幻相



「ふーん、それなりに形は出来てきてるみたいだね」
 学校の帰り間際、正門付近に集まって作業をしている学生たちの姿を見て、沖田がそう呟いた。それに答えたのは千鶴ではなく、平助。
「また今年もこの季節がやってきたって感じだよなー。総司君とこは何すんの?」
「さあ?」
「さあ?って……本当に相変わらずこういうのに興味ないよね。クラスの人たちも可哀想に」
 眉をひそめる平助に、沖田は肩をすくめた。
「実際興味ないしね。でも、他の人たちも『沖田君はただ居てくれればいいから』って言ってたし」
「それって完全に当てにされてないじゃん!」
「別にいいよ」
 と、二人が会話をしているのを半歩後ろを歩いていた千鶴は聞いていたのだが、そんな千鶴を二人揃って振り返った。
「なんか大人しいけど、どうしたの?」
「あっ、いえ! その、こんな大掛かりな学園祭っていうの自体が初めてなので……というか、交流祭ですよね」
 学園祭とは言え、普通の交流祭から考えたらかなり大きな規模の仕掛けだ。(あくまで千鶴の中の基準ではあるが)
 千鶴はひそかにわくわくしていた。こんな風にみんなで何かを作り上げる機会なんて一年に一回あるかどうかだ。そう、まさにその一年がやってきたのだ。だが、それと同時に戸惑いも感じる。千鶴のいた元の学校は文化祭でもあまり大きな出しモノなんかはやらなかったし、展示とか発表と言ったのが基本だったのである。
「どんなものが出来上がるんでしょうか?」
「そんなの出来上がってみないとわからないよ」
「うちのクラスは喫茶店だしな。つーか男ばっかで喫茶店てのも味気ないつーの」
 平助は鞄を頭の後ろへと持って行きながら文句を告げる。そんな平助を見て沖田は笑った。
「いっそ女装喫茶でもやったら?」
「千鶴はともかくオレらがやって何が楽しいんだ」
 半眼になった平助に、千鶴はあわてて口を出す。
「ぼ、僕がやるのはいろいろと問題が……」
「あはは、でも見てみたいなあ、君の女装姿。きっとかわいいよ」
「総司君、この間千鶴に言ってたセリフ覚えてる?」
 沖田は平助にジト目で見られても、どこ吹く風といった具合にあっちの方向を見ている。散々ひどいことを言った件については、当人同士での話し合いにより決着がついている(と、解釈している)、そのため無視だ。それをフォローするかのように、千鶴が口をはさんだ。
「あの、平助くん。あの時のことは僕は気にしてないから」
「そうそう、ちゃんと謝ったし。……もう言わないよ」
「当たり前だっつーの! あんな傷つけようとする言葉、痛いのは言われた本人はもちろん言った本人はもっと痛いんだから」
 平助のその言葉が意外だったのが、沖田は足を止めて平助を見た。千鶴はなんだか自然と笑みを浮かべて、平助と沖田を交互に見た。
「……なんだよ」
「いいや、平助って実は僕のことすごい好きだった?」
「ばっ、そんなこと聞くな!」
「え、なんで顔赤くしてるの? もしかして図星? ごめん、僕ノーマルだから男はちょっと……」
「はぁああああ!? なんでそういう勘違いに持ってくんだよ! あり得ないから!」
「どうしよう、こういうときって相手を傷つけずに断る方法ってあるかな?」
「どうでしょう、やっぱり誠意をもってお断りするべきなんじゃ」
「て、こらまて! なんでそこで千鶴に相談する!? 思いきり聞こえてるんですけど!? つーか、お前も乗ってんじゃねえ!」
 千鶴に耳打ちをする沖田に食ってかかる平助を、千鶴は楽しげに見て声を出して笑った。
 すると、不意に話しかけられた。
「ずいぶんと仲良しなんですね?」
 校門に立っていたのは、薫だった。奥には黒塗りのベンツがある。
「こんにちは、みなさん」
「薫…さん? あの、こんにちは。この間は助けていただいてありがとうございました」
「いいえ、とんでもないです」
 この間見せた豹変ぶりとはまったく違った薫の態度。千鶴はこの間のことを切り出すべきか悩んで口をつぐんだ。
「珍しいね、そっちの生徒がこっちに来るなんて」
「ええ、今度の交流祭のことでこちらの生徒会と打ち合わせがありまして」
 笑顔でそう答えた薫さんは、「それでは」と頭を下げてから立ち去ろうとする。そして千鶴の脇を通る際に、ボソリとつぶやいた。
「本当、仲が良くてうらやましい」
「え?」
 うまく聞き取れなかったが、冷たい声音だけが妙に胸に響いた。

 家に帰ると、先に帰ってきていた原田が迎えてくれた。
「お帰り、千鶴と総司。と、平助」
「なんでオレだけおまけ扱いなのかなぁ」
「ははは、気にすんなよ。もうすぐ交流祭なんだってな、準備大変だろ。遅くまでお疲れさん」
「僕たちはなにもしてないですから」
「まあ、オレら裏方だしなあ。接客は顔が良い奴がやるみたいだし、当日は製造専門だな。表みたいに衣装とか凝って作ったりしないし、そこまで大変じゃないよ」
 実は接客をやれと言われたのだが、平助は断固として拒否したのである。なるべくならおとなしく千鶴と裏方に回りたいという願望があったのも確かだが、一番の理由はあまり千鶴に目立たせるようなことをさせたくなかったのである。
 平助のささやかな努力は実を結んで、なんとか当日は二人でゆっくりと出来そうである。
「じゃあ、千鶴ちゃん。僕と一緒に回ろうか」
「え?」
「え?って、交流祭だよ。案内してあげる」
 沖田のその言葉に目を丸くした平助は、「だ」と言葉を発した。
「駄目だ!」
「え?」
 今度は千鶴が目を丸くする番だった。
「千鶴はオレと店番があるから、総司君と出かけるのは難しいと思う。……なっ?」
「う、うん。そうだね」
 「へえ?」と沖田がにやりと笑う。
「休憩時間があるんじゃない?」
「それはその……オレと回るんだよ! な!?」
 ぐりんと首を曲げて、勢いづいたまま平助は千鶴に同意を求めた。
「あ、あの平助くん……?」
 あまりにも必死な平助の様子に、千鶴は思わず首を縦に振っていた。振らずにはいられない状況だった。
「と、言うわけで。当日はオレらを気にせず総司君も楽しんでくれよ」
 部屋に行こうぜ!と促されて、千鶴は平助に引っ張られながら家の中に入って行った。
 あとに残された男二人は、苦笑やら感情の読めない笑顔やらを浮かべてその後姿を見送った。
「平助の奴、だんだんなりふり構わずって感じになってきたな」
「わかりやすすぎるのも問題だと思うよ」
「んだよ、お前も千鶴と回りたかったのか?」
 原田にそう尋ねられて、沖田は一拍置いた後にゆるゆると笑った。
「さあね」
「……ったく、相変わらず読めねえ奴だな」
 とは言ったものの、実は沖田は嘘ばかりつくから逆にわかってしまうときがある。この時もそうだった。答えをうまくはぐらかしたと見せかけて、本当は答えを言っているのだ。
「この道場の奴らに素直な奴はいないのかね」
 独り言のつもりでつぶやいた原田だったが、それを拾った沖田がいたずらっ子のように笑った。
「一君はだいぶ素直じゃない?」
「ばか、あれは素直じゃなくて堅物ってんだ」
「確かに」
「俺がなんだ」
 ぬっと居間から顔を出した斎藤は、二人の会話を聞いていなかったように聞き返してきた。が、このタイミングで顔を出すあたりが斎藤らしい。
「なんだその目は」
「いや、別に。お前らしいって話しだよ、な?」
「不可解だ」
「実は一君も千鶴ちゃんのこと気になって聞き耳たててたんじゃないの?」
 不快そうに眉をひそめていた斎藤が、その沖田の言葉に一瞬視線を彷徨わせて、なにも言わずに引っ込んでいった。
「……冗談のつもりだったんだけど」
「……マジかよ」
 斎藤のただならぬ反応に呆然としてしまった沖田と原田は、二人揃って口元をひきつらせた。
 罪な女だな、千鶴。この場にはいない少女を思って、原田は思わずため息をついてしまった。

「平助君、一体どうしたの?」
「う……なんか…気づいたら勝手にそう言ってて…ごめん」
「それは全然いいんだけど」
 千鶴の部屋の前まで手を引っ張っていた平助は、ずんずんと珍しく足音をさせながら歩いていた足を止めた。そして真剣な表情で千鶴を見る。
「あの、さ。本当は総司君と行きたかった?」
 何故急にそんなことを聞くのかわからなかった、千鶴は考え込みながら視線を落とした。
 沖田と行くか。
 平助と行くか。
 だが、千鶴はごく自然に導き出した答えはこの二つのどちらでもなかった。
「誰かと行きたいってわけじゃなくて、ただ雰囲気を楽しめればそれでいいかな、と思ってから」
 すると、平助はほっとしたように肩を落とした。
「そっか」
 そしてもう一度真剣な表情で千鶴を見る。
「じゃあさ、改めて言うけど。交流祭はオレと一緒に回ろうぜ」
「うん、わかった。よろしくね、平助くん」
 千鶴の返事に顔がぱっと輝いた平助は、満面の笑みを浮かべた。
「おう! こっちこそよろしくな!」
 晴れ晴れした表情でにこっと笑う平助に、千鶴も笑顔で答える。
「それじゃ、私夕飯の支度があるから着替えちゃうね」
「おう!」
 千鶴が部屋に戻ると、平助はくるりと千鶴の部屋に背を向けて、ずんずんと歩き始めた。
「……よっしゃ!」
 ガッツポーズをしながらそれをそのまま天に突き上げるようにこぶしを高く掲げる。そしてハッと気づいたようにあたりをキョロキョロと見回してから、一人顔を赤くして自分の部屋に戻って行った。
 一方、部屋に戻っていた千鶴は制服を脱ぎながら、ふと机の上にある『変若水計画』を見た。
 そう言えばまだ土方に聞いていなかったな、と手に取りながら考える。最近は土方が忙しそうにしていたのもあり、なんとなく聞きそびれていたのだ。今日の夕食の後にでも話をさせてもらって聞いてみようか。
 そう考えついて、もう一度机の上に『変若水計画』を置くと、頭の中で整理する。
 あれ以来、新たなピースは未だ手に入れてない。誰も彼もが大人しく、何も進行していないという方が正しい。千鶴も自身の出かたについて悩んでいた。真実を掴もうにも、あんなことがあったばかりだ。風間のところへもう一度行くには少し勇気が足りないし、この間以上のことを聞き出せるかどうかもわからない。リスクばかりが目先に見えてしまって、どうにも気が進まないのだ。
 少しだけ、過去のことに触れることが怖くなった。
「考えてても、しょうがないもの」
 今は特に、恐れるべきは腹をすかせた道場のみんなであって、わけのわからない恐怖にではない。
 さっと脱いだシャツを折りたたむと、すばやく着替えてエプロンをかける。千鶴の戦闘服はこのエプロンだ。
 今日の夕食は肉じゃがにしようと思って買っておいた食材がある。
 そういえば、肉じゃがは綱道の好きな料理だった。千鶴が初めて覚えたのも、この肉じゃがだ。
 初めて作った時は失敗して、妙に煮汁が濃くなってしまった。美味しくなかったのだが、父は文句言わずに笑顔で食べてくれたのだ。
 思いだしてクスリと笑って、そして胸が痛くなった。
 綱道のことを思うと、いつだって温かくなっていた胸が、今はただ苦しい。父親がやっていたことがはっきりしない、それだけで綱道を疑ってしまいたくなるのだ。
「何を隠してるの父さん、今どこにいるの?」
 胸の前で組んだ手を抱きしめるように千鶴はうつむいた。




 





   20100209  七夜月

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