした一枚の紙切れ。それを原田は拾い上げて、眉を顰めた。 「なんだ、これ……」 千鶴が落としたものは写真だった。恐らく、封筒に入っていたものなのだろう。原田が思わず呟いたのは、そこに写っていたのは千鶴らしき少女の姿、そして千鶴とまったく同じ顔をしたもう一人の子供だった。 追いかけて渡すかどうか考えてから、原田はそれを制服の胸ポケットにしまった。何故だか嫌な予感がして、千鶴を追いかける気にはなれなかった。 → 20090819 七夜月 |