夕日



 誰かと見た夕日は赤くて、ただ赤くて。
 私の手を握ってくれた人は誰か覚えていないけど、きっとその人も夕日を見て綺麗な真っ赤だと思ってくれていただろう。
 だって、私はその人を見上げて確かに笑ったのだ。
 きれいだね、ってそう言いながら。


「まず、結論から言えばあなたと綱道さんは実の親子じゃないの」
 お千ちゃんの話は、その言葉から始まった。
 当然、そう言われたことに驚かなかったわけじゃないけれど、千鶴は比較的冷静にその言葉を受け止めた。
 千は順序立ててどう告げるかを整理しているようだった。落ち着くようにと一度目をつむって、それから真っ直ぐ千鶴を見つめた。
「私が知っていることは、きっと風間や薫よりもずっと少ないと思う。だけど、私が知ってることは全部教えるわ。それを望んでいるあなたは知らなければいけないから」
 千鶴は頷いて、ちらりと土方を見た。土方は一つ頷くと席を立つような仕草を見せた。だが、千鶴はその行動に首を横に振って、自分の思いを言葉にした。
「一緒に聞いてくれませんか」
 もし自分が取り乱したとしても誰か居ることを意識すれば抑えられるかもしれない、そんな思いからきたお願いだった。
 土方にもそのお願いが伝わったのか、もう一度頷くと改めて腰をおろしてくれた。
「千鶴ちゃんの家は大きな、雪村という名前を持っていたの」
「それは、聞いたことあります。それがもとで、風間さんの婚約者だったとか」
「そう。それが十年前、ある日雪村の家が突然無くなったの」
 話の繋がりがよくわからなくて千鶴が首をかしげると、土方が口を挟んだ。
「なくなったってのは、どういう意味だ」
「物理的な意味で、言葉のとおり。火事よ、大火事だった。ガソリンをまかれて火の勢いが増したあなたの家は、消防車が駆け付けた時には、もう全焼状態だったみたい」
 千は少し窺うように千鶴に尋ねた。
「あなたは覚えている?」
 千鶴が首を横に振ると、千は仕方ないという風に笑った。
「そうね、覚えていたらきっと薫のことだって覚えているはずだもの」
 そして表情を改めて、再び事件のことを話し始めた。
「当時亡くなったのは、雪村家当主とその奥方、そしてその夫婦の娘が一人。そして残されたのは、夫婦の息子である薫ただ一人。これが警察が出した公式発表よ」
 だけどね、と千は続けた。
「実際に、その一人娘は死んではいなかった。死んだことにされたの、葬儀も出されて、薫もそういいきかされていた。その娘の名前は、雪村千鶴。あなたなのよ」
 千鶴は、自分の鼓動がいやに跳ねるのを自身で感じ取った。
「薫とあなたは、双子の兄妹。薫が兄で、あなたは妹。これは事実なの」
 薫と自分が、まさかそんな、と笑い飛ばしたくなる。けれど、千鶴はそうはしなかった。先ほどから心臓がドキドキしていてそれが出来ないのだ。
「公式発表ではそうなっていたのに、どうしてあなたが死んだことにされたのかは私もわからないけれど、あなたを連れて行って実の娘として育てたのは、あなたの伯父である雪村綱道なの。それはあなたの方がよくわかってると思うけれど」
 父親ではなく、伯父。その事実に頭が痛みを覚える。心臓がバクバクしてきた。千鶴は落ち着けとばかりに自分の胸を押さえるが、呼吸は荒くなるばかりだ。胸が苦しい。
「薫はね、ずっと綱道さんを憎んでいた。自分から千鶴ちゃんを取り上げたと思って、その思いをどんどん歪めていったの。私はそれを、止められなかった」
 いつか、きっともとに戻ってくれるなんて信じていた。そんなのは何もしないのと同じなのに。千姫は自嘲に表情を少しだけ歪ませた。
「薫を止めきれなかった責任は私にもあるわ。だけど、もう私の手には負えないところまで薫の感情は暴走しているの。私がもっとちゃんとしていれば、別の形で薫を救う方法見つけられたかもしれないのに」
 本当に後悔しているのだろう。千の表情からはそれ以外の感情が読み取れないほど、憔悴している。正直言って、千鶴が薫を止めるなんて、出来るとは思えない。なぜなら自分と薫の接点は、千鶴はこの間出会ったばかりからしか覚えてないのである。だから、任せてと簡単に頷くことだけは出来ない。その代わり、千の肩に手を置いて、微笑みを浮かべる。
「きっと、そんなことないと思う。お千ちゃんがいたから、救われてた部分は絶対あるはずだよ。だから、そんな風に悲しまないで」
 千鶴が笑うと千は千鶴に抱きついた。
「薫、あなたの話をするときだけ、とても優しい顔をするの。本当は大好きなくせに、意地っ張りで言えないのよ。素直じゃないの、双子でもあなたとは大違いだわ」
 双子と言われても実感は沸かないけれど、たぶんそれは育ってきた環境のせいもあるだろう。薫のことを思い出す。いつもなんだか不思議な雰囲気をまとっている人だった。千鶴がふと気づいて尋ね返す。
「それはともかく、どうして薫さんは女装をしていたの?」
「ああ、それは…女子高に入るためには男のままじゃいられないから」
「……確かに」
 なんとなくだが、千鶴はこれ以上聞くのはやめた。想像がついてしまったのもそうだが、仮に双子だとしても兄妹揃って性別を偽るなんてとんだ兄妹である。
「私が知っていることのおおまかなところはこんなところなんだけど、何か他に知りたいことある?」
「薫さんがいなくなったのは、父さんが関係しているの?」
「たぶん、そうだと思うわ。居なくなる前に、見つけたって言っていたから」
「父さんの居場所はわかる?」
「ごめんなさい、私にもそれはまだわからないの。今、家の人たちに探してもらってるんだけど」
 千がすまなそうに謝って、それから千鶴は少し千と話をした。それは千鶴の父の手掛かりとは関係ないことのようだったが、千の意識を少しでも浮上させるものならばと、千鶴も辛抱強く聞き入った。薫との思い出を話す千は、とても切なそうだったからだ。最後に千への連絡先を聞いて、それから千鶴は千を見送った。
 居間に戻って、土方と顔を突き合わせる。
「すみません土方さん、付き合ってくださってありがとうございました」
「別にかまわねぇけどよ、お前ちゃんと整理できたか?」
 その問いかけに、千鶴は土方に向き直った。
「もう少しだけ、話を聞いてもらっていいですか? 実は今日松本先生と話をしてきたんです」
「松本先生と? なんだ、言ってみろ」
 それから千鶴は、松本から聞かされた綱道のしていた実験について、語り始めた。変若水計画がどんなものであったのか、そしてそれに綱道と松本がどうかかわっていたのか、また、計画が最終的にどうなったのか。
「つまり、綱道さんはその変若水計画ってのを完成間際に破棄してそのまま行方をくらませたんだな?」
「はい、そうみたいです」
「……綱道さんが行方をくらませた年月は聞いたか?」
「いいえ、聞いてないです。ただ、私と松本先生が初めて出会ったとき、松本先生は久しぶりに父にあったそうです。何かあったら、私のことを頼むとそう言ったみたいで」
「……単純に考えて、綱道さんが行方をくらませるきっかけになったのと、雪村の家が燃えたって話、無関係じゃなさそうだ」
「火事が父に関係していたってことでしょうか?」
「そこはなんとも言えねえが……だが、お前を死んだことにしたのは、もし他に親戚がいなければ伯父である綱道さんしかいねえだろ。しかし綱道さんは、その日から自分の娘としてお前を育てた。だが、お前は記憶がない。世間からお前を隠したかったのか……? お前の実の兄を欺いてまで何のために?」
 私の存在を隠したかった……? その言葉に千鶴は何故?という疑問しか浮かばない。自分は隠されるようなことをしてはいない…と思う。気付けば土方と二人揃って考え込んでいた。そんな二人の前に、斎藤が淹れてくれた茶が置かれる。
「どうぞ。雪村も飲んで落ち着け」
「悪いな」
「ありがとうございます、斎藤さん」
 千鶴が顔をあげてお礼を言うと、満足そうに表情が動いた斎藤は、そのまま台所へと戻っていった。しかし、土方に話を聞いてもらったのは正解だった。本当に少しずつだが、確信に近づいていってるのだ。なんとなくだが、それがわかる。
 斎藤から出されたお茶を飲んで、少し落ち着こうと千鶴は瞼を閉じる。
 すると、瞼の裏側に、オレンジ色の世界が広がった。

「夕日、綺麗ねえ」
「うん!」
「ね、お父様と薫にも見せてあげたいわね」
「うん! ふたりともよろこぶね!」
「千鶴もいつか大きくなったら、一緒に見たい相手が出来るのかしらね」
「みたいあいて? かおるとはちがうひと?」
「ああ、薫…あの子そんなことになったら大変そう……今からドシスコンの気があるし。千鶴苦労するわね」
「くろーする?」
「そう、すっごく大変! でもそうしたらちゃんと叱るのよ? あの子も千鶴が本当に嫌がることは出来ないから」
「メって?」
「そう、やっちゃいけないことをしたら、メって叱ってやんなさい。大丈夫、千鶴は母様の子だもの、最終的には薫だって旦那だって、尻に敷けちゃうわよ」
 
「雪村?」
 びりっと電撃が走った気がして、千鶴は目を開いた。土方に呼ばれて瞬きを繰り返し、そちらを見る。
「はい、なんでしょうか?」
「いや…なんでもねぇならいいんだが」
 土方は言いたかった言葉をお茶と一緒に飲み込んだようだった。千鶴はそんな土方を倣って湯飲みをくいっと傾ける。程よい熱さになっているお茶は火傷を起こすことなく千鶴の喉を潤していく。もしかしたら、斎藤は淹れたはいいものの、出てくるタイミングを図っていたのかもしれない。
「美味しいですね」
「まあ、ちと温いがな」
「申し訳ありません、すぐに淹れなおします」
「いや、これでいい」
 湯飲みを受け取りに来た斎藤に土方は手で制した。なんだかんだ言いつつも結局は土方もお茶を飲み干して、空になった湯飲みを斎藤へと渡した。千鶴はそれを笑って過ごし残った茶を見つめ、その水面に揺れる自分の顔を見て、誰にも見つからないようにこっそりと息を吐いた。
 靄やモザイクの掛っていたものが少しずつ晴れていく気がした。


 





   20100614  七夜月

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