自覚



「自分が悪いことをした自覚はあるんだろう」
 そう言った斎藤の言葉にニヒルに笑ったのは自分。
「傷つけたところで何も変わらないよ」
 元から、誰も自分のことなんか気にはしていないのだ。
「本当にそう思うのか? だとしたら……」
 抑揚のない声。斎藤の声は、言葉は普段と変わらない。
「見損なったぞ、総司」
 今までで一番、何よりも冷たく響いた。

「あっ……」
 千鶴が玄関で靴を履いている沖田を見かけて、声をかけるかどうかためらっていると、沖田は千鶴のことなんか目にも入っていないように何も言わずに出て行ってしまった。
 千鶴と平助、それと沖田の三人でいつも登校していたのに、沖田はここのところずっと単独行動をしていた。誰もを避けるように、特に土方と千鶴を避けるように。
「また先いっちまったんだな、総司君の奴」
「うん、いってらっしゃいが言えなかったよ」
「気にすんなよ。明日は言えるかもしんねーじゃん」
 平助の慰めの言葉に、千鶴は頷いた。今日は駄目でも明日は言えるかもしれない。そのとおりだ。今日の失敗は明日に生かせばいいのだ。またもしかしたら無視されるかもしれないけれど。
「ここで考えててもしょーがないしさ、朝飯にしようぜ」
 平助の優しい提案に千鶴は甘えた。食卓は徐々に人数が戻りつつある。そう、沖田を抜かせば皆食卓にそろいつつあるのだ。
「おっ、美味そうだな」
「へー、今日も凝ってんな。食うのが楽しみだぜ」
「師範代ももうすぐ戻ってくるはずだ」
「なら、ご飯よそっておきますね」
 そんなことを話していたら、相変わらず静かな足音で現れた土方が食卓に並ぶ和風の朝食を見て、眉間に寄せていた皺を伸ばした。
「うっし、我らが師範代も揃ったことだし! 飯にしようぜ!」
 新八の元気な声が音頭となり、全員が手を合わせていただきますと告げた。それからおかずの争奪戦が繰り広げられる中、千鶴は死守したおかずをご飯にしながら食べていると、視線を感じて土方の方を見る。やはり、千鶴をジッと見ていたのは土方だったらしく、目が合った瞬間により一層力強く見られた。何かしてしまったのかと焦ったら、土方の口から出たのは特に変哲のない言葉だった。
「特に変わったことはねえか? 体調面でもなんでも」
 先日の風間の一件以来、土方が千鶴を見守ってくれているのはなんとなくわかるようになっていた。厳しいからそれを表に今までも出そうとはしなかったのだろう。だから、気づけるようになったのは、千鶴も土方という人間を知るようになったからだ。
「大丈夫です、ありがとうございます」
「総司にまたなんか言われたら遠慮なく言え」
「それも大丈夫ですよ」
 何かを言われることすらない状態なのだ。大丈夫の意味合いを込めて笑顔を作ると、別のほうから視線を感じた。一つは平助でもう一つは。
「…………?」
 斎藤だった。彼がジッと見つめることも今までないことではなかったが、今日の視線はいつもと違った。千鶴が斎藤へと視線を向ける前に、千鶴に向けられていた視線は外された。
 斎藤が意味深な視線を向けるなんてことは今までなかっただけに、その意味を図りかねて千鶴は首を捻った。

 千鶴の頭を悩ませているのは沖田だけのことではない。風間から聞かされた情報も、千鶴の中で組み立てなければならないピースである。足らないだらけのピースでパズルを組み立てるのは無理だ。そのピースをどんどん集めていかなければならない。千鶴は風間に見せた資料にもう一度自分で目を通した。「変若水計画」とは? 何度読み込んでも、気分のよくなるものではない。それでも読まなければ父親がしようとしていたことが何も見えてはこないと思い、タオルで口を覆って読んでいると、ワープロ書きの他にたまに自筆で付け加えられた文字があるのを見つけた。
 これも綱道の字だった。書いてあるのは「良好」「不調」などの一言だけだ。各患者のページに書いてあるのだから、その患者の状態かとも思ったのだが、全員の患者に書いてあるわけではない。なんだろう、と思っていると、その字が一ヶ月に一度だけ書いてあることに気づいた。暗号のように謎が潜んでいると感じた千鶴は暫く悩んだもののやはりわからずじまいで頭を抱えた。こういう頭脳プレーは得意でも不得意でもない。平凡な知識しか存在しないのだ。
「相談してみようかな」
 とっさに浮かんだのは土方だった。土方ならわかるというわけではないが、こういうときに頼りになるのは彼だ。
 思いついたら足は止まらなかった。本を持って部屋を出る。土方の部屋に行こうと居間を通り抜けて廊下を歩いていたら、沖田の部屋のドアが開いて偶然にも沖田と鉢合わせした。
「あっ……」
 まともに目が合って、何を言えばいいのかわからず、一瞬で頭が真っ白になる。また無視されたらどうしようとか、そんなことばかりが浮かんでしまって言葉を告げられない。
「あっ、どこか…お出かけ、ですか?」
 不自然にも区切ってしまった声は震えてはいなかっただろうかと千鶴が沖田を見上げると、沖田の顔には何の表情も浮かんでいなかった。
 無関心なのだと、千鶴は思った。それがひどく寂しかった。
「君に関係ある?」
「ない、です。すみませんでした」
 やはり、引き止めるべきではなかったのだ。また怒らせてしまったのだと後悔したが、このままだと朝の二の舞だ。せめて、言えなかったことを言おうと、千鶴は笑顔を作った。
「あの、いってらっしゃい。気をつけてくださいね」
 何も言わずにふいっと顔を逸らして千鶴が来た方向へと足を向けた沖田の後姿に、千鶴は消え入りそうな声で告げた。
「早く、帰ってきてください。待ってますから」
 もしかしたらこの言葉は重荷になるかもしれないと言ってから気づいたのだが、言葉にしてしまったらもう遅い。聞かなかったことには出来ないのだから。
「……なんで」
 そしてその言葉が沖田の心の何かしらの引き金を引いてしまったのはわかった。立ち止まった沖田は振り返ると千鶴の腕を掴んで自分の部屋へと連れ込んだ。
「いった……!」
 あまりに強い力で抵抗する力すら沸かなかった千鶴は沖田の行動が理解できずに目を丸くして彼を見る。
「なんで、君はそうなの?」
 冷笑とでも言うべき笑みを浮かべて、千鶴を檻に閉じ込めるように、沖田は部屋のドアと自分の隙間で挟んだ。
「中途半端な優しさってさ、時に残酷だよね。僕のことなんか放っておけばいい。なのにどうして君はそうなの?」
「何が…ですか?」
「君の特別は誰でもない。でも、君を特別に想う人間はたくさんいる。君はその人間たち皆に優しい」
 言われている意味がわからずに、千鶴は閉口した。沖田らしからぬほどにまくし立てる言葉の羅列は、残念ながら千鶴にその意味までもは伝えない。
「けど、君も最後に選ぶのはきっと土方さんだ」
「え?」
「今も、土方さんの部屋に行こうとしてたんだよね、それくらいわかるよ。君も土方さんを頼るんだ、近藤さんと同じように。僕はいつも、あの人に勝てない。なんでなのかな?」
 沖田が千鶴を閉じ込めた腕の一つを振り上げて、千鶴の真横を拳で叩いた。
「中途半端な優しさなんか僕はいらない。そんなものを与えられるくらいなら、僕に近づくな」
 そして一息ついて、沖田はまるで懇願するように千鶴の肩に頭を乗せた。
「頼むから、近づかないで。君も傷つけられるのは嫌でしょ? 僕に関わらなければ、傷つかずに済むよ」
 なんでそんなことを言うのだろうと思った。だけど、千鶴はその理由はまったくわからない。沖田の言うとおり、千鶴は土方を頼っていた。だけど、土方を頼るのと他の人間を頼るのはまた話が別だ。
「沖田さんは、私を傷つけたかったんですか?」
 千鶴の静かな問いかけに、沖田は無言で答えた。
「沖田さんがたくさん酷いことを私に言ったのは、私から沖田さんを引き離すためですか?」
 それも無言で答える。
「だったら、私、変われないです。沖田さんがいくら私を傷つけようとしても、たぶん変われないんです」
 沖田さん、前に言ったじゃないですか。
 千鶴はそうポツリと漏らした。
「腫れ物に触られるような態度は嫌だって。私は一度聴いた言葉は忘れません。だから守りますよ」
 千鶴にとってどんな態度を取られても変わらないという意味だった。そういう意思表示だ。
 沖田がただ優しい人だという認識はなかった。どちらかというと飄々としてていたずらが好きで、ちょっと笑顔が怖かったりして、そんな中で千鶴が一緒に暮らしているうちに見つけた沖田の優しさを知らなかったことにはもう出来ない。
「沖田さんが私を嫌いになったら、本当にうざったいと感じたときは、沖田さんの望むようにします。だけど、まだ沖田さんは私を心配してくれてるの知ってしまったので」
 自然と声のトーンが高くなった。嬉しさがにじみ出たのが恥ずかしい。けれどもそれは隠せない。嫌われたわけではないのだと思ってもいいのだ。自分にそう言い聞かせる。
「本当、君ってさ……」
 沖田の顔が困ったように歪んだ。だが、その刹那、急に身体を折り曲げて、咳をし始めた。
「ごほっ……ごほごほ!」
 離れていろという意思表示か、千鶴の肩を強く掴んだ沖田はすぐさま千鶴を自分から引き離し、背を向ける。
「沖田さん……っ!?」
「近づかないでくれる? 大丈夫だから」
 無理にでも咳を止めたのか、苦しげな表情を硬くした沖田の背中をさする手を、沖田は振り払った。
「……出かけてくる」
 深呼吸を繰り返した沖田は千鶴にそう告げた。だが、こんな状態の沖田を一人で出かけさせるなんてこと、千鶴に出来るわけがない。
「どこへですか?」
「ちょっとそこまで」
「ご一緒します」
「いらないよ、迷惑だからついてこないで」
「嫌です、ご一緒します。そんな状態なのに、一人になんて出来ません」
 苦々しいといった具合に表情を歪めた沖田に一歩も引くものかという意思表示のもと、千鶴は彼を見返した。
 すると沖田は言っても無駄だとでも思ったのか、千鶴から十分に距離をとると「病院」と呟いた。
「病院だよ、だから君が来る必要なんてない。適当にそこら辺でタクシー捕まえるし」
 病院と聞いて、千鶴も押し黙った。本当に病院なのかどうかは計り知れないが、彼が今千鶴に嘘をついているとは表情からも思えない。千鶴が迷ったその隙を逃さず、すぐさま踵を返して沖田は玄関へ向かう。
「あっ、待ってください!」
 あわててそのあとを追いかけていくと、沖田はもうすでに靴をはいていた。この道場の人たちは大方そうだが、今日の沖田は特に機敏な行動だ
「じゃあね、千鶴ちゃん。いい子で待ってたらお土産買ってきてあげるから」
「そんな、お土産よりも沖田さんの方が……!」
「困ったな、あんまりにも聞き分けないと」
 靴を履き終えた沖田は振り返りざま、何かものすごいいたずらを思いついたような表情で、千鶴を見た。ヤバイ、と直感的に千鶴が感じ後ずさったのを逃さず、千鶴の腕を掴むとその耳元に口を寄せた。
「お喋りな口を塞いじゃうよ?」
 それってどういう意味ですか?まさか…と千鶴がうろたえたのを明らかに面白がってみていた沖田は、「じゃあね」と手を振って出て行ってしまった。
「沖田さんっ!」
 千鶴の声も聞こえないふり、ぴしゃりと引き戸を閉めた沖田は戻ってこなかった。
 千鶴は今の沖田に遊ばれた疲れからか、ため息を深く吐くとその場に崩れ落ちた。沖田と話しているとなんだかすごく疲れる。緊張するのだ、一時も気が抜けない。
「総司は行ったか」
「さ、斎藤さん!」
 気配なくやってきた斎藤に後ろから話しかけられて、またも驚かされた千鶴はぎょっとしながら振り返った。
「何をそんなに驚いている」
「いきなり後ろから話しかけられたら誰だって驚きます!」
「そうか、それはすまない」
 と謝りつつも、斎藤の目は行ってしまった沖田を追っていた。
「総司と仲直りできたか」
「え? いえ、よくわかりません。どうなんでしょうか……」
 言われてみれば確かに普通に話は出来ていたけれど、仲直りなんてしたのか。というか、喧嘩自体していたつもりはないのだけれど、千鶴にとってみればすべて沖田の影響を受けていたに過ぎない。
「総司もわかってはいるんだろう。あいつの態度がただの八つ当たりでしかなかったのを。だが、八つ当たりを止められないほどに、荒れていた。それだけあいつにとって近藤さんの不在は大きなことだ」
 それに関しては理解も出来るし、納得もしている。確かに八つ当たりされたというのは千鶴もなんとなくわかってはいるのだ。けれど、不快に思ったわけではない。こういう状況になってしまったのが、ただひたすらに悲しかった。
 考えれば考えるほど気分が暗くなってきたので、千鶴はわざと話題を変えた。
「斎藤さんもどこかお出かけですか?」
 わざわざ玄関にくるのだから、千鶴は道をあけて斎藤に譲る。すると、斎藤は何故か沈黙をしてから踵を返した。
「特に出かける用事があるわけではない」
「へっ?」
 なら何故この場に来たのだろう。千鶴が首をひねると、何故か決まり悪そうに斎藤は動きをぎこちなくさせる。
「部屋に戻る」
「は、はい……」
 なんだったのか、いったい。斎藤の真意が汲み取れずに頭を抱える千鶴だった。

「やはり……進行している」
 医者から言われた言葉に対して、沖田は別段驚きも悲しみもしなかった。やっぱり、という感想だけが胸に残った。
「先日の検査入院との結果を照合しても、君にとっていい結果ではないのは確かだな」
「そうですか」
 沖田はこの医者のあけすけなところがわりと気に入っていた。下手に押し黙られるよりも全然いい。本人に隠し事をしてそれがためになると思っている医者など、沖田には不要だ。
「やだなあ、また入院しなきゃいけないんですか。今度はどのくらいになるんですか」
 冗談めかした沖田の言葉に、医者は苦渋に満ちた表情をする。
「わからんな……治療法が確立していない今、何を言っても気休めにしかならんだろう」
 どこまでも正直な医者の言葉に、沖田は苦笑する。
 ようやく帰ってこられた場所を、もう一度捨てる覚悟を決めなければならないのだ。わかっているつもりではあったが、そう簡単には納得できないのが現状だ。
 近藤が大変な今、だからこそ余計に道場を空けるなんてことをしたくはないのだから。
「先生、僕の病気のこと、土方さんにはまだ言わないでくださいね」
「伝わるのは嫌なのか?」
「ええ、あの人にこれ以上余計なことしてもらいたくないですから」
 素直に心配掛けたくないとはいえない。沖田の精一杯の強がりだから。
 それに、と沖田の胸の中にもう一人の顔が浮かんだ。
「まだ知られたくない子がいるんですよ」
 もし沖田の病気を知ったら、腫れ物扱いしないとは言いつつも、きっと心配して気にかけ続けるだろう。
 心配し続ける顔を見るのは楽しくない。
「……あまり長くは待てんぞ。早急に治療法を見つけるためにも、入院してもらいたい」
「わかってますよ。だから、あと少しだけ時間ください」
 残された時間は僅か。自分がどう生きていくか納得できる答えを見つけるためにも、もう少しだけ時間がほしかった。
「それとな、吉報になるかはわからんが…松本先生がこの町に戻ってくる」
 その朗報に沖田は目を瞬かせた。不思議なことではないが、戻ってくるにせよずいぶん遅いご帰宅である。
 当初の予定よりも大幅な遅れではないだろうか。
「へえ、じゃあまた診療所も再開するんですか?」
「おそらくはな。君にとって、かかりつけの医師みたいなものだろう。教えておこうと思ってな」
「それはわざわざどうも」
 松本医師が帰ってくると聞いても、沖田はあまり気分がよくはならなかった。
 最初の約束だった。頼るべき松本医師が戻ってくるまで、あそこで近藤さんが預かるという話になったのは。
「どうするつもりなのかな、あの子」
「なんだ」
「いえ、なんでもないです」
 どうするつもりであろうと、決めるのは千鶴自身。沖田は余計な口出しをすまいと決めて、診療室を出た。


 





   20091228  七夜月

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