想念 正直、命なんてどうでもいいかなと思っていた。自分の思い描く理想に近づけるのなら、そのために死んじゃうならそれも有りかなと思っていた。 先ほど医師から処方された赤いタブレット。 とても強い薬だから、一日一粒。それと、もし何か異常が起きたらすぐにも服用を止めること。固く約束させられた。それから面倒だったけど書類一式にサインして、沖田は病院を後にしたのだ。 死にたくないと思ったから、この手は伸びた。 何に縋ってでもいいから、もう少しだけこの世界を生きたいと思ったのだ。 土壇場で自覚した自分の気持ちには鍵をかけて、蓋をして。 ドラマみたいに、神様もう少しだけなんて思いながら。 「さて、今日はこっちがあっちに行く日だよね」 あっちというのは薄桜女学園のことである。 朝から沖田は妙に元気だった。珍しくも朝食に参加している。それは喜ばしいことだったのだが、いかんせん、元気なのが不自然というか。平助、原田、新八は顔を突き合わせてこそこそと内緒話を始めた。 「うわあ、総司くんが朝飯にいるとか、今日雪降るんじゃねえの」 「んな生ぬるいもんよりも槍だろ」 「あぶねえなそれ、傘ごときじゃ役に立たねえよ」 「君たちの上にもれなく植木鉢降らしてあげてもいいよ」 その会話が耳に入ったのか(というか、入らないはずもない)、沖田の絶対零度の微笑みが、三人に向けられる。一斉に首を横に振った三人は顔を引きつらせながら無言で朝食の続きをがっつき始めた。 「千鶴ちゃん、僕にも貰える? ああ、でも朝だからご飯は少なめにして」 「あ、はい!」 沖田が千鶴に声をかけると、千鶴は喜びの表情でご飯をよそってそれを沖田に渡す。注文通り、ご飯は少なめだ。沖田の心境の変化など知る由もない千鶴は、ニコニコしながらそれを手渡す。 「沖田さんが一緒に食事取ってくれるなんて嬉しいです」 「あんまり我儘言ってても、そこの仏頂面な師範代がうるさいからね」 「飯ってのは大勢で食った方がうまいって相場が決まってんだよ」 沖田が食事の席を共にしなかったのは、自らの病気を周囲に悟らせないためだったのだが、もしかしたら土方はそんなこともお見通しなのかもしれない。 「相変わらず嫌な大人だな」 「残念だが、うちの道場に良い大人なんて近藤さんくらいしかいねえよ」 「おいおい、俺らだって十分良い大人だぜ?」 新八がご飯粒を飛ばしそうな勢いで会話に混ざってくる。 「ほう、お前ら己の行動顧みて見て、平助に同じ言葉を言えるか?」 土方に言われて新八はさっと視線を外すと、わざと平助を視界に入れないようにして朝食を取る。当然黙っていないのは平助だ。 「ちょ、新八っつぁんたち、こっち向いて言ってみろよ!」 「本当に朝からに賑やかですね。まあ、私も十分良い大人ではないですから、二人のことは言えませんが」 綺麗に食事をしていた山南に、土方は珍しくもからかい口調で答える。山南もそれに応じる辺りは大人の余裕というものが垣間見えた。 「あんたの場合は良い大人云々よりも曲者ってのが強いだろ」 「これはまた手厳しい意見ですね。でも、確かにこの道場で良い大人と評されるべきはやはり近藤さんですよ」 もっともだ。沖田はそれに反論せず、千鶴が作ったみそ汁をすすった。千鶴の料理を食べるのは初めてではないはずなのに、何故だかいつも以上に美味しく感じた。 「今日はお前ら交流祭二日目だったな」 「はい、そうです」 土方の質問に真っ先に答えたのは千鶴だ。 「一応、何があるかわからねえからな。気をつけろよ」 「はい!」 「ねえ、千鶴ちゃん。提案なんだけどね」 すかさず沖田は千鶴に声をかけた。今日こそ出し抜かれるわけにはいかない。千鶴はニコニコ顔を崩さずに沖田を見返す。 「今日は僕と一緒にデートしよう」 周囲の唖然とした空気が、沖田にはとても心地よかった。 良かったのだろうか、と千鶴は思い返してならない。 朝、突然沖田にデートしようと言われ、最初はなんのことだかさっぱりわからなかった千鶴だが、動揺しまくった平助の反応や何故か千鶴を庇うように立った斎藤を意に介することなくなんか色々と言い含められて、結局沖田と今日は回ることになったわけだが。 「デートなんていうから、びっくりしちゃいました」 単に文化祭を一緒に回るというものではないか。 「立派にデートでしょ、男女が二人で歩くんだから。少なくとも僕はデートだと思ってるけど、君は違うの?」 「は、はあ……」 沖田の物言いは特殊で、時折千鶴はついていけない。 微妙な返答を返しながら己のデート定義について考えてみる。が、自分たちの状況がデートではないと言える材料は千鶴の中にはなかった。と流されそうになって気付くが、現在自分は男なわけだから単純に考えて男と男でデートというのはないんじゃないだろうか。 「昨日は平助に取られちゃったからね。今日は僕に付き合ってよ」 と言いながらも、なんだかんだで沖田も本気ではなさそうで、一緒に廻ることに関して千鶴に断る理由なんてない。てくてくと、いつもとは違う道のりを歩いて、薄桜女学園へと向かう。堂々と薄女に入るのは初めてだ。違う学校というのはいつでも興奮するもの。アーチなんかも自分たちのものよりもつつましやかな華美があるし、至る所に女性らしさを感じる。おそらく花壇の数なんかも薄女の方が断然多いだろう。造り自体はそう違うものでもない。完全一緒というわけではないが、やはり姉妹校だからかもしれない。 ……と感じていたのはあくまで校舎の外側だけで、中はさすが金持ち女子高といった感じではあったのだが。 「なんというか、華美ですね」 「うん、ここまでいくと、いっそ悪趣味だよね」 「お、沖田さん!」 あくまで交流祭。交流することを目的としているのだから、そんなこと誰かほかの生徒に聞かれたら問題だ。そんな風に慌てる千鶴をもろともせず、沖田は不躾に視線を彷徨わせている。 「あら、二人とも来てたのね。昨日はどうもありがとう」 どうしようかと考え始めた千鶴だが、いつの間に近くに来ていたのか、制服姿の千と出会った。腕には薫がつけていた腕章をつけている。 「ううん、気にしないで! お千ちゃんのクラスは何をするの?」 「うち? うちのクラスは劇よ、体育館でやってるの。次の回はお昼頃ね」 「へえ、演目は何をやるの?」 「シェークスピアのロミオとジュリエットよ」 「すごい、恋愛モノなんだね! お千ちゃんは出ないの?」 「出ないわ、私は今回裏方に回ってるから」 そういって、千は苦笑した。 というのも、薫を表舞台に出せないとなれば必然的に裏方に回さなければならない。その薫と行動を共にするとなれば、ああ、つまりは千鶴と同じということか。 「そうなんだ、少し残念。お千ちゃんなら絶対ジュリエット可愛いのに」 「ありがとう、でもうちには演劇部のホープがいるから、期待してもらっていいと思うわ。というわけで、私も仕事しなきゃ。はい、これ」 千から渡されたのは、今話していた劇のチラシだった。なるほど、確かにもう午前中の回は始まってしまっているようだ。次の回は正午。沖田は千鶴の斜め後ろからチラシに目を通している。 「良ければ観に来て! それじゃあ、楽しんでいってね」 薫については一切触れず、千は走り去っていく。きっと、薫の分まで仕事をこなしているのだろう。心配だろうにそんなことはおくびも出さずに、千は走っていた。 「お千ちゃん……」 その後姿が心配で、千鶴は視線を外せない。すると、後ろから千鶴の手よりチラシを取り上げた沖田は何故か真剣にチラシを見ていた。 「確かこれって、悲恋の話だよね」 「え? そうですよ」 「ふぅん。君ってこういうの興味あるの?」 じっと見られて千鶴はうっと後ずさりたくなった。この場合、正直に答えてもいいものだろうか。正直に答えたところで辛辣な口撃を浴びせられるか、興味を失くさせるかどちらかではあるだろうが。 「君さ、僕を一体どんな人間だと思ってるの?」 「え!? 私何か口に出してました!?」 「出してないしただの当てずっぽうだったんだけど、へえ、その様子だとロクでもないこと考えてたみたいだね。こんなに親切なのに失礼だな」 どこがですか、というのは口には出さなかった、これは確実に出さなかった。なぜなら自分の口を覆ってそれを確実に声にしないためだったのだが、逆に顔には完全に出ていた。迂闊にも本人はそのことに気づいていなかったが。 「それで結局、どっちなの?」 考えていたことを突っ込まれずに済んで助かった、安堵のため息をつきながら千鶴は微妙な笑顔を浮かべた。正直に言ってバカを見ないように祈りながら。 「あのー…みたいです、劇。せっかく来たんですし」 「うん、わかった。じゃあそれまで時間潰そうか。他に何が見たい?」 思いのほかあっさりと許可が下りて、千鶴はホッとした。てっきり沖田は興味がないだろうから、何かしら言われると思っていたのだ。そしてお昼前に昼食を取ることを提案する。どうしたって昼食時に屋台は混むもの。……屋台と言えるのかどうかは定かではないが。 「基本的に、食べ物屋さんは教室内なんですね、衛生面とかかな」 「まあそれもあるだろうけど、教室の方が色々と準備しやすいんじゃないかな。女子だと体力・腕力そういう基本値が低いからね。改めて屋台組んで店を作り上げるっていうのは結構大仕事だと思うよ」 「あ、なるほど! 確かにそうですね」 千鶴たちは男子校だから男手はいくらでも余っているが、女子高はそうもいかない。 指摘されてその事実に気付いた。女と男の差っていうのはこういうところで表れるのだ。それではどうしようかとパンフをめくって悩み始める。男の料理のようなダイナミックなものはない。焼きそばとかこの手のお祭りではメジャーなものはなく、どちらかといえば女の子らしいスイーツが多そうだった。 「甘いものばっかり……沖田さんでも食べられそうなもの…あ、甘味屋さんなんてどうでしょう? ところてんとかあるみたいだし」 「ところてんか、腹ごなしって感じじゃないけど、まあいいよ」 「はい、じゃあ行きましょう。二階みたいです」 自分たちがいるのは一階。だから階段を上って一つ上の階だ。千鶴が一歩踏み出すと、ふとその腕を引っ張られた。がくんと、体勢が後ろに傾く。 「わっ!」 倒れるまではしなかったが、あまりにタイミングが良くてそのまま沖田にぶつかった。 「すみません! ごめんなさい! 大丈夫ですか?」 千鶴が慌てて沖田から離れると、沖田に掴まれていた腕は簡単に抜けた。千鶴が「え?」と思った瞬間、沖田は既にいつも通り笑っていた。 「さ、行こうか」 「は、はい!」 見間違いだったかもしれない、けれどそうではない気がして、千鶴は再び沖田の顔を見た。 やはり笑っている。だったら先ほど見た表情はなんだったのだろうか。 泣いてしまうのではないかと一瞬思ってしまった。 シェイクスピアが書いた代表作の一つ「ロミオとジュリエット」 この作品は、敵同士であった両家の子息と子女が出会い恋に落ちるも、運命のいたずらで最期は共に命を落としてしまう話である。 「なんか作品のチョイスが女の子って感じだよね」 「そうですか? でも結構学祭演劇の定番だと思うんですけど…沖田さんもしかしてこういうの嫌いでしょうか?」 「嫌いではないけど、好んで読んだりもしない……でも、どちらかといえば嫌いかもね。運命の歯車で全部失うなんて、そんなの僕は嫌だから」 どういう意味だろうと聞き返そうとしたら、開幕のブザーが鳴った。 役者たちが表れて、舞台の上で朗々とセリフを読み上げていく。千の言っていた通り、思わず魅入ってしまうほどにすごい引きこまれた。完全に引き込まれなかったのは隣に沖田が居て、尚且つ先ほどの表情が気になっていたからだ。ちらりと視線を沖田に向けると、彼は感情が読めない表情で舞台を見ていた。沖田はこういうものが嫌いだという。そう言っていた時のセリフは、運命の歯車で全てを失うということだった。あれはいったいどういう意味だろう。 千鶴がそんなことを考えている間にも物語は展開していく。 舞台の上では巡り合ったジュリエットとロミオが互いに愛をささやきあっている。千鶴はこのあとの展開を知っている。だからこそ、こんなにも胸を打たれ、このやりとりが切なく感じるのである。初めて読んだ時は可哀想という気持ちでいっぱいだった。そして綱道にこの話を聞かせた。綱道はそんな千鶴にこう言ったのだ。 「どんな出来事や物語でも必ず二面性を持つものだよ。その裏をどう読み取るかは読者次第だとは思うが、千鶴も大きくなって読み返したら今とは違う感想を抱くはずだ」 そんなものかとその時は綱道の話を流したのだが、もしかしたら過去読んだときと今舞台で見ている時では感じ方が変わるかもしれない。より真剣に舞台に集中して、千鶴は物語を追った。 「自分だけが幸せになれれば、周囲はどうでもいいのなら、そもそも不幸になんてならなかっただろうに」 呟くように沖田が漏らした言葉を千鶴の耳は拾い上げたが、聞こえないふりをした。本当にただの独り言のつもりだったようだから、踏み込めない領域のオーラを感じ取ったのである。それは沖田の何かに対する拒絶のように感じた。 「……沖田さん」 寂しい、拒絶されるのは哀しいけれど、もし助けを求めようとして手を伸ばせないでいるのならそれはとても寂しい。 千鶴は沖田を一人になどしないのに。 まだ沖田に完全に近づけない自分がもどかしかった。 → 20100619 七夜月 |