知音 珍しく全員そろった朝の食卓の賑やかさが嘘のように、誰もいなくなった家の中、電話のベルが鳴り響き渡ったのが少し前。 応答に出たのは山南だった。ちょうど居間で新聞を読んでいた土方を彼が呼んだのは今。 「土方君、松本先生からお電話です」 「松本先生が?」 驚いた土方が受話器を受け取る寸前、山南の表情が曇っていたのは気になったが、土方は子機を受け取って電話に出た。 「はい、お久しぶりです松本先生。はい、先生もお変わりないようで……ああ、総司ですか? アイツは今学校の方に―……」 松本の言葉に、土方は表情を険しくさせた。 「だいたいさ、なんで千鶴と総司君がデートなわけ? おかしーじゃん!」 「お前も昨日雪村と回ったのだろう」 「そーだけど、あれは別にデートってわけじゃ」 「その割に、手を繋いでたんだろ? ネタは上がってんだぜ平助」 ニヤリと笑った原田に平助は顔を赤くしながら否定した。 「な、何言ってんだよ!あれは別に他意があったわけじゃなくて、ただ単にはぐれたら困るから……!」 「まあ、そういうことにしておいてやってもいいけどな〜」 「つうかさ、左之さんなんでついてきてんの? 今日非番なんだろ? 自分の好きなことしてりゃいーじゃん」 「まあ、気に済んなよ。男同士で回るっつのも味気ないが今回は総司にしてやられたからな。仕方ないからお前らと回ってやるよ」 「有難く思っておけ、平助」 「え、なんで一君も上からなの!? もしかして今日俺の立場無し!!??」 何の因果か平助は斎藤と非番である原田を伴って、薄桜女学園へと向かっていた。このメンツで向かうことにいささかの不安を覚えているのは平助なのだが、他大人二人(と言うべきか)は非常に意に介した様子はない。 一日目と二日目は現地集合なので、たまにサボる生徒もいるが平助はサボったところで土方から雷が落ちるだけだ。というわけで大人しく薄桜女学園へと向かっているのである。 それに何故原田と斎藤がついてきたのかは平助の預かり知らぬところではあるが、どうせこの二人も暇だとかそんな理由なんだろう。原田の場合は主に平助をからかいたいがためについてきているような気はするが。 「あーあ、左之さんみたいにムサいのが女子高行くなんて、全国の女子高生に失礼ってもんだろ」 「なんだと平助? てめえ、一発かまされてーのか」 「放っておけ左之、雪村を総司に取られた八つ当たりだ」 「お前そんな子供だから目の前で掻っ攫われちまうんだぜ? いい加減わかれよ」 「うっせーな、別にそんなんじゃねーよ!」 やはりこの二人は嫌だ。一人で来るんだったと平助が後悔し始めると、前方からものすごい勢いで走ってくる人がいた。鞄を胸に抱え帽子を目深に被って表情などは見えないが、体格などを見る限り、男性に違いない。近づくにつれ、徐々に見えるその形相はただ事ではないようだった。 「左之さん」 「ああ、わかってる」 原田もその男性には気付いたのか、眉を潜めた。男性の後ろには黒スーツ姿のこれまた男と見える人たちが全員で前を走る男性を追い掛けている。 「追い掛けられてるって感じだね」 「助けるか?」 「事情がわかんねえしな、とりあえず引きとめてみるか」 三人はそれぞれ構えを取る。男性が通り過ぎた際に、黒スーツの軍団を足止めしようと考えたからだ。しかし、男性は初老に差し掛かったころなのか、どうしたって足がおぼついている。このままではこけてしまうんじゃないだろうか、と平助が心配したときに男性は足をもつれさせて転倒した。だがしかし、胸に抱えた鞄だけはしっかり握って離さない。 「おい、行くぞ」 「ああ」 原田の掛け声に男性の元へ駆け寄る。男性は追いついてきた黒服を睨みつけるにようまっすぐに視線を向けている。 「君たちに渡すものなどない」 「それは困りますよ先生。奪ったのは貴方が先ではないですか。私たちには貴方の頭脳が必要なのです」 「本来あるべき人物から奪ったのはお前たちだろう!これは元々はあの子のものだ。お前たちが持っていていいものではない!!」 男性は憔悴さなどを微塵も見せない力強い怒号でスーツの男たちを威圧する。一瞬だけ怯んだ黒服たちだが、多勢に無勢でやられるのは時間の問題だ。 「なーんか、よくわかんねぇけど長年の勘で悪いのはあっちだな」 「奇遇だな。俺もそのような気がしていた」 「とりあえず、大勢で一人に対して寄ってたかってってのは、大人のくせにカッコ悪いぜ」 原田がそういいながら男性よりも一歩前に進むと、男性の隣で片膝をついた斎藤が同意する。平助は原田と同じように男性を庇うように黒服たちの前に立ちふさがった。 「君たちは……?」 「理由があるとお見受けしました、この街でこのような勝手な振舞いは許されません。故に助太刀します」 男性は突然現れた平助たちに戸惑っているようだった。だが、斎藤からの言葉にホッとしたように笑みを浮かべた。 「見ず知らずの人にそのような言葉を掛けてもらえて光栄だが、君たちを危険な目にあわせるわけにはいかない。引いてくれ」 「大丈夫だっておじさん! 俺ら結構強いよ?」 「一応、お巡りさんって奴なんでな。おい、あんたら。この人に手を出したら即傷害事件として逮捕してやるからな。ついでに俺に手を出したら公務執行妨害だ」 原田が警察手帳を見せながらそう言うと、黒服たちは舌打ちをした。 「警察か……タイミングが悪いな。出直すぞ」 リーダー格の一人がそう言って、黒服たちは撤収していく。それを呆気に取られた様子で見ていた男性は斎藤の手を借りながら起き上がると、深々と頭を下げた。 「助けて頂き感謝する。本当にありがとう」 「いやいや、俺らは当然のことをしたまでだ」 「そーそ、何があったのかは知らないけど、何事もなくて良かったな」 「ああ、君たちのおかげだ」 そこで男性は腕時計を確認する。 「もうこんな時間か……それでは私は失礼するよ。本当にありがとう」 「おう、おじさんこそ変な奴に絡まれないように気をつけろよ! もしまたなんかあったら、この道真っ直ぐ行ったところにある近藤って表札の道場に駆け込みなよ。絶対助けてもらえるから」 男性はその名を聞いて足を止めた。 「近藤……? 君たちはそこに通っているのか?」 「正確には住みこんでいる、です。それが何か?」 斎藤が問いかけると、男性は来た道を駆け足で戻ってきた。そしてバッグを開くと、その中に入っていた紫色の風呂敷を取りだした。細長いものをしまっているようだった。 「これを、雪村千鶴へ渡してくれないか。雪村綱道から預かったものだ」 受け取った斎藤だけでなく、平助も原田も当然ながら驚いた。 「私が持ちだしたことはとうに知られてしまったが、本人の手に渡るのであればどんな形でも構わない。どうかお願いできないだろうか」 「……アンタ、何者だよ。第一これの中身って何なんだ」 原田の目が険しくなる。 「雪村家に伝わる家宝。本来は代々、雪村家の当主が受け継ぐものだ。訳あって、当主の手に渡すことが出来ない。だから、正当な血を受け継ぐあの子に預けたいと思っている」 「はあ?? なんか話がよく見えねえっつーか……」 原田に続いて、怪訝な表情をした平助に、男は必死の形相で頼み込む。 「頼む! この通りだ!」 深々と頭を下げられたら断れない。三人は目を合わせると、苦笑した。 「よくわかんねえのは変わらねえけど、困ってる人助けるのが俺の仕事だ。んでもって、俺らの道場に、困ってる人を見捨てる奴はいねえ」 「この包み、預からせてもらおう」 男性はとてもホッとした様に胸を撫でおろした。 「何から何まで迷惑をかけて本当にすまない。この恩はいつか必ず返そう」 「そんな堅苦しく考えなくていいって、アンタが悪いわけじゃねーだろ」 男性は複雑そうな表情を浮かべていた。だが、理由を知らない原田たちからすれば、相手のことを憶測で考えるくらいしか出来ない。だったら別にどうでもいい。詮索する理由もないのだから。 「最後に一つ聞きたいんだが、雪村千鶴は元気にしているだろうか。風邪をひいたり、どこか怪我などはしてないだろうか」 「おう、すっげー元気だぜ!」 「そうか、ならいいんだ」 男性はとても優しい顔をしていた。ふと、原田はこの顔をどこかで見たことがある気がしていた。どこだったか、とてもつい最近にも目にしていたような。 「それでは」 もう一度お辞儀をしてから踵を返して、男性は去って行った。 「なんか、見たことある気がするんだよなあ〜……どこだったか」 「似ていたな、雪村と雰囲気が」 斎藤が原田の独り言に反応すると、そこでようやく原田の中で合点が言った。 「そうそう……って、もしかして今のが綱道さんだったってことか?」 「まさか、だってこれ綱道さんから頼まれたって言ってたじゃん」 平助の指すこれとは、斎藤の手にある紫の風呂敷包みである。 「いや、それが本当だと誰が証明できる? とはいえ、たとえ本人だとしても、俺たちにあの人を止める権利は持っていないわけだが」 追う側を排除しておいて自分たちも追う側に回るというのはいうのはいささか人助けの意に反する。 「追い掛けるか?」 いつもすぐに行動に移す平助が疑問形なのは、おそらくはどうするべきか判断出来ないからだろう。ここは年長者である原田の考えに従うという意志だ。 「やめとけって。考えてもみろよ、もしさっきのが本人だったとしても、名乗れない事情ってのがあるんだろ。それに、千鶴のこと心底心配してた。会いたがってるだろうことは本人がよくわかってるはずだ。なのにその望みを叶えてやれねーってのはよっぽどの事情があるんじゃねえのかよ」 原田の言うことはもっともだ。二人は納得する形で頷くと、中身が解らない風呂敷包みを見つめた。中身のわからないこの風呂敷は重みだけはしっかりしていた。 → 20100708 七夜月 |