師範



「雪村君、本日の君の予定を聞いても構わないか?」
 今日は快晴の日曜日、縁側に座っていた近藤にお茶を渡すと同じくしてされた質問に、千鶴は笑顔で答える。
「特にはありません。何か買出しでしょうか?」
「いやいや、そうじゃないんだが。良ければ少し付き合ってもらえんか」
「はい、構いませんよ」
 それは良かった、と近藤は茶をすすり美味いと頬を緩めた。それは良かったです、と千鶴も頬を緩めてしばらく二人で庭を眺める。
 今日はのんびりした気分だと千鶴は胸がほこほこする。近藤といるといつもこんな気分になる。何故だろうか。
「ところで、どこにお供すればいいんでしょうか?」
「そう遠出するわけじゃない。少しこの家の周りをぐるりと散歩したいんだ」
「はあ、散歩ですか」
 散歩に付き合えといわれているのだ。確かに買い物などではないが、それに千鶴が付き合う意味なんて何かあるのだろうか。
「散歩は嫌いかね?」
 近藤が困ったようにそういうものだから、千鶴は無意識に口走っていた。
「いえ、大好きです」
「それは良かった。ではこれを飲み終えたら行こうか」
 そしてまたのんびりした時間が流れ出す。近藤は普段、こんな緩やかな気配を出したりする人間じゃない。師範と呼ばれるに足る大きなオーラを背負いながら、土方と共に怒号を飛ばして剣技を教えているのだから。このまったりした空気を出しているのは、こうして縁側に座っているときだけ。きっと近藤にとってもこの時間は代え難い大事なものなのだろう。
 リラックスする時間なので、よりリラックスできるようにとお茶を出しているが、それが彼のためになっていればいいなと千鶴は思う。
「やはり美味いな。雪村君の淹れてくれた茶は美味い」
 嘘のつけない近藤がそう褒めてくれる瞬間が千鶴にとってもリラックスできる時だ。
「ありがとうございます」
 のんびりとした雰囲気を崩さないように近藤の隣で正座した千鶴は彼が飲み終わるまで、隣で微笑み続けながら待っていた。
 それを見ていた居間の一人が、思わず口に出す。
「なんなのあそこの二人。なんであそこだけ世界が違うわけ?」
「緩過ぎるくらいにのんびりとしているな。いいことだ」
 同じく千鶴が淹れた茶をすすりながら、斎藤が答えた。最初に突っ込んだ平助の矛先が、斎藤へと向かう。
「良いことかな!? オレらの一応道場主じゃないの!?」
「平助、いまどきはギャップ萌えってのが流行ってるらしいぜ」
「何それ?」
 原田から言われた言葉の意味が本当に解らなかったのだろう。平助の眉は顰められている。そこに水を差したのが、沖田だった。
「あはは、何平助。もしかして妬いてるの?」
「あー、そりゃお前近藤さんには勝てねえよ。なんだかんだでガキと老人には好かれるから、近藤さん。お前勝負にもなんねえな」
 煎餅をバリバリ頬張りながら口を挟む新八。
「なっ、ちっげーよ! つか、意味わかんないから!!」
「別に照れなくてもいい」
「一君まで悪ノリするわけ? 大体さ、皆こそ千鶴のことどう思ってんだよ」
 平助に食いつかれて、原田は頭をかいた。
「どうって言われてもなあ。まあいい子だろ、普通に」
「普通じゃねえよ、めちゃくちゃいい子だろ」
「そうだね、とってもいい子だね」
「総司が言うと含みを感じるが、まあいい子だな」
 四者択一、それぞれ決まったようにそう答えた。平助の顔は歪む。
「大人ってきったねえ」
「年少者が年長者に勝てると思うなよ?」
「あー、その辺にしておいてやってくれ。雪村君が照れている」
 近藤が咳払いをして笑いを堪えながらそういうものだから、揃って視線が千鶴に向かった。耳まで真っ赤にしている千鶴を見て、言っていた男たちも数人を除いてにやりと笑う。
「千鶴ちゃんって本当に可愛いよね、そう思うでしょ左之さん」
「ああ、女の子はこれから綺麗になるからな。今がこんなに可愛いんだから将来が楽しみだな」
「今でも十分だけど、ぶっちゃけ外とか気をつけろよ? 男装とか関係なく、お前の雰囲気に悪い奴が寄ってくるかもしんねえし」
「本当だよね、世界で一番可愛いよね」
「それはいちばん嘘くさいですよ、沖田さん」
 最後だけ千鶴から冷静に突っ込まれた沖田は肩を竦めた。しかしその目は笑っている。
「本当なのになあ、一君はどう思う?」
「可愛いか可愛くないかの論議で言うなら、可愛い部類に入るだろうな」
「一君、それはちょっと……幾らオレでももっと言い方考えるよ」
 平助から冷静に意見を述べられて、斎藤は首を捻った。
「何か問題があったか?」
「そこは普通に可愛いでいいじゃんか! いちいちそんな回りくどくしなくても」
「そういうものか」
「そういうもんだよ、斎藤も平助と同じように女心勉強しなきゃだな」
 原田が苦笑交じりに言うと、斎藤は少し考える素振りをしてから、顔を上げた。
「雪村」
「は、はい」
 若干何を言われるのかと緊張した千鶴だったが、しばらく斎藤と二人見つめあう。ただし、間に漂うのは微妙な緊張感であったが。
「お前は可愛い」
 ストレートだった。
「あ、ありがとうございます」
 ストレートだった分、いちばん千鶴のストライクゾーンに入ってきたのは言うまでもない。ポンっと茹でだこのように一気に顔を赤くした千鶴を見た皆が、堪えきれない笑い声を上げた。


「すまなかったな、気分を悪くしたりはしていないかい?」
「全然大丈夫です、からかわれているのは慣れていますから」
 車が通らない歩道を歩きながら、近藤がそう千鶴に尋ねた。とはいえ、通勤通学時間帯でなければ、基本的には住宅街だから車による騒音も少ない。緑が多いし景観が綺麗、なんて観光地とは違うけれど、千鶴はこうしてここら一帯を歩くのは嫌いではない。それに、近藤と他愛もない話をするのは好きだから、好きなこと尽くしで幸せだな、と感じる。
「君が来てからと言うもの、家の中も随分と明るくなった。君のおかげだな、本当に感謝している」
「えっ、そんな! とんでもないです、私こそお世話になりっぱなしで本当に申し訳ないと思っています」
「いいや、どうか謝らないでくれ。最初は無理にでも引き止める形になってしまって、こちらこそ申し訳ないと思っていたのだが、君が来てから多くのことが助かっているんだ」
「私のほうこそ感謝でいっぱいです。近藤さんが私を助けてくださらなかったら、路頭に迷っていたところでした」
 冗談で済む話じゃなく、本当なのだから千鶴は下げた頭が上がらない。
 だが、近藤は苦笑して首を振り続ける。
「うちには曲者が多いだろう。君に世話を一任する形でだいぶ手を焼いているのではないかと思っているのだが…皆君と居ると楽しそうだ。本当にありがとう」
 何故だかいつもと違う、直感的に千鶴は感じ取って口を閉じて首を振った。
「君をこうして誘ったのも、どうしてもお礼が言いたかったからなんだ」
 近藤は再び真っ直ぐと道を歩み始めたので、千鶴もその隣を大人しく歩く。何故だか彼の背中は広くて、そして遠くに感じた。
「俺は家を空けることが多いだろう? 昔は道場に引っ込んでいたんだが、年とともにどうしても事務的な仕事も多くなってな。先代から譲り受けた道場だ、それが嫌なわけではないんだが……。ただやはり以前に比べたらなかなか総司たちの鍛錬に割ける時間は減ってしまったように思う」
 沖田や斎藤、そして平助たちが近藤から手ほどきを受けなくなったのはある意味、必然的な時間の流れだったのかもしれない。千鶴はそう感じていた。時はいつまでも止まっている事がないからこそ、人は成長するのだ。それと同時に子供の頃と違う時間もまた、大人になれば流れ出す。今は千鶴はその境目の時を過ごしている。子供の頃には戻れないし、大人の時間も過ごしていない。どちらつかずだから、見えるものもある。
「平助と総司は、学校ではどうだ? 二人とも元気でやっているだろうか。ちゃんと学んでいるか?」
 家に居るときとは違う二人の姿を、近藤は知らないのだ。それを知っているのは学校関係者の土方と山南くらいで、本来ならばそういった類の話は夕飯時にでも皆でするものなのだが、近藤はいつもその輪には入れない。
 忙しい人なのだ。千鶴も彼の忙しさはわかるし、それによって彼が感じている寂しさもなんとなく理解してしまった。きっと皆とご飯が食べられない近藤は、一人で食事を取っているのだろう。一人はとても寂しい、父が忙しくなるたびに一人の食卓をいつも味わっていた千鶴は、なおのことその気持ちがわかった。
「お二人ともお元気ですよ。平助くんは元気がありすぎて、時々学校でも土方さんに怒られています」
「ああ、目に浮かぶな。あまりはしゃぎ過ぎないように、君も見ていてやってくれ」
「ふふふ、はい」
「総司はどうだ? あいつは頭がいいんだが、それがいつも悪知恵ばかりに働いて、授業をサボったりしているんじゃないか?」
「学年が違うので沖田さんのことはよく解らないですけど、でもちゃんと勉強しているみたいですよ。この間の模試の結果が掲示板に貼られていたんですけど、沖田さんの名前上位で見かけました」
「ははっ、そうか。ちゃんとやっているならいいんだ。総司もうちで預かっているんだが、あいつのお姉さんと約束をしていてな。文武両道が両立できなければ、即刻に家に連れ戻すと。彼女は怒らすと怖いんだ、実力行使に出る。あのトシも頭が上がらないんだぞ」
「土方さんもですか?」
「ああ、彼女は俺たちの弱点だな。誰も彼女には頭が上がらない」
 誰も居ないのに妙に小声になって辺りを気にしながらそう言った近藤に、千鶴はくすっと笑った。どうやら沖田の姉が怖いのは本当らしい。
「あの、沖田さんや土方さんと、どれくらいご一緒なんですか?」
 ふと思いついて千鶴が問いかけると、近藤は少し目を細めて考えるように手を顎に置いた。
「だいぶ長いな。初めて会ったときは総司がまだ五つか六つくらいの頃だ。近所に住んでいてな、ある時お菓子をやったら懐かれた」
「沖田さんがお菓子?」
 まさか、といいたくなったが、小さな頃は甘いものが大好きだ。沖田も例外ではなかったのかもしれない。
「ああ、どこにでも売っているお徳用のチョコレートなんだが、どうも気に入ったらしくな。それからちょろちょろと道場に顔を出すようになって、剣を教えたんだ。あいつは天才だな、その才能を伸ばし続けたよ。教えているこちらが驚いた」
 沖田の強さは学校でも噂だ。残念ながら千鶴は直に見たことはなかったが、凄いのだろうということは他の人の話からも解る。
「トシとは、もうその頃は一緒に道場の看板を背負っていたんだが、二人揃ってあいつの将来が楽しみでな。どうしてもうちに欲しくてあいつの母親に頭を下げに行ったよ。三日三晩、絶えずな。本人は乗り気だったんだが、姉のミツさんだけは最後まで反対していた。当然だろう、大事な弟を道場に預けるんだ。どんな怪我をするかもわからないし、危ないことも多いと思っていたんだろう」
「そう、ですね。武術は怪我が付き物ですから」
 千鶴も護身術を習っていたが、それでも怪我をしないで毎日練習、というわけには行かなかった。どんな小さなことだって、受身を取って失敗すれば大きなあざが出来たし、投げられた打ち所が悪くて脳震盪を起こしたりもした。最初のうちは特にだ。武術は習ってから慣れるまで、怪我との付き合いになる。身体で覚えるのだから、それもある意味では当然なのかもしれない。
「それでもようやく彼女から了承を得て、総司をうちの道場に招いた。あいつが十歳になる前だったと思う。それから毎日トシと一緒に総司をしごいて、今じゃあいつが看板を背負ってもおかしくないくらい、成長してくれた。兄弟子としては嬉しい限りだ」
 近藤が誇らしげに言うので、千鶴は微笑んでしまった。近藤は嬉しいのだろう、沖田の目に見える成長が。千鶴にもそれは伝わってきた。
「だが、あいつは無理をしすぎているんではないかと、思うようになった」
 急に声のトーンが落ちた近藤。千鶴もその言葉に心当たりがあって、俯いた。沖田は病気だといっていた。治ったとも言っていたが、何のかまでは解らないその病気が重かったのはなんとなく察せられるのである。
「雪村君にこんなことを頼むのは筋違いかもしれないが、総司が無理をしないか、見てやってくれないか。トシにも限界があるし、これ以上トシに負担をかけることは出来ない」
 真剣な近藤の顔に、千鶴も頷き返した。そんなことくらいならお安い御用だ。
「あと、トシもだ。あいつは総司と別の意味ですぐに無理をする。だから、適度に休息を取らせてやってくれ。休ませてやって欲しい」
「……はい、わかりました」
 土方は常に気を張っている。仕事でも、家の中でも、己が規律という形を取らなければ、きっとこの男所帯を纏め上げることが出来なかったのだろう。だから、土方はいつも気を張り続けている。近藤から千鶴はそう聞いた。
「雪村君のお茶は美味いからな、お茶を持っていくだけでもいい。きっと全然違うぞ」
 近藤からの笑顔の太鼓判を受け取って、照れるやらなにやらで、千鶴は微笑んだ。
「心配なんだ、あの二人はいつも俺のためにしてくれているから、もしも俺がいなくなったら、奴らはもっとひどく無理をするんじゃないかと。俺はそんな、大層な男ではないのにな」
 それは違う、と千鶴は首を振る。近藤のカリスマ性は他の人には真似できない。彼は優しい人だ、こうして気遣っていつもみんなのことを考えている。慕われる理由がある。それは近藤の存在そのものであり、千鶴もそうして慕う人間の一人だ。
「皆、近藤さんが好きなんですよ」
「……ありがとう、雪村君。やはり君がきてくれて良かった」
 とても穏やかに近藤は笑った。嬉しそうだった。慕われているというのが、照れくさいようなそんな笑顔で、近藤は笑った。そんな近藤を見るのは初めてで、千鶴も嬉しくなった。
「あの二人を…道場の皆を頼む」
 どうしてそんなことを急に言うのだろう、目を瞬かせた千鶴に、近藤は笑い返した。
「何故だろうな、今言わなければならない気がしたんだ。君には伝えておきたかった」
 より一層、わからない。首を捻った千鶴に近藤は俺も解らんのだ、と口にして笑った。


 





   20090911  七夜月

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